2-8.天へ至るは狭き門
形容し難い色の空。その下で果てしなく広がる砂地に、四角い建造物がポツリポツリと点在する。それは、だんだん集まって、連なり、積み重なり、塔を成していた。
そんな荒野で、何かを探すように、キョロキョロと辺りを見渡す芳生に、ポアは少し首を傾げる。
「どうしたの?何かあった?」
一瞬、少し嬉しそうな顔で何か言いかけて、ピタッと止まる。少し目を泳がせたあと、また少し嬉しそうな顔をして呟いた。
「……何でもないよ」
怪訝な顔をするポアを尻目に、もじもじと爪先で砂地をなぞる芳生。彼はぎゅっと目をつぶると、色のない空を見上げた。
その空には太陽も月も、そして星もない。もちろん、雲も。
ただただ明るい闇が広がっていた。
「…そういうワケで、今回は“部屋”の周りの探索だけ行いました」
「ふむ…。
“部屋”に喚ばれるってことは、異空間に召喚されるってことで、ほぼ確定だな。
ただ、気になるのが…」
「“部屋”が積み重なった塔ね」
考え込むように呟く山野に、
「…申し訳ないが、やっぱり登って見てもらっても」
「ダメっ!!」
バンッと強く机を叩いて、立ち上がる令。
「……中学生二人にそこまでさせるのは…、大人として、どう…なんスかね?」
全員からの視線に少し冷静になった彼女は、しおしおと座りながらも、反論した。
「私たちも任せきりにするつもりはないのよ」
そう
「何スか?コレ?」
「前回の探索で、二人に持っていってもらっていたの。
あっちに行っている二人と連絡がとれなかったでしょ?
向こうがどういう世界か分からなくて、通信のしようがなかったから。それで、コレでテストをしてたのよ」
「じゃあ!」
蛭浜は頷く。
「とりあえず、もう相互に通信は行える筈よ。
まだ、どういう世界かは分からないんだけど。まぁ、悪魔の作る異空間だから、キッチリとした解析は無理ね」
蛭浜は姿勢を正して、芳生とポアに向き合った。
「バックアップは万全に行うつもり。
だから、塔の探索をお願いしてもいいかしら」
大の大人に頭を下げられたことに少し驚いた様子で、芳生はポアと目を合わせる。
「分かりました。
僕たちもそのつもりでしたし」
芳生の言葉に同意を示すように、台所で冷蔵庫の製氷機がガラガラと音を立てた。
「ねぇ、何か隠してない?」
「え?」
作戦会議と夕食を終えた後。芳生と二人、居間のソファでくつろいでいたポアはふいに、静かな口調で尋ねた。
「登るって僕がみんなに言ったこと?ゴメン、行きたくなかった?
でも、ポアくんだって、塔が気になるって言ってたから…。ほら、ひとりのときは塔まで行ってないからって」
「あー、いや、そのことじゃなくて」
珍しく眉間に皺を寄せているポアが何か言い開きかけたときに、ちょうどお風呂上がりらしい山野が牛乳を片手に現れた。
「お疲れ!さっきは無理言って頼んじゃってごめんな」
「いえ、僕たちも塔には興味あったから」
「うん」
令ちゃんたちと比べて、塔の話題に関して少し軽い雰囲気があるけれど、僕たちに気負いさせないためなのだろう。……もしくは、不安にならない情報を彼だけは持っているのか。
「何かDVDでも見るか?芳生くんは仮面ライダービルド好きだったよな、オーズ見る?あー…
「わー!見ます!見ます!一応、リアタイですけど、まだ幼稚園入ってないくらいだったので、もう全然覚えてないんです」
芳生が思わず立ち上がると、ソファが傾き、ポアは少し不貞腐れた顔で体を背けた。山野はそんな彼にも優しく微笑む。
「あーちんもオーズでいい?」
「あーちん?」
突然の知らない名前にキョトンと二人。その顔に、彼はハッと少し目をそらして、
「すまん。間違えた」
と小さく呟いた。
「あーちんって、お友達ですか?」
身体を小さく丸めて、DVDをセットする山野にポアが言葉を投げかける。
「んん、あぁ……」
居間に気まずい沈黙が流れる。芳生はモジモジとして、飲みかけのコーラを手を伸ばした。氷の溶けてしまったコップはびしょびしょに濡れていて、ポツンポツンと彼のズボンにしたたった。
「……仲は…よかった…の?」
いつも明るいポアくんが少し迷った様子で、一人言のように問いを重ねた。
「……そうだね」
山野さんの言葉と同時に、映像が始まる。
「……すみません」
消え入りそうな声でつぶやくポアの横で、芳生は一口ほど残った黒い液体をじっと見つめた。両手で抱えたコップの中では、黒と分かれた無色の層で、小さくな氷がゆらゆらと揺れていた。
気まずい雰囲気のまま、DVDは終わった。ニチアサの明るいBGMが滑るように部屋に流れる。
手持ち無沙汰でずっとコップを握りしめていた芳生のズボンは、滴る水でびちょびちょになっていた。もうパジャマに着替えていたのに。
画面が再生メニューに切り替わる。微動だにせず画面を見つめていた山野は画面を消すと、ぐっと俯いて大きく息を吐いた。急に部屋が静まり返り、外で走る車の音が聴こえた。
「…ごめんな…気まずい空気にしちゃって」
いつになく、モゾモゾと話す彼の顔は陰になっていて、よく見えない。
「…あーちんってのは、親友でさ…。
…その………。最近、会えてないんだよ」
すぅーっと風が吹き込む、雨の後のしっとりした夜風。
「…いいですよ」
山野が目を上げると、少し寂しげな少し懐かしそうな目をしたポアの顔があった。
「ボクのことをあーちんって、呼んでくれても。『ポア』だから、『あーちん』でも変じゃないでしょ」
ニヤッとイタズラっぽく口元を緩める彼に、山野もつられて頬を緩める。
芳生はホッとして、コーラをおかわりするために席を立った。ズボンは彼が思ったよりもびしょびしょだった。お漏らしみたいだと三人は笑った。
「
「えー、そうですか?」
芳生がソファに戻ると、二人は名前のことで盛り上がっていた。
「“よく考える”って意味のある動詞だろ?」
「あー…でも、名詞だと“孔”、小さい穴ですよ。植物や皮膚に空いてるようなすごく小さい穴」
「でも、“よく考える”ってのは“そのくらい突き詰めて考えろ”って意味になるんだから、やっぱカッコよくねぇか?
それに小さい穴って言えば、“狭き門”」
ピクリと動くポアの眉。
「マタイによる福音書の『狭き門』みたいでカッコいいだろ」
「『狭き門』?」
耳慣れない言葉に芳生が首を傾げると、山野が振り返って、簡単に説明した。『広い門より狭い門』っていうような聖書の言葉があるのだと。
「『周りに流されて努力を怠っちゃいけない』って意味で、広い門が滅びに通じる門というのは、わかるんですけどね…」
芳生とは違い、キリスト教の話もちゃんと知っているらしいポア。
「……神の国に至る狭き門と奈落へ繋がる裂け目の違いって、一体何なんでしょうね」
諦めと哀しさが入り交じっているような彼に、芳生は何か言いたげな顔をしつつ、唇を閉じる。まだ、何も知らない彼は黙ってただ二人の言葉を聴いていた。
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