もう1つのお姉ちゃんタイム

 我が間家の家事は大体私がやっている。

 両親は最近仕事が忙しくなってどちらも朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくるから、朝昼晩のご飯の準備は私の役目なのだ。

 一番下の妹にもポンコツと言われる間四葉(長女)だけれど、家事に関してはちょっとした自信がある。給食が出る葵を除いた両親、私、桜の4人分の弁当を早起きして作り、5人分の朝食を準備するのは、文字にすればハードだけれど、私にとっては言葉通り朝飯前なのである。

 それに、嬉しいことだってちゃんとあるのだ。それこそ、私だけが知ってる嬉しいことが。


「ふいぃー……」


 一日の家事を殆ど終えた私は、今日溜まった疲れを癒やすべく湯船に浸かって大きく伸びをした。

 毎日この瞬間がたまらない。暖かいお湯と入浴剤の香りに包まれ脱力する瞬間は何にも代えがたい格別の時間だ。

 今なら全てを忘れられる。散々な出来の宿題のことも、二股のことも……。


「お姉ちゃん」


 不意にドアの向こう、脱衣所から私を呼ぶ声が聞こえた。


「桜?」


 ちょっとぶっきらぼうなその声はすぐに桜のものだと分かる。


「今、ちょっといい?」

「うん。大丈夫だよ」


 少し遠慮するような声を不思議に思いつつ、私はすぐに言葉を返す。

 受験期だもんね。なにか悩みがあるのかも……そういうのを聞くのは、ここ最近めっきり減っちゃったけれどお姉ちゃんの役目だ!


「うん……ありがと」


 桜はそう言って、しかしすぐに用件を伝えてきはしなかった。

 代わりに脱衣所からするすると、衣擦れのような音が聞こえてきて――え!?


――ガチャッ。

「おじゃま、します……」


 そう、突然、なぜか。

 桜が一糸纏わぬ姿で浴室に入ってきた!


「ど、どうしたの桜ちゃん!?」

「えと……どこか、変、かな?」


 桜はもじもじと、自身の身体や髪を撫でつつ、おずおず聞いてくる。


「いや、変じゃないけど……」


 当然身体に変なところはない。あるわけが無い!

 桜も私の可愛い妹で、そして、平凡で非モテを地で行く私と違って凄く可愛い。

 由那にも凜花にも負けないくらいの美少女だ。それは胸を張って言える!


「お姉ちゃん、詰めて」


 え、詰める? 何を? 指?


「んっ!」


 ぼけっとする私に、桜は顎でくいくいっとジェスチャーを飛ばしてくる。

 ああ、詰めろって、湯船をってことかぁ……はい、これでいいかな……って。


 え?


「よいしょっと」


 つい言われたとおりに開けたスペースに、桜がすっと入ってくる。

 いくら子ども同士とはいえ、1人用の湯船に2人で入るのはかなりキツく、私たちは互いに随分と密着してしまった。


「さ、桜?」

「やっぱりもう狭いね」


 私の動揺なんかよそに、桜はぽつりとそう呟くだけ。

 そういえば桜はもうお風呂に入っていたはずだ。だから先に身体を洗わずに湯船に……でも、どうしてわざわざ2回も?


「ん……」


 少し身体を動かすだけで、桜の身体に触れてしまう。

 そしてそのたびに、こそばゆいのか、桜は何かを耐えるような小さな吐息を漏らす。

 

「わ、私、出たほうがいい?」

「だったら入った意味ないし……お姉ちゃんのばか」


 桜は拗ねたように唇を尖らせる。

 けれど、すぐにその表情は笑顔に変わった。


「なんだか随分久しぶりだよね。お姉ちゃんとお風呂入るの」

「ま、まぁね。お互い大きくなったし」

「でもたまに葵と一緒に入ってるでしょ」

「葵はほら、まだ小学生だし?」


 桜も小6まで一緒に入ってたけれど、中学生になってからやめたんだ。

 そんなに昔じゃないのに懐かしく感じる。


「でも、あたしも、お姉ちゃんの妹だもん……」

「桜?」

「最近のお姉ちゃん、葵ばっかり甘やかしすぎ! あたしもお姉ちゃんの妹なんだよ!? あたしのことだって、ちゃんと見て欲しいし……」


 桜はそう言いつつ、私の足を控えめに掴んでくる。

 一個下の、もう大きくなったと思っていた妹の甘えるような行為に、私はつい笑ってしまった。


「お、おかしい!?」

「ううん、おかしくないよ。桜はお姉ちゃんのこと大好きだもんね~?」

「なっ、違っ……わないけど……自分で言う……!?」

「だって桜、お弁当いつも全部食べてくれるし」

「当たり前じゃん、農家の人に悪いもん」

「でも桜だけだよ。空のお弁当に毎日、『美味しかった』とか『ありがとう』とか、一言メモ添えてくれるの」


 いつも洗い物のたびにそれを見て、ああお弁当作ってて良かったなって気分になる。

 メモありがとう、とか言うのはなんだか恥ずかしくて、言ったら照れてやめちゃうんじゃないかって思って、今まで口にできなかったけれど……でも、そっけない態度を取られても、痛いところをつかれても、桜はお姉ちゃん思いの良い子だってずっと信じてこれたのはあのメモのおかげだ。

