2-8.天へ至るは狭き門

 形容し難い色の空。その下で果てしなく広がる砂地に、四角い建造物がポツリポツリと点在する。それは、だんだん集まって、連なり、積み重なり、塔を成していた。


 そんな荒野で、何かを探すように、キョロキョロと辺りを見渡す芳生に、ポアは少し首を傾げる。

「どうしたの?何かあった?」

 一瞬、少し嬉しそうな顔で何か言いかけて、ピタッと止まる。少し目を泳がせたあと、また少し嬉しそうな顔をして呟いた。


「……何でもないよ」


 怪訝な顔をするポアを尻目に、もじもじと爪先で砂地をなぞる芳生。彼はぎゅっと目をつぶると、色のない空を見上げた。


 その空には太陽も月も、そして星もない。もちろん、雲も。

 ただただ明るい闇が広がっていた。


 ******************************


「…そういうワケで、今回は“部屋”の周りの探索だけ行いました」


「ふむ…。

“部屋”に喚ばれるってことは、異空間に召喚されるってことで、ほぼ確定だな。

 ただ、気になるのが…」

「“部屋”が積み重なった塔ね」

 考え込むように呟く山野に、蛭浜えびはまが言葉を繋ぐ。

「…申し訳ないが、やっぱり登って見てもらっても」

「ダメっ!!」

 バンッと強く机を叩いて、立ち上がる令。

「……中学生二人にそこまでさせるのは…、大人として、どう…なんスかね?」

 全員からの視線に少し冷静になった彼女は、しおしおと座りながらも、反論した。


「私たちも任せきりにするつもりはないのよ」

 そうなだめるように言う蛭浜は、二つのネックレスを取り出す。どちらにも、少しくすんだ十字架がひとつずつ付いていた。

「何スか?コレ?」

「前回の探索で、二人に持っていってもらっていたの。

 あっちに行っている二人と連絡がとれなかったでしょ?

 向こうがどういう世界か分からなくて、通信のしようがなかったから。それで、コレでテストをしてたのよ」

「じゃあ!」

 蛭浜は頷く。

「とりあえず、もう相互に通信は行える筈よ。

 まだ、どういう世界かは分からないんだけど。まぁ、悪魔の作る異空間だから、キッチリとした解析は無理ね」

 蛭浜は姿勢を正して、芳生とポアに向き合った。

「バックアップは万全に行うつもり。

 だから、塔の探索をお願いしてもいいかしら」

 大の大人に頭を下げられたことに少し驚いた様子で、芳生はポアと目を合わせる。


「分かりました。

 僕たちもそのつもりでしたし」


 芳生の言葉に同意を示すように、台所で冷蔵庫の製氷機がガラガラと音を立てた。


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「ねぇ、何か隠してない?」

「え?」


 作戦会議と夕食を終えた後。芳生と二人、居間のソファでくつろいでいたポアはふいに、静かな口調で尋ねた。


「登るって僕がみんなに言ったこと?ゴメン、行きたくなかった?

 でも、ポアくんだって、塔が気になるって言ってたから…。ほら、ひとりのときは塔まで行ってないからって」

「あー、いや、そのことじゃなくて」


 珍しく眉間に皺を寄せているポアが何か言い開きかけたときに、ちょうどお風呂上がりらしい山野が牛乳を片手に現れた。

「お疲れ!さっきは無理言って頼んじゃってごめんな」

「いえ、僕たちも塔には興味あったから」

「うん」

 令ちゃんたちと比べて、塔の話題に関して少し軽い雰囲気があるけれど、僕たちに気負いさせないためなのだろう。……もしくは、不安にならない情報を彼だけは持っているのか。


