1-2. part.R:首長くして雨雲を眺める

 冬布団のように分厚い雲。

 湿気をまとってどんよりとした空気は、肌をチクチクと刺してくるような気がして、私は嫌いだ。

 ぼんやり、昨日のことを考えていると、頭がズキズキと痛む。…いや、これは気圧のせいか。

 煙を吐き出して、コーラをぐっとあおる。頭の中を不安がぐるぐる巡り、大きなため息が言葉の代わりにあふれ出した。


 ゆっくりと立ち上る紫煙を目で追いながら、昨日のことを思い出して、顔をしかめた。


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 不満げなオーラが放たれていた後部座席から小さな寝息が聴こえてきて、振り向くと芳生よしおは無垢な寝顔を晒していた。

 川崎かわさき芳生よしお。川崎由伸よしのぶの甥っ子。そして私、里見令にとっては、年の離れた弟のような存在。家族ぐるみでお付き合いがあるというだけの近所の子なのだけれど、おしめをしている頃から見ているので、勝手に弟のように思って可愛がっている。ただ、最近ちょっと他人行儀になって少し寂しい。


 それでも、寝顔は変わらない。“令ちゃん!令ちゃん!”と、自分の後ろを付いてまわっていたことを思い出し、ついつい頬が緩む。


「寝たか?」

 先輩はエンジンを切ると、大きく大きく息を吐いて、背もたれに身を預けた。


 辺りを見渡すと、懐かしい雰囲気の漂った店ばかり建ち並ぶ、大通りから逸れた小道。

古書店街神保町なら、王子様のご機嫌も少しは収まるかと思って」

 なるほど、神田まで来たのか。先輩なりに、気を遣ったらしい。


「じゃあ、作戦会議だ」


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 私たちの会社はコンサルティングという名目で、いろんなことをしている。経営・財務・販売促進等に関する業務は勿論、人材に関しては教育・派遣に留まらず、護衛や捜索も行う。そして、この会社の特徴でもある探偵業。

 私がこの会社を選んだきっかけだ。迷い猫・犬の捜索、素行調査、企業調査は勿論、ミステリ作品によくあるような捜査協力依頼、先にもチラッと挙げた人物護衛・捜索依頼などなど。

 要は、“物語の主役になれる”お仕事だ!


 前の職場で、上司をぶん殴ってしまったときは、どうしようかと思ったけど、この会社が求人出しているときに転職出来たのは、幸運だった。よくぶん殴った!よくやったよ、昔の私!


 ただ、私の期待していたような刺激的な依頼はなかなか来なくて、今回の芳生の護衛は実質初任務。親しい知人の事件とはいえ、多少の興奮を抑えられな……イテッ?


「おい!何お前まで夢見心地になってんだ」

 痛い。先輩に見事なデコピンを撃ち込まれた。芳生が寝た途端、強気になりやがった。さっきまで、芳生の機嫌を損ねてオドオドしていたくせに。

「……すまん」

 妙にしおらしくつぶやいた。ホントに何だかよくわかんない人だ。

 先輩は気をとりなおすように、飴玉をポイッと放り込み、再び話し始める。

「あらためて、確認するぞ。

 今回の目的は、“部屋”への手がかりを得ること。芳生くんには、“その部屋で願い事をしない”ことと“塔を見てない俺たちには行けない”ことまで伝えたよな。

 おそらく、今、部屋に居る筈だ。部屋から物を出す仕組みは分からないが、部屋は塔を見た人々が共有する白昼夢みたいなものだろう。とにかく、今は彼を待つしかない」


 彼を助けたいのに、彼の手助けが必要なんて情けない。

 顔に出ていたのか、先輩はいつもの頼りない顔をして、目を逸らした。


「後手後手の下策だって、俺も分かってる。でも、今はしょうがない。手がかりが少ない。

 戻った彼の話を参考に打開策を検討する。

 大丈夫、今回もだろう。身体を守ってさえいれば、大した危険はないさ」


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 そして、半日以上たった今。まだ芳生は眠り続けている。普通の案件でないのは分かっていたけれど。


 令はもう一度コーラを煽ると、大きく息を吸い込んで……。

 盛大にゲップをぶちかました。ムシャクシャしたときは煙草とコーラでゲップに限る。

 私はひとりじゃない。


 気持ちを切り替えて、首の間接を鳴らしながら、振り返ると、あからさまに嫌な顔をした先輩が腕組みして突っ立っていた。

「…よし、行くか」

 ゲップには触れずに、背を向ける先輩。


「……ノックくらいして欲しいんスけど!」

 耳の先っちょが熱を持って真っ赤になっているのを感じながら、先輩の後を追いかける。

 空は雲に覆われていても、雨はまだしばらく降りそうにない。

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