第5話 我那覇さんは尊いのがお好き(前編)
わたし、
故郷の石垣島に居た頃とは違って、朝7時には起きる必要がある。
朝にことのほか弱い私にとっては大問題だ。
沖縄時間という言葉はすっかり内地でも有名になったようだが、時間にルーズな故郷と大都会では生活感覚がまるで違う。
会社から遠くに住んでいる同僚には、朝6時に起きている人もいるらしい。
マジか…
とはいっても都会暮らしも、もう2年目に突入。
さすがにこの生活にも慣れてきた。
朝食を終え、社会人としての身だしなみを整えたら今日も職場へ出発だ。
石垣島から持ってきた愛車、ウチナー号を会社の駐輪場に止めたところで、職場の憧れの先輩を発見した。
私は嬉しくなり、思わず手を振ってしまう。
いつもながら先輩は、スーツの着こなしが美しい。
オーダーメイドなのか、身体のラインに自然に寄り添うような縫製。
かつベージュ色を基調としたデザインは、ビジネスの場にふさわしい気品を放っている。
社内でスーツのコンテストをやれば優勝間違いなしだろう。
「先輩、おはようございます!今日もスーツが決まってますね!」
「おはよう、そしてありがとう、我那覇ちゃん。今日も自転車通勤?」
先輩は落ち着いた大人の口調でそう応える。
なんというか、元気だけが取り柄の私とは対照的だ。
「はい。少しでも運動しないと、身体がなまってしまいますので」
「そっか。うちの旦那と似たような事言って…」
先輩がそう言いかけた時だった。
自転車のブレーキ特有の甲高い音が響き、思わず私は振り返る。
そこには黒いクロスバイクにまたがった、ブルーのTシャツにカーキ色のカーゴパンツといったラフな格好の男性がいた。
イケメンというには少し足りない感じの、優しそうだけどちょっと頼りない印象。
背中には四角いデザインの黄色いリュックサックを背負っている。
前に先輩が珍しく深酒をした時に会ったことがある。
そう、先輩の旦那さんだった。
「え、どうしたの?今日は午後からの出社じゃなかった?」
先輩が驚いた顔で言うと、旦那さんちょっと呆れた顔をする。
そして、背中のリュックサックを下ろすと
「お弁当、忘れてたでしょ」
「あ、ごめん。忘れてた」
『てへぺろ』といった顔で応じる先輩に、私は思わず目が点になる。
なんというか、先輩は仕事場では常に忘れ物やうっかりミスをしない完璧な人というイメージがあったからだ。
「わざわざ届けてくれたんだ、ありがとう」
「まあ、せっかく作ったからね。おなかをすかせたまま、午後の仕事するのも大変でしょ」
そう言って、あからさまな照れ隠しをする。
「…あ、ごめん。こちら、うちの旦那さま」
そう言ってはにかんだ笑顔で、先輩は紹介してくれる。
「あ、どうも。旦那です。先日はうちのおくさんを送ってくれてありがとうございます」
そう言って丁寧に頭を下げる先輩の旦那さん。
「それじゃ、僕はこの辺で。仕事がんばってね」
そう言ってぺこりと私に向けて頭を下げると、再びクロスバイクのペダルを漕いで去って行く。
「わざわざ届けてくれちゃうのよねー、うちの旦那さまは」
そう言って照れ隠しに笑う先輩。
その時、私は心の中でこう思っていた。
-あれ、この夫婦ひょっとして『尊い』のでは?
