第67話 指導者の顔

 翌朝、ヒルダとの集合場所には子供たちが十二名、やって来た。

 皆、一様に大あくびをして眠そうな顔をしている。


「先生、この子たちはなんです?」


 あからさまな貧民を間近に、ヒルダの使用人たちは嫌そうな表情を浮かべていたものの、ヒルダ自身はリンデルに仕置きされた経験が活きているのかそれほど忌避感はなさそうだった。


「新しい弟子だよ。ヒルダも一人よりは稽古が捗る。彼らと共に励みなさい」


 ヒルダは解ったような解らないような顔をして曖昧に頷く。


「俺のいた国では、先輩と言えば後輩には時々飯を奢らなければならん代わりに、労働力として使ってよかったんだ。日頃からマメに面倒を見ておくと引っ越しの時なんかに便利だぞ」


 裕次郎のジョークに、ヒルダは更に混乱した。

 ついてくる子供たちから少し離れて、ランジットが見送りに来ていた。

 子供たちの中で彼だけが、自分を律する者の顔つきをしている。


「裕次郎さん。じゃあ仲間たちを頼むよ」


「いいとも。二、三日のうちにおまえたちの仕事も見つける。天気も良くて、なにかを始めるにはいい日だ」


 殊更に言うほど晴れているわけではないが、ポジティブな言動で自らの精神をコントロールするのは裕次郎の癖である。

 

「こら、裕次郎。そんな事より早う行け。ワシも暇ではない!」


 傍らに置かれた荷車の上からリンデルが喚く。

 街中で買い集めたり、ガガがくれたりした薬品やその原料が山盛りに乗っており、その頂点に彼女が座っていた。

 そろそろ街中の仮家が手狭になってきたので森にある本宅に移すというのだ。

 ちなみに、森の本宅には小さな人造人間たちが家守として居残り、畑も含めた管理も行っているので泥棒被害などは滅多にないらしい。

 まったく、エルフを薄気味悪い連中などとよく表現できたものだと裕次郎は思う。

 ともかく、と裕次郎は子供たちにもついてこいと命じて車をゆっくりと牽き始めた。

 早歩き程度のゆったりとしたペースに一団がゾロゾロとついてくるが、一キロも行かないうちに音を上げた者がいた。リンデルである。


「おい、あまり揺らすな。荷が傷むしなにより至宝たるワシが……」


 なんの事は無い車酔いである。

 しかし、そもそも道が悪いので揺らすなとは如何に裕次郎でも無理な相談だ。


「気をつける」


 裕次郎は明朗に返すと、特に気にせず足を進めるのだった。


 ※


 農村に着いた一行は、中継用にストルテンバーが用意してくれた屋敷の周囲で休憩をした。昨日よりもゆっくりとした移動に脱落者は三割程度だろうか。


「先生、それでどうしますか?」


 汗を滲ませつつ、早くもスロージョギングの調子を掴んだらしいヒルダが聞く。


「ううん、オマエたちを少しここに置いて、リンデルを森へ送ってしまいたかったが……」


 リンデルに目をやると両手で大きくバツを作る。真っ青な顔が痛々しい。

 車酔いが酷いらしい。無敵の竜にも妙な弱点があったものだ。

 集まってワイワイと騒いでいると顔なじみの農夫たちが様子を窺いに来た。


「とりあえず、飯だな」


 裕次郎は彼らを捕まえると、小銭を渡して食事の用意を頼む。

 

「で、飯を食う前に一つ鍛錬法を教えよう」


 裕次郎は木の棒を拾うと、地面に大きく円を描いた。

 鍛錬法という言葉に目を輝かせたヒルダがその後ろをついて歩く。


「どんな稽古ですか? なにかお手伝い出来ることは?」


「うん、この円の内から石を拾って外に投げなさい」


「はあ、なるほど足腰の鍛錬ですね」


 見当違いを呟いてヒルダが小石を拾い始める。

 他の従者や子供たちもそれに倣う。

 グルグルと四周して、円の線が十分に濃く、深くなったころで棒を捨てる。


「よし、全員円から出ろ」


 指示に従って円には裕次郎だけが残った。

 ぐるりと取り囲む視線に、かつて子供たちを教えた日々を思い出す。


「俺の故郷では相撲という格闘技があった。ルールは難しいからよく聞け。この円を土俵というが、土俵に二人が入り戦う。相手より先にこの円から出るか、足の裏以外を地面に付けたら負けだ」


