第68話 狂犬小僧
適当な椅子を引き寄せて、裕次郎は相撲の行方を見つめていた。
負けた者が替わり、勝つ者も三連勝で交代させる。こうするとまんべんなく身体操作の才能が見えてくるのだ。
やがて、食事が運ばれて来て、食べながらも相撲は続く。
特に小さい子ほど熱中して押し合い、勝てば素直に喜んでいた。
「おい、もう大丈夫か?」
裕次郎は隣に来たデレクオサに声を掛ける。
まだ片手で胸を押さえながらも、動ける程度には回復したらしい。
「なんてことねえよ」
強がり、怒ったような表情を見せる。
「オマエさん、親が嫌いかね?」
「大嫌いだね。殺してやりたいよ」
問いの答えは間髪入れずに打ち返された。
「殺したい相手がいるというのはいいことだ」
視線を相撲から外さず、裕次郎は少年を褒める。本心からの言葉だった。
復讐や殺意は動機として強い部類に入る。その結果として、常人では届かない場所まで届く者もいる。
凶熱に身を焦がして狂ってしまう者の方がずっと多いだろうが。
「アンタも、仲間を怪我させた。俺はアンタだって嫌いだよ」
その言葉に苦笑し、裕次郎は立ち上がった。
真正面からデレクオサの目を見つめる。そこにはなににでも噛み付く狂犬の光が灯っている。
「アンタ、じゃなくて先生と呼びなさい。俺にものを教わりたいのなら、それが最低限の礼儀だ。他のことは重要じゃない。デレクオサ、君は俺が座っているときに殴りかからなかった。もちろん、座っていようと寝転がっていようと俺が負ける事は無いが、それでも立ち上がった俺と向かい合うよりも奇跡が起こる確率はずっと高い」
裕次郎は両手の平を胸の前で開いた。一本締めの号令を待つように。
「殴りかかってきても先生と呼ぶなら弟子として接しよう。アンタ、と呼ぶなら純粋に襲撃者として迎え撃つが、どちらがいいかね。デレクオサ」
ただ、手を開いて立っているだけの男に、デレクオサは気圧されて喘いだ。
脂汗が全身に浮き、苦しくて目を細める。
巨大な肉食獣。そんなものが眼前にいて舌なめずりをしている様だった。
大きな顎が生臭い息を吐き散らし、獲物に噛み付いて飲み込む理由を探している。
「……先生」
デレクオサがどうにか呟く様に言うと、獣は霧消してどこかへ去り、ただの男が立っていた。
しかし、裕次郎の表情はどこか不満気であるので、言葉が正解だったのかは解らない。
よし、と言いながらパンと手を叩いた裕次郎は土俵を指した。
「とりあえず自分の立ち位置を知ってきなさい。おい、ヒルダ!」
ちびっ子の相撲をにこやかに見ていたヒルダが呼び声に応じて立ち上がる。
「デレクオサが君と勝負したいそうだ。総領弟子の座を懸けてな!」
自らを除けば浮浪児ばかりの一門で、総領弟子もないものだ。
裕次郎はそう思うのだが、この言葉に入門二日目の最古参は激しく反応した。
「それは、いくらなんでも舐め過ぎでしょう」
目つきを尖らせ、額に青筋を浮かべたヒルダは土俵に入って行く。
子供たちが目を見合わせて土俵を取り囲んだ。
仲間内では腕っ節でならしたデレクオサと、よその若い女。
彼らとすればデレクオサに勝って欲しかろう。
期待の視線を受けながらデレクオサが緊張していくのが解る。
「ほら、ガチンと勝ってこい。相手は女だ」
低いところで比べれば個人差でしかないが、体重や筋力において、平均値や最大値は男性の方が優位に高い。また、直接的な暴力に触れる経験も一般的に言えば男性の方が多い。
デレクオサは頷いて足を踏み出す。
フラフラとした足取りで土俵の中央に立ち、ゆっくりと手を着いた。
瞬間、ヒルダの足が跳ね上がりデレクオサの顎をガチン、と打ち抜く。
「先生、これでいいですか?」
ベシャリと崩れ落ちたデレクオサを余所にヒルダが嬉しそうに手を振る。
「ず……ズルいぞ」
地面に力なく転がったデレクオサの抗議に、ヒルダは冷たい視線を落とした。
「バカを言え。貴様が先生にやったことだ。他人にやったことが我が身に返ってくる事くらい、いつも考えておけ。それに先生もおっしゃった様に、この相撲というものの中では蹴りを狙う方が不利だ」
単なる反則を、まるでハンデをやったのだと言わんばかりに誇るヒルダはなかなか頼もしい。
そうでなくても、武術に関する稽古の量、栄養状態、実戦の経験、人を殺した数のあらゆる面でヒルダの方が有利だった。不意打ちを打ったのが逆でも結果は同じだったろう。
「そうコロコロ昏倒させるな。後に残るぞ」
ムッスリとしたリンデルがゆっくりと歩いて来た。
車酔いがだいぶ収まったのだろう。
「お、元気になったんなら行こうか。荷車に乗れよ」
「絶対にイヤじゃ!」
キッとした表情で睨み付けるリンデルを無視して裕次郎は子供たちに告げる。
「デレクオサの様に倒れた者は向こう三日間、稽古は見学のみとし、体を動かすことを禁止とする。それから、俺がいないときはヒルダの指示を仰いで稽古しなさい。ヒルダ、ちょっと出てくるから、片付けて子供たちを家に入れておいてくれ。君と従者は帰っていいよ」
そう言い残すとリンデルと裕次郎は二人ならんで森への道を歩くのだった。
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