希望の子ら
第58話 顔役
「だから裕次郎さん、そんな気軽に声を掛けて貰っても困りますって! 俺はアンタと絡みたくないんだから!」
雑踏の中でサッカラが心底から嫌そうに言った。
周囲には四名ほどの取り巻きを引き連れており、険しい表情をしているが当のサッカラが絶対に手を出すなと厳命しているので複雑な表情で裕次郎を見つめている。
「寂しいこと言うなよ。移民のアンタならわかるだろ、知っている者のいない街で知り合いに会えたときの嬉しさを」
「じゃあ言わせて貰いますけどね、文句の言いづらい厄介な知人がたんびたんび声掛けてきたら気が滅入るでしょうよ。アンタと会ってからこっち、碌なことがありゃしないや」
渋い顔で首を振るサッカラは、一刻も早く切り上げてその場を去りたそうだ。
場所はスラム街に近い大通りで娼館が立ち並ぶ通りに近く、サッカラもそこからやって来た様だった。
「なんだよ、俺はこれでも道場じゃ優しい裕次郎先生で通ってたんだぞ。狂犬みたいに言うなよ。そういや、オマエのところに槍使いがいたな。ちょっとアイツらと喧嘩させてくれないか?」
「……狂犬そのものじゃないかよ。勘弁してくれよ!」
サッカラが呻いて髪を掻きむしる。
と、離れたところで悲鳴が沸き起こった。次いで物が壊れる音が響く。
裕次郎は即座にサッカラへ背を向けて、騒動の中心に向かった。
「金を出せと言ったら素直に出せよ!」
若い、まだ十代前半くらいに見える少年が騒動の中心で露店の店主らしき男を蹴りつけていた。
同時に、もう一人の少年が売り物を蹴散らしながら金の入ったザルに手を伸ばす。
辻強盗というには少し趣が違うな。
裕次郎は思い、足を踏み出した。その背に後ろから声を掛ける者がいた。
「裕次郎さん、やめときなよ。アイツらは面倒だ」
振り返るとついてきていたサッカラが眉間に深い皺を寄せている。
「アンタはいいのかい。この辺の顔役なんだろ?」
裕次郎の問いにサッカラは下唇を噛んだ。
しかし、こういう無軌道な連中を制してこそ顔役でいられるのではないだろうか。
「あそこで殴られているオヤジは移民じゃない。俺たちに金も払っていない。関係ないね」
「殴ってる方は関係あるのか?」
裕次郎の問いにサッカラが口を開くよりも早く、二人の少年は走り去っていた。
いずれも薄汚れた服装をして、目ばかりがギラギラと光っていた。
「ここじゃなんだ。裕次郎さん、ちょっと付き合ってくれよ」
サッカラはそう言うと先に立って歩きだした。
やはり珍しくないのだろう。通行人たちは何事もなかったかのように歩き出し、暴行を受けた男だけが呻きながら泣いていた。
※
サッカラが案内したのは娼館が立ち並ぶ一角の軽食屋だった。
店主はサッカラの顔を見ると恭しく挨拶し、奥まった座席に案内した。
店内にはこの辺りで働いているのだろうボーイや女給が慌ただしく簡単な食事を口に運んでいる。
「例えば、あの小僧どもがこの店やここに居並ぶ客を加害すれば俺も黙っちゃいない。だが、あそこで俺たちが大きな顔してあのガキを締め上げてみなよ。ストルテンバー様の機嫌次第によっちゃ、その日のうちに俺たちは罰を受けるだろうよ」
裕次郎は初めて会った時の様な剣呑さをサッカラの眼に見ていた。
元来、危ない連中の元締めである。
「小僧どもというが、さっきの二人の他にもいるのかね?」
その問いにサッカラはため息を吐いた。
「いるねえ。三十人くらいはいる。奴らは皆、親に捨てられた孤児なのさ。俺たちは結束を旨としているから子捨てを固く禁じているが、そうじゃないヤツの方がこの街には多いらしい。可哀そうな連中でね、苦しみながら日々を生きているよ。だから、俺はあいつらが生きるために多少悪いことをしても責められんのさ。かつての俺も、そりゃガムシャラに生きていたし多少の悪いこともやってきたから気持ちはわかる。だから裕次郎さん、アンタもアイツらを放っておいてくれないか」
孤児か。
裕次郎はかつて、様々な国で孤児を見てきた。
豊かな国でさえ十分に福祉が行き届いているとは言い難い。
孤児は単独で、福祉の必要性を訴えなければならないが、それは口で言うほど簡単ではないのだ。
その上、保護者のいない子供はとかく食い物にされやすい。
とくに貧しい国へ行けば大人は彼らを働かせ、給料を値切ったり払わなかったりする。それでも孤児は文句を言ってくれる保護者を持たない。
最悪、こっそり殺されたって誰も捜査などしてくれない。そうでなくても道端で死んでいるのが孤児である。そんな社会も確かにある。
そんな連中がどうなるかといえば、一部はやはり徒党を組んでの犯罪行為に沈んでいくことがある。もっとも、孤児じゃなくたって人間の一部は徒党を組んで犯罪行為に手を染めるのだから、ことさらに言ったことではないのかもしれない。
「な、サッカラ。らしくないじゃないかよ。殊勝なフリをしてつまらんことを言うなよ」
差し当たって、目の前の老人がまず、人間を食い物にしている男だ。
裕次郎は鼻で笑いサッカラを見つめた。居心地悪そうにサッカラは視線を逸らす。
「あの連中は便利に使えるので、手を突っ込んでかき回さないでくださいとはっきり言ったらどうだね」
犯罪組織はよく孤児の集団を使う。小間使いとして、あるいは捨て駒の兵隊として、あるいは商品として。
なんせ文句を言って来たら殴ればよく、死んでも自分の懐は痛まない。
取っ組み合いになっても大人と子供の体力差があるので下手に大人を使うより安全というオマケつきだ。
サッカラがそういった事例の外でないのは彼の表情を見ればよく分かった。
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