 ここまでは至ってシンプルである。世界に数多ある組技系の格闘技でもシンプルさは一番だろう。

 が、その他にもルールはある。


「互いに見合って、準備が出来たと思えば手を地面に付け。互いに手を着いた瞬間から勝負開始。相手を叩いてもいいが、拳は握るな。平手ならいい。目を突くな。噛み付くな。耳を叩くな。それから本当はダメだが、相手の服は掴んでいい。とりあえずはそんなところだが、まずは相手を円から押し出すことを狙ってみろ」


 一つ一つ、動きを交えて説明すると、一番小さい子を選んで土俵に入らせた。

 

「実際にやってみよう」


 蹲踞の姿勢をとり、先に手を着いた裕次郎に対し、小さな少年はおっかなビックリに地面へ手を下ろした。

 裕次郎は前進し、少年の両脇に手を差し入れると、ひょいと持ち上げて土俵の外へそっと下ろしてしまった。当たり前の、あっさりとした決着。


「これで勝負ありだ。わかったか。この中で弱いと思う者から順に土俵に入れ」


 その言葉に、少年たちは顔を見合わせ、次に小さい子が入って来た。

 全く同じように裕次郎は土俵から出す。

 次、次と一人ずつ胸をあわせる内、子供たちも段々と大きく力強くなり、向こう気も強くなってきた。

 正面から勢いよくぶつかってくる者。掌底を打ち当てようとする者。足を引っかけて転がそうとする者。

 裕次郎も楽しくなってくるが、自分を抑えて一人ずつ優しく捌いていく。

 と、最後の二人になってヒルダと年嵩の少年が残った。

 いかにも、喧嘩が得意そうな少年はヒルダに先に行くよう顎で促す。

 

「あ、なんだ貴様。言っておくが私の方が先輩だぞ!」


 ほんの一日の差を嵩に着るヒルダに苦笑しつつ、裕次郎はヒルダを指名する。


「先生、何故ですか。私の方があの子よりずっと強いのに!」


 それはそうだろう。

 きちんと武術を修めた腕利きの彼女は、この中では裕次郎に次いで強く、その実力は他の子供たちなど寄せ付けない。

 しかし。

 手を地面に落としたヒルダは裕次郎の突進を直前でいなして横へ跳んだ。

 不意を突いたつもりの動きは、しかし裕次郎によって読まれており、即座に間合いを詰められるとヒルダはなすすべ無く押し出されてしまった。

 

「やあ、待たせたな。小僧」


 悔しがるヒルダを余所に、裕次郎の視線は少年に向けられていた。


「名前は?」


「デレクオサ」


 それだけ言うと土俵に入って来た。

 いい目だ。裕次郎は素直に思う。

 瞳に光る凶暴さ。肌に匂う粗暴さ。おそらくランジットがいなければ彼がリーダーだっただろう。


「なるほどね。まあオマエさんで最後だ。思い切り来なさい」


 裕次郎は両手を地面に付ける。

 瞬間、顔面に向かってデレクオサが足を振り上げた。

 首を振って避けた裕次郎に、デレクオサは距離を詰めて拳を振りかざす。


「発気よい!」


 裕次郎は楽しそうに言うと、勢いよく立ち上がりながら肩でカウンターを取った。

 そもそも、立ち上がりに勢いよく前進する為の構えだ。

 ドン、と胸に体当たりを受けたデレクオサは小さな声を残して後ろに転がる。


「はっはっは、悪かったな。まだオマエは手を着いていなかった」


 裕次郎は地面に転がるデレクオサに笑いながら詫びる。


「ほら、立て。もう一番、どうだ?」


 やはり、本気で向かってくる者はいい。そこに力の差など関係ない。

 その顔は反抗者をねじ伏せた者特有の愉悦に歪んでいた。

 しかし、待ってもデレクオサは泡を吹いて転げ回るばかりで立ち上がってこない。

 ガッカリして裕次郎は頭を掻くと、周囲に向かって言った。


「ええ、見ての通り。相撲でバランスを崩す蹴りや、手の骨を折るかも知れないパンチなんてバカのやることだ。そんなわけで各自交代で相撲を取りなさい。これは稽古だから、全力ではやらなくていい。互いに怪我のないように」


 こうして裕次郎の号令のもと、青空相撲教室が朗らかに始まったのだった。

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