幕間:ここに堕ちて重なる
――ここは、何処だろう。
そう言って、椅子しかないこの狭い部屋をキョロキョロ見渡していた頃をふと思い出す。ついこの間の筈なのに、ずいぶん経ったみたいだ。
乾いた笑いがこぼれる。
この部屋では、どんなものでも手に入る。富も名声も願えば、叶う夢の部屋。
そのはずだった。ただそれに応じた対価さえあれば。
ただ大金が欲しかった。
余生をのんびり寝て、過ごせるような。
目を覚ませば、願いは叶った。
それは多額の慰謝料と大病院の個室。
トラックの事故で、自室と半身の自由を失っていた。
恋人ができた。凄く素敵な女の子。
ホントはずっとずっと好きだった。大好きだった。でも、オレなんかが付き合えるわけないと諦めていた。
だって、親友の彼女だったから。もうアイツとはずっと会えていない。
こんな容姿が恥ずかしくて。
せめて若さを取り戻したかった。
憎くて憎くて堪らなかったから。だらしない贅肉も、顔を覆う皺も、私を蔑む夫も、楽しげに騒ぐ若者たちも。
私は若さを手に入れた。いや、老いを手放した。
同時に友だちも家族も知識も経験も。今までに得たものを全て失った。いや、私がそこから消えた。
――ここは言葉も文化も知らない世界。知らない人々の中で、私はこれから生きねばならない。
こんな現実は耐えられない。
そう言って、夢の中に閉じこもった。願いの叶うこの部屋に。ここでなら、欲しいものは何でも叶う。
絵空事みたいな現実を得た。
私気立ての良い美しい妻と、聞き分けがよく実直な息子。我が家はいつも清潔に保たれ、笑顔に満ちた穏やかな日々。
私は更にこの部屋に入り浸った。
満たされない。
何かが足りない。
何を求めているのかも分からずに、椅子しか無いこの“部屋”に籠もる日々…。家には欲したものが溢れているのに…。
どちらが夢で、どちらが
人の欲はきりがない。どんどんどんどん積み重なり、いずれは塔となりて天を衝く。
あぁ、また部屋が崩れた。
私の欲が私を壊す。夢は見るもので、与えられるものではなかったのだ。
「宝の持ち腐れ」なんてよく言ったもので、腐った宝は身をも腐らす。持たざるものは、与えられなかったのではなく、そもそも持つことができないからこそ、持たざるのだ。天が二物を与えるのは、使いこなせるからなのだ。
とはいえ、持たざるものにも使いこなせる者も居て……。
――あぁ、外から音が聴こえる。
音となった悲鳴が聴こえる。
この夢は地獄の入口。
求めるだけでは得られない。与えられても得られない。
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