第57話 束脩
空を弾むように移動し、王都に到着したのは太陽が昇る日の出ごろであった。
早朝から郊外に屯する五十ほどの歩兵と、それを指揮するストルテンバーに声を掛け、金貨を用意するように告げ、ついでにヒルダも引き渡してしまった。
次いで宿舎への道を歩いているとガガも「しばらく一人で考えたい」と言い、どこかへ歩み去ってしまった。
赤砂入りの瓶は結局リンデルが預かっているのでそのうち取りに戻っては来るだろう。
燃え尽きた復讐者を見送るといつもの二人である。
「裕次郎、朝じゃぞ。日課の走り込みはよいのか?」
リンデルは並び始める露店を見ながら呟く。
裕次郎は徹夜がたたり、眠たいようなむしろ起きて居たいような妙な体調になっていた。
「楽しくて、疲れたからな。こういう時はむしろ走りたくなる。だが、今日はやめておこう。ストルテンバーやヒルダが樽で金貨を持ってきたら、運ぶのも大変だろ」
「樽……金貨。その樽は大樽かの?」
「ああ、きっとそうだろうよ」
裕次郎の無責任な言葉に、リンデルは嬉しそうにはにかむ。
色素の薄い髪が朝日にきらめいて黄金に見えた。
さて、自分は本当にこの娘を助けたのだろうか。裕次郎は気まずくなって頭を掻く。
だが、せっかく上機嫌なのだから野暮な質問をしてご主人様の機嫌を損ねることもないだろう。
※
宿舎に帰って仮眠をとっていた二人は、メドウに起こされた。
「あの……リンデル様、裕次郎様、お客様です」
呼び起こされて裕次郎は即座に覚醒した。
寝起きはいい。いつ寝込みを襲われるかわからない暮らしを長くしていたのですっかり癖になっているのだ。リンデルも比較的寝起きはいい。これは彼女が長らく一人で暮らし、何事も自分でやっていたためだろう。寝続けている限り食事にもありつけないし仕事も進まないのだ。
「客というのは誰だね?」
裕次郎は布団から這い出、上着を羽織りながら尋ねる。
「ええ、ストルテンバー様です。それにもう一方、女性もお連れでして」
ということは連れの女性はヒルダだろう。
太陽の傾きを見れば昼を少し過ぎた頃だ。気の利いた忠臣は行動が早くて助かる。
「樽は持ってきたんじゃろうな」
眼光鋭くリンデルが問いただすが、そんなことをメドウに聞いても仕方あるまい。
「ほら、リンデル行くぞ」
裕次郎はタンスから上等なワンピースを取り出し、リンデルに手渡した。
自らも寝間着から余所行きの服に着替えると二人して寝室を出た。
連れだって一階に降りると、そこにストルテンバーが立っていた。
「ん? なにやってるんだよ。座って待ってりゃよかったんだ」
裕次郎はアクビを噛み殺しながら四人掛けのテーブルを見た。
「あれ、ヒルダ……じゃないな」
机の横に立っていたのは上品な服を着た、ふくよかな中年女性だった。髪を後ろで束ね、穏やかに笑っている。
それでようやく気が付いた。
ストルテンバーがリンデルを前にしても歯が浮くような言葉を吐かない。そうして、いつも余裕を湛えた表情を崩さない伊達男が指先まで緊張していた。
「ふん、なんじゃその女は?」
リンデルはまだ気づいていない。というよりもこの少女にとってそんなことに気を回す必要がないので気づきようがないのかもしれない。
「これはこれは、ご機嫌いかがですか。女王陛下」
裕次郎は襟を正しながら恭しく礼をした。
四十代も半ばを折り返したような年頃の女はにっこりと笑みを浮かべる。
「ご丁寧にどうも。魔女の騎士さん。魔女様にも、お初にお目にかかります。このバグアラスタ王国で王位についています。ゼアーリエと申します。この度は、妹のヒルダをお救い下さり、また大きな課題であった魔術結社の壊滅にも尽力いただいたとのことで、お礼に参りました」