「というわけで、うちとしては他社との差別化を図るために、より付加価値の高い商品展開をしていくべきと考えます。具体的には…」
いつもながら先輩のプレゼンは切れ味が鋭い。
他の部からの質問にもテキパキと答え、隙を見せない。
これが、ついさっき旦那さんにお弁当を届けてもらってデレていた人とは思えない。
アンダーリムの赤い眼鏡をかけているのも相まって、惚れ惚れするような「出来るビジネスウーマン」ぶりだ。
「結論も出たことだし、昼休憩にしようか」
課長がやんわりとそう言うと、会議の参加者の顔が緩む。
私はというと、すかさず先輩の元へと駆け寄る。
「今日、お昼一緒していいですか?」
「ええ、いいわよ」
心の中でガッツポーズをしながら、私は笑顔を浮かべる。
おそらくは旦那さんが作ったであろう、愛夫弁当の中身を確かめられそうだ。
「ありがとうございます。それじゃ、屋上へいきましょう」
我が社の屋上は殺風景そのものだが一応ベンチが設置してあり、昼食の場所としては申し分ない。わざわざここまで上がって来るのが面倒で、あまり人気はないのだが。
たまにカップルがイチャイチャしているが、今日はそんなことはなさそうだ。
さて、なんとか先輩を昼食に誘うことに成功した訳だが。
もちろん、私の目的は旦那さん謹製「愛夫弁当」の中身である。
あの先輩の旦那さんの事は、前から気になっていたのだ。
こう言ってはなんだが、あの完璧で美人な先輩と、あのどこか頼りない旦那さんはちょっと釣り合わない気がする。
その疑問を解決するヒントがこの弁当にあるような気がしたのだ。
私は木製のベンチに腰を下ろすと、トートバッグから弁当箱を取り出す。
気になってちらりと視線をやると、先輩もバックからお弁当を取り出していた。
黒を基調に白色の線でネコのイラストが入っているかわいいお弁当箱だった。
この時点でもう、私の白い無地の弁当箱とは女子力が違い過ぎる気がして、ちょっと憂鬱になる。
-ええい、そんなことを気にしてどうする。問題はこの中身なのだ!
自分自身を叱咤していると、先輩が二段ある弁当箱を開ける。
中身を見た途端、私は先輩の旦那さんに対する認識を改めた。
「カニさんとタコさんのウィンナー、だと?」
作るのがそれほど面倒な訳でもないけれど、朝の忙しい時間に男性がソーセージに切り込みを入れている姿を想像すると…ちょっと萌えますね、これは。
具材はブロッコリーにプチトマト、スナップエンドウ。ご飯は食べやすいように、ラップで包んだおにぎりにしてあるのはポイント高いかも。
一つ一つはそこまで手の込んだ品という訳ではないんだけど、弁当全体で見れば旦那さんの気配りが光っている。
「私の冷凍食品解凍しただけのお弁当とは、レベルが違う…」
先輩の旦那さんに女子力(?)で負けた気がして、思わず肩を落とす私。
「何言ってるの、うちの旦那さんだって冷凍食品くらい使ってるわよ。今日はたまたま午後出社だから、ちょっと気合い入れてたけどね」
「いや、働いてるのにしっかりお弁当作ろうとするだけスゴイじゃないですか。すごいなあ、先輩の旦那さんは。まさに理想の夫ですね」
これまた冷凍食品のひじきの煮物に箸をつけながら、私は旦那さんを褒める。
わりと本心だった。
「いや、それ褒めすぎだから。そういうこと言うとすぐ調子に乗るし、すぐプラモやらマンガやらで無駄遣いするんだから」
「あー、ソウデスカ」
-いや、先輩それどう見ても惚気てるようにしか聞こえませんよ。そのにやけきった表情じゃ。
「私も早く結婚したいなあ。いい人いないんですよね、うちの会社。職場としては働きやすいんですけど」
「いやいや、結婚生活もわりと大変なんだから。甘いことばかりじゃないわよ」
先輩は赤い顔をしながら、そうごまかすようにカニさんウィンナーを頬張る。
照れ隠ししているようにしか見えないんですけどね、それ。
「なんなら、うちに来る?実際に見てみれば、感想も変わると思うけど」
「え、いいんですか?先輩と旦那さんの愛の巣に押しかけるなんて」
「いや、愛の巣じゃないからね?…ほら、先日の打ち上げで私が酔っ払い過ぎて迷惑かけたじゃない?そのお詫びもかねて、ホームパーティーでもしようか」
「行きます。行かせてください。もちろん、旦那さんがいる時ですよね?」
食い気味ににじり寄る私に、先輩の顔がしまったという顔になる。
「わかった、わかった。武士に二言はないわ。今度の土曜日ならうちの旦那さんも仕事お休みのはずだから、来ていいわよ」
「わかりました、土曜日ですね?邪魔になりそうな仕事、バシバシ片付けますから!」
私はそう言ってガッツポーズをする。
そのとなりで先輩が思わずため息をついていたが、私は気にしない事にする。
土曜日が楽しみだ。
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