「何かDVDでも見るか?芳生くんは仮面ライダービルド好きだったよな、オーズ見る?あー…リアタイリアルタイム視聴世代だった?」

「わー!見ます!見ます!一応、リアタイですけど、まだ幼稚園入ってないくらいだったので、もう全然覚えてないんです」

 芳生が思わず立ち上がると、ソファが傾き、ポアは少し不貞腐れた顔で体を背けた。山野はそんな彼にも優しく微笑む。


「あーちんもオーズでいい?」

「あーちん?」

 突然の知らない名前にキョトンと二人。その顔に、彼はハッと少し目をそらして、

「すまん。間違えた」

 と小さく呟いた。

「あーちんって、お友達ですか?」

 身体を小さく丸めて、DVDをセットする山野にポアが言葉を投げかける。

「んん、あぁ……」


 居間に気まずい沈黙が流れる。芳生はモジモジとして、飲みかけのコーラを手を伸ばした。氷の溶けてしまったコップはびしょびしょに濡れていて、ポツンポツンと彼のズボンにしたたった。


「……仲は…よかった…の?」

 いつも明るいポアくんが少し迷った様子で、一人言のように問いを重ねた。

「……そうだね」

 山野さんの言葉と同時に、映像が始まる。

「……すみません」


 消え入りそうな声でつぶやくポアの横で、芳生は一口ほど残った黒い液体をじっと見つめた。両手で抱えたコップの中では、黒と分かれた無色の層で、小さくな氷がゆらゆらと揺れていた。


 ******************************


 気まずい雰囲気のまま、DVDは終わった。ニチアサの明るいBGMが滑るように部屋に流れる。

 手持ち無沙汰でずっとコップを握りしめていた芳生のズボンは、滴る水でびちょびちょになっていた。もうパジャマに着替えていたのに。


 画面が再生メニューに切り替わる。微動だにせず画面を見つめていた山野は画面を消すと、ぐっと俯いて大きく息を吐いた。急に部屋が静まり返り、外で走る車の音が聴こえた。

「…ごめんな…気まずい空気にしちゃって」

 いつになく、モゾモゾと話す彼の顔は陰になっていて、よく見えない。

「…あーちんってのは、親友でさ…。

 …その………。最近、会えてないんだよ」


 すぅーっと風が吹き込む、雨の後のしっとりした夜風。


「…いいですよ」

 山野が目を上げると、少し寂しげな少し懐かしそうな目をしたポアの顔があった。

「ボクのことをあーちんって、呼んでくれても。『ポア』だから、『あーちん』でも変じゃないでしょ」

 ニヤッとイタズラっぽく口元を緩める彼に、山野もつられて頬を緩める。

 芳生はホッとして、コーラをおかわりするために席を立った。ズボンは彼が思ったよりもびしょびしょだった。お漏らしみたいだと三人は笑った。


 ******************************


ポアporeって良い名前だよな」

「えー、そうですか?」

 芳生がソファに戻ると、二人は名前のことで盛り上がっていた。

「“よく考える”って意味のある動詞だろ?」

「あー…でも、名詞だと“孔”、小さい穴ですよ。植物や皮膚に空いてるようなすごく小さい穴」

「でも、“よく考える”ってのは“そのくらい突き詰めて考えろ”って意味になるんだから、やっぱカッコよくねぇか?

 それに小さい穴って言えば、“狭き門”」

 ピクリと動くポアの眉。

「マタイによる福音書の『狭き門』みたいでカッコいいだろ」

「『狭き門』?」

 耳慣れない言葉に芳生が首を傾げると、山野が振り返って、簡単に説明した。『広い門より狭い門』っていうような聖書の言葉があるのだと。


「『周りに流されて努力を怠っちゃいけない』って意味で、広い門が滅びに通じる門というのは、わかるんですけどね…」

 芳生とは違い、キリスト教の話もちゃんと知っているらしいポア。

「……神の国に至る狭き門と奈落へ繋がる裂け目の違いって、一体何なんでしょうね」

 諦めと哀しさが入り交じっているような彼に、芳生は何か言いたげな顔をしつつ、唇を閉じる。まだ、何も知らない彼は黙ってただ二人の言葉を聴いていた。

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