合羽凜花

「ごめんね、いきなりメッセージ送って」

「う、ううん」


 日が傾き始めて、由那ちゃんの家を出た頃、スマホにメッセージが届いた。

 それは合羽さんからで、「これから会えないか」というものだった。


 私は悩んだ。だって、ついさっき私は、彼女と聖域を築いていた由那ちゃんと彼女彼女の仲に……は、変か。恋人同士になってしまったのだ。

 よくよく考えれば、それは合羽さんに対する裏切り行為になるかもしれない。


 そんな罪悪感があったけれど……言い知れぬ直感が、私を突き動かした。


――逃げちゃいけない。


 そんな直感に背中を押され、彼女の誘いを受け入れた。


 そして、今――私と合羽さんは二人で夕暮れが照らす河川敷を歩いていた。


「毎朝ランニングしてるんだ。ここ」

「毎朝!? 凄いね……」

「凄くないよ。でも気持ちがいいから。良かったらこのままもう少し歩かない? 散歩くらいでも身体を動かしたら体力増強に繋がると思うし」

「あはは……今日、体育サボっちゃったから丁度いいかもね」


 思ったよりも気軽に彼女と話せていた。

 夕日に照らされた合羽さんは凄く輝いて見えて、どうしたって彼女しか目に入らない。


「ここを一緒に歩くのは初めてだよね」

「うん」

「いつか、一緒にこうして歩けたらって思ってたんだ」


 そう彼女は苦笑する。

 なんだか大げさ……と、普段の私なら笑い飛ばしたかもしれない。

 けれど、なんだか、普段とは違う気がした。私だけじゃない――彼女も。


「ジャンケンで負けて、由那に四葉さんを取られて……凄く悲しかった」

「ぁ……」

「ねぇ、四葉さん。初めて会ったときのこと、覚えてる?」

「も、もちろん。忘れるわけないよ」


 つい今日思い出したばっかりだ。

 なんたって私の高校生活を変えた、変えてしまった出来事だから。


「私も覚えてる。毎日思い出す。あの日の、あなたを」


 彼女はどこか清々しい表情で、空を見上げる。

 雲一つ無い快晴が今の彼女にはよく似合っていた。


「あの日、あなたにあって私は変わったんだ。ずっと子どもの頃から由那と一緒に居て、もちろん由那は大切な友達で――」


 あ、これは……!?

 この展開はっ!!?


「でも、どこかで女の子らしい由那と自分を比べて、劣等感を感じていた。どうしたって、彼女みたいになれない自分は誰にも好かれることはないんじゃないかって」

「そ、そんなことないよ。だって――」

「うん……知ってる。四葉さんが私のことを認めてくれてるって」


 彼女らしからぬ卑屈な言葉をつい正直に否定する私に対し、彼女はすっきりとした笑顔を浮かべた。


「あの日、四葉さんは迷わず私にあのハンカチを渡してくれたよね。あれ、なんとなくいいなって思って買ったものだったんだ。でも、買った後で私より由那に似合うんじゃないかって気がしてきて、私が持ってていいのかって思って……だから、四葉さんがハンカチを渡してくれたとき、私は私のままでいいんだって初めて思えたんだ」


 不意に合羽さんが足を止め、そして私の手を握った。


「見て。あそこの公園も好きなんだ」


 河川敷から川の逆側に逸れた先にある小さな児童公園。

 合羽さんは楽しそうに私の手を引いてそちらへ歩いて行く。

 丁度夕暮れ時で子どもが帰った後――そこは私たちだけの空間だった。


「沢山好きなものがあるんだ。数え切れないくらい……それのいくつか、ううん、多くを好きなままで居られるのは、四葉さんのおかげなんだ。そして……そして、私は……私は、何よりも四葉さんのことが好きだ! 愛してるっ!!」


 私はその高らかな叫びに言葉を失ってしまった。

 周囲に誰も居ないからといって叫ぶなんて……という意味ではなく、ただその熱量に圧倒されてしまった。


「女のくせに女性である四葉さんを好きになるなんて変って思うかもしれないけれど……でも、もう抑えられないんだ。君が好きだ。女性らしさがどうじゃない。合羽凜花という1人の人間として、間四葉さん……あなたが好きなんだ。四葉さんと一緒に居ればもっと沢山のものを好きになれる。そして四葉さんにも沢山のものを好きになって貰って……けれど、きっと、私はもっともっと四葉さんのことを好きになれる……だから……お願い……」