 それで、これは本当の本当に内緒だけれど、桜から貰ったメモは最初から最後まで全部とってあるのだ。

 小さい頃、宝物を詰めていたクッキーの空き缶に全部大事にしまってある――私の宝物。


「桜も、葵も、私にとっては大事な妹だよ。そりゃあ頼りにならないお姉ちゃんかもしれないけれど、でも、好きって気持ちは頼りになる、ならないとは関係無いでしょ?」

「お姉ちゃん……」


 桜は目を潤ませつつ、すがるように手を伸ばしてくる。

 私はお姉ちゃんっぽく微笑んで、そして優しく桜を抱きしめてあげる。裸で抱きしめ合うなんて初めてだけれど、でも、不思議と恥ずかしさはなかった。


「あたし、あたし……お姉ちゃんには嫌われてると思ってた」

「そんなことないよ。絶対、ありえない」

「だって、冷たい態度いっぱい取っちゃったし……」

「気にしてないよ」


 桜を抱きしめ、頭を撫でながら、私は優しく言葉を返す。

 きっと桜にもつらいことが沢山あるのだろう。受験だって大変だし、それにそういう年頃だ。

 お姉ちゃんが好きなんて言えば、シスコンとからかわれる可能性だってあるだろうし。


「ち、違うの」

「え?」

「あたし、お姉ちゃんが大好きなの。大好きすぎて……超えちゃいそうで」


 超える? 何を? 身長?

 確かに同じくらい(160cm程度)だけれど、別に1個違いだし身長くらい抜かされても……


「お姉ちゃん、変なこと考えてるでしょ」

「へ、変かどうかは分からないけど」

「あたしが超えちゃいそうなのは、一線」


 いっせん? 一戦?


「お姉ちゃんを見るとドキドキするの。ああ、この人のことをもっと知りたい。あたしのことをもっと知って欲しいって」

「や、やだなぁ。お姉ちゃん、お姉ちゃんだよ? 妹のことならなんでも知ってるんだから」

「うそ。知らないでしょ。だって――」


 ぐいっと、桜が肩を掴んでくる。その表情はびっくりするほど真剣だった。


「一緒にお風呂に入るのは子どもの時だけ。でもね、大人同士も一緒に入ることがあるんだって」

「へ、へぇ……?」

「ねぇ、お姉ちゃん、目を閉じて」

「え?」


 ほぼ覆い被さる形で、桜はそう言ってきた。

 一糸纏わず、入浴剤入りのお湯に隠されることもなく、私のより大きくて形の良い胸が露わになっていて。

 桜の表情は今まで一度も見たことがないくらいに、なんというか、色っぽかった。


「さ、桜ちゃん……?」

「目、閉じて」

「は、はひ」


 まるで由那とか凜花から放たれる何かに似たものを感じ、私はつい言われるがまま目を閉じる。


 そして――痛いまでの沈黙が流れた。


(……?)


 真っ暗な世界で、聞こえるのはお湯がチャプチャプ揺れる音と、桜ちゃんのはぁはぁとした息づかいだけ。

 私が動けないように、肩に手が乗せられたままだけれど、でも、何かが起きるようなことはなくて。


「桜……?」


 私は、つい、おずおずと目を開けてしまった。

 すると――


「「ッ!!?」」


 姉妹同士息ぴったりに息を飲む。

 なぜなら、目の前には桜ちゃんの顔が、それこそ鼻先が触れるか触れないかの距離にあって――


「な、なんで目を開けちゃうのお姉ちゃん!?」

「な、なんでって、こっちがなんでだよ桜!?」


 この距離感、まるでキスするみたいな距離だ!

 え? ええっ!? お風呂で大人同士がすることってそういうこと……!!?


「ずるーいっ!!」

「「ッ!!!!」」


 心臓がはじけ飛ぶかと思った。ただでさえドキドキしていたもんだから……!


 突然浴室に響いた3つめの声。それは、間三姉妹最後の1人、葵のものだった。

 当然ながら一糸纏わぬ姿だ。


「桜ちゃんだけズルい! 葵もお姉ちゃんとお風呂入りたいのに!」

「あ、葵!? ちょ、さすがに3人は入れな――」


 なんて、ぎゅうぎゅう詰めになって、痛い痛いと叫びあって――姉妹同士のバスタイムは愉快な喜劇みたいに終わるのだった。

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