十二、相馬太郎
キャンプ場のトイレは、思いのほか綺麗だった。公園の公衆トイレのような、鼻をつんざくような嫌な臭いはほとんどない。
トイレの入り口のドアを開けると、自動で明かりがついた。そこに、尚也さんの姿は無かった。
次に、個室をチェックする。鍵が閉まっている部屋はなかった。
「尚也さーん。いますか?」
返事は無い。個室のドアを、ひとつひとつ開けていく。が、やはり彼の姿は見当たらなかった。
どうしたものか。僕は、ただしばし、その場で呆然と立ち尽くしていた。
いつか、何処かで見たような場面。
屋上前の階段に座り、膝を抱えてうずくまる少年。
「相馬くーん」
男子トイレの入り口に立って、僕を呼ぶ学校の先生。
返事が無いと、個室に僕が入っているかどうかを確認しに来る。その日は、個室には誰も入っていなかった。
「あれ、相馬くんいない?」
そこに僕はいないよ。そう、心の中で呟きながら、僕は先生が何処かへいなくなってしまうのを待っている。
「おーい、相馬くーん。何処にいるの?」
先生が廊下に出る。遠ざかれ。遠ざかれ。僕は心の中で祈る。
僕の期待とは裏腹に、先生は僕のいる方向へ歩を進めてきた。足音がどんどん大きくなっていく。
ああ、もう終わりだ。先生が来る。
先生が、階段を上ってくる音。もう、踊り場のところまで来ている。
僕は真っ赤に晴れた両目をワイシャツでこすり、目回りについた涙をできるだけ沢山拭き取る。
「相馬くん、こんなところに居たの? 教室戻ろう」
先生が、今自分の目の前に立っている。それは重々わかっている。
だが、どうしても、その事実を受け入れたくなかった。頭が重い。いっぽうで、体は妙にふわふわする。
睡眠リズムの乱れにより、僕はほとんど寝ていなかった。寝付こう、寝付こうと思うほど、目が冴えてしまって眠れない。学校のことを思うと、不安で心中穏やかでは無くなる。
このままでは、到底生きていける気がしない。未来のことなんか、想像したくもなかった。
果たして、僕らしい僕、本当の僕とは、学校に行ける僕のことを言うのだろうか。もしそうなら、今の僕はいったい何者なのだろう。
今の僕が、今の僕である限り、輝かしい未来は訪れない。来る日も来る日も、学校に行ける自分、本当の自分を、夢にみていた。教室で他の生徒と、楽しく談笑する。部活でライバルと、タイムを競り合う。一度で良いから、そんな思い出をかじってみたい。
何度も、自分を変えようと試みた。
でも結局は、結局最後には、「僕」は「僕」として生きていくしか無いのだと思い知る。個性に色があるとすれば、僕の色は、きっと灰色だ。
学校に行けないという色。学校が合わないという個性。
何度やっても、自分の色を変えて、本当の自分に出会うことは出来なかった。
深呼吸をして、キャンプ場のトイレに意識を戻す。さあ、大変なことになった。
トイレのドアを開け、尚也さんがいなくなったことを伝えに、少し早足でみんなの居る場所に向かった。
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