 私と、付き合って。


 そう私の両手を優しく握り、目を見て愛を訴えてくるその姿は正しくイケメンのそれなのだけれど、不安げに瞳は揺れていて、ああ、きっとこの表情は合羽凜花にしかできない表情だ、なんて思って――

 私はただ、まるで池を泳ぐ鯉のようにパクパク口を開けたり閉じたりするしかなかった。


 これが本当の鯉ってやつか……なんて、言ってる場合じゃない!! 口に出してはいないけど!!


『駄目よ四葉!』


 でたなっ、私の中の天使!


『あなたには既に百瀬由那という将来を誓った相手がいるじゃない! 二股はNG! 百合の間に割って入るよりも明らかなルール違反よ!!』


 将来を誓ったというのは少々性急な気がするけれど、でも、今回ばかりは天使の言うことは尤もだ。

 正直、悪魔につけいる隙など――


『待ちなっ!』


 な、なぜ、そんなに自信満々に出てこれるんだ、私の中の悪魔っ!


『2人とも、前提を履き違えていないか』

『前提……?』

『百合は何よりも尊く、優先される』

『ハッ……!!』


 え、なに。

 天使がなんか納得したような声出したけど。


『ポケットを叩けばビスケットが2つ』


 ビスケット……?


『聖域を叩けば――』


 叩けば……?


『百合が2つ』


 ……!!?

 それって、つまり……!?


『間四葉。お前は聖域を叩き割った。しかし、その間にお前が挟まることによって――本来1つしかなかった百合が』


 2つに、なる……


『そうだ。そして百合は無限の可能性を秘めている。二股? 不純? いいじゃあねぇか。オンリーワンを走って行こうぜ! 誰かに認められるためじゃねぇ! お前しか描けない百合を、お前のその手で描くんだよッ!!』

『悪魔さん……パネェ……!』


 天使が闇堕ちしてる!


『いや、ちょっと間違いがあったかもな』

『語弊……? 今の完璧な理論にいったいどんな間違いが……』

『へっ、当たり前のことよ。百合は1人では成らず。百瀬由那。そして合羽凜花。彼女達と作り上げていくんだ。3人で、2つの百合をな……!』

『あ、悪魔先輩ィィィィ!!!』


 ………………はっ!


 おそらく現実では一瞬にも満たない時間。

 しかし、私は確かに答えを――真理を見た気がした。


 そして――


「合羽さん……ううん、凜花さん」

「っ……!!」

「嬉しい。私も、凜花さんのことが好き」


 その答えと共に、私は彼女を抱きしめる。

 私は知っている。姉と、しっかり者と言われる凜花さんが、本当は甘えたがりだってことを。褒められるとむず痒そうにしながらとても喜んでいるのを。

 今だって、告白の返事を待ちながらビクビクとする彼女はとても小さく見えて、でも、すごく可愛かった。


「ほんと……!? ほんとうに、私を……」

「大好き、凜花さん」

「わ、わたしも! わたしも好き! 大好き! 四葉さんのことが、世界で一番好き……! 今までも、これからも、ずっと、一生、来世でも!」


 そんな、重さがスキップで階段を上っていくような言葉を聞きながら、私はもう後戻りできないことを確かに悟った。


 私は聖域をぶっ壊し、奇しくも同じ日に由那ちゃんと凜花さんの2人と付き合うことになった。

 遊びじゃない。ガチ恋だ。実際私も驚くことに、2人とも好きになってしまっているのが分かった。同じくらいじゃない。

 まるでバベルの塔のように、高く、雲より高く、実際どれくらい高いのか分からないくらいに好きになっている。


 けれど、これでいいんだよね。悪魔さん。

 このバベルの塔が神さまから怒りを買ってへし折られてしまうまで、あるいは、2人という翼に支えられ空を飛び、いつかイカロスの如く太陽に焼かれてしまうまで、私は高く上り、昇っていく。

 この百合という、尊い世界を……!

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