「ああ、ヒルダの姉か。あんまり似ておらんの」
無礼といえばこれ以上ない無礼な態度でリンデルは椅子を引いてどっかと腰かけた。
「ん……待てよ。女王といえば、最近どこかで聞いたぞ。はて、どこだったか?」
顎に手を当て、リンデルは裕次郎を見上る。
「どこってオマエ、召喚状を送りつけてきて断ったら討伐隊を送って来た張本人だろうが」
その言葉を聞いてストルテンバーがぎょっとした表情を浮かべる。
「おお、そうじゃった。そうじゃった。どこかでのぼせ上がった者が、たしかそんな御大層な号を名乗っとったのう」
「リンデル様、それはまことに不幸な行き違いで……あなたに直接矢を向けたのは私ですので、もし許されますれば私の首でその件は流してください!」
慌てて割って入るストルテンバーに、リンデルは意地悪く笑って見せた。
「ワシに首などというナマグサものを受け取って欲しくば、中に金貨をぎっしりと詰めてから差し出せよ」
「その件については大変な失礼があったと聞いております。その件のお詫びも含めて本日は参らせていただきました。宮廷まであなた方をお呼びだてするのはやはり失礼だし、他の者の眼があると取れない行動、言えない言葉があるものですから」
女王はストルテンバーを制して穏やかに言う。
「本当ならあなた方の働きは勲章や叙勲に相応しいものがあるのでしょう。しかし、あなた方がそんなものを喜ばないのも、むしろ失礼に当たるのもわかっておりますので、控えておきます。ですが、これを機にあなた方の様な方々とは縁を繋いでおきたいのも本音ですので、こういうお願いをさせていただきたいと思います。それで、魔女様には私の師として今後、諸々の相談相手になっていただきたいのです。いかがですか?」
女王は笑っているが、裕次郎は気づいていた。
おそらく今後も同様の事態に対処させる為、リンデルを手元に置きたいのだ。王宮に無関係で魔術に長け、さらには様々な薬も作れる。飼い慣らせばこれほど便利な駒もあるまい。
しかし、へりくだられ、持ち上げられると無性に弱いリンデルは渋い表情をしながら嬉しそうに「どうしようかのう」と答えていた。
「貴様が誰であろうと関係はないが、そこまでいうのなら考えんこともないがの。しかし、ワシは弟子を取らん主義で……」
王女が目配せするとストルテンバーは足元の袋から金属片を取り出した。
ゴトン、と机に置かれたのは大きな金塊だ。
四角く固められているが、数キロはくだるまい。
当然、リンデルの頑なな態度も一瞬で蒸発する。
「とりあえず、こちらが毎月の指導料ということで。そうして相談料も」
ゴトン、ともう一つ同じ大きさの金塊が机に置かれた。
「する! 弟子にする! ギャー、ワワワ、ワシの金塊じゃ!」
リンデルはピョンと跳ねると机の上の金塊二つを手に取り床の上を転げまわった。
一心不乱に盛るリンデルをよそに、裕次郎は女王とストルテンバーを相手に細かい条件などを詰め、口約束を取り交わす。
やがて、日も傾き掛けた頃、女王とストルテンバーは宿舎からこっそりと帰って行ったのだった。
※
「あの、裕次郎様」
メドウが机に座っている裕次郎にオズオズと声を掛ける。
「そろそろ夕飯の支度をしたいのですが、あの……」
メドウの視線の先にはまだ金塊と戯れて台所を転げまわるリンデルがいた。
「ああ、いい。なんか適当に買ってきてくれ。まだ忙しそうだ」
裕次郎に言われてメドウは買い物に出かけて行った。
果たしてこの一人乱痴気騒ぎはいつ終わるものか。
困ったものだと苦笑しつつ、それでも主がたまらなく嬉しそうなので、裕次郎も嬉しいのであった。
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