第53話 インフルエンストンボ

「なるほど、面白い。この瓶がミソじゃ」


 担がれることに慣れたのか、逃げる裕次郎の上でリンデルは奪った瓶をシゲシゲと眺めていた。

 裕次郎は通路の先を睨みながら出口を目指す。

 時折、グロウダッカの構成員が立ったまま走り去る裕次郎に視線を向けるが、裕次郎の存在を判断するよりも早く駆け抜けるため、今のところは順調に足を進めていた。


「術理も体系もクソもない、原初の魔力制御が施されておるわ。つまり安定じゃ。例えば大抵のエネルギーは生み出された瞬間に熱か光、あるいは音になって消える。魔力も本来はそれと同じで放出されると同時に現象となって消費される。イラの魔法とはつまり『人間から抽出した魔力をトンボに変える』ものだったんじゃな。それを固定し砂粒上に安定させるのがこの瓶の役割じゃの!」


 言いながら小瓶の中の砂を数粒放る。それは地面に落ちるよりも先にトンボへと変じて羽ばたきだした。

 

「ちょ、やめろよ。俺もキツいんだから!」


 裕次郎は走りながらもそれを確認して抗議の声を挙げる。

 長い登り坂をトンボに追いつかれぬ速度で、ましてリンデルを担いでではいかに裕次郎でも息があがった。

 

「心配するな。ほれ、見てみい」


 リンデルの言葉にチラと振り返ると先ほど発生したトンボはすれ違ったグロウダッカの構成員に襲いかかっていた。


「ある程度の速さで走れば、トンボは状況も理解していない奴らの方へ行くわい」


 沸き上がる悲鳴に楽しそうなリンデルの言葉が重なる。


「あのトンボどもは単純で、複雑な判断はせん。敵味方もおそらく『術者とそれ以外』で分けておるのじゃろ。発動してしまえば術士のコントロールも不要じゃし、大量に同時発動できる。しかし、一匹一匹は決して常識外れに強いわけではない。誰かさんはいいようにやられておったがのう」


「悪かったな!」


 嫌みに対して毒づきながら、それならと裕次郎もペースを落としていった。

 苦しいが足を止めたりはしない。常日頃から走って鍛えているのは生存率を挙げる為だ。

 前世でも街中の喧嘩から密林のゲリラ戦まで、自らの足で移動できるということはいつも大きなアドバンテージだった。走りながら呼吸を整え、階段を上っていく。

 

「なあ、リンデル。しかし赤砂は俺たちが見てる前じゃ瓶から取り出したって普通の砂粒だったじゃないかよ。なぜ急にトンボになったんだ?」


「そりゃ、マブヤブの精神に感応して安定が崩されたんじゃろ。魔導具の燃料やワシがガガを治療した様に魔力結晶である赤砂は様々な事に応用できる。しかしマブヤブは貴様を攻撃する為に隠し持っていた赤砂を本来の魔法に戻したのじゃ。ただし、肉体的にも精神的にも不安定にあったマブヤブは赤砂の一部に自らの念を乗せてしまった。つまり『トンボに成れ』という思考じゃが、それは赤砂から赤砂に伝播し、本来なら一掴み分で十分だったにもかかわらずかなり広範囲で赤砂のトンボ化を発生させてしまったんじゃな」


 なるほど、それであらぬ方からもトンボが飛んできたのか。

 裕次郎は納得して頷く。

 

「この辺り一帯では瓶や小瓶に入っていない分の赤砂はトンボに変じたじゃろう。楽しい話じゃ!」


 ゲッハッハと笑いながらリンデルは裕次郎の背中をバンバンと叩いた。


「痛いって。それで、あのトンボたちはどうなるんだ?」


「ふむ、あれは魔力を虫の形に成形しているだけじゃから別段、生殖能力も持たぬし野生に帰ったりはせんよ。内包しておるエネルギーを使い果たしたら存在を維持できずに消えるじゃろ。発動したのがオリジナルの使い手であるイラなら別じゃろうけどの」


 裕次郎の行く先でも悲鳴が上がり、顔の肉を一部食いちぎられた男が飛び出てきたが、特に用があるわけでもないので無視して通り過ぎる。


「イラだったらどう変わるんだよ」


「ああ、この瓶とマブヤブが使ったトンボの魔法を見るにトンボは餌を穫ると本来はこの瓶に戻って来るのじゃな。そうして砂粒に戻り、餌をとった分だけ赤砂が増える。その後、必要があれば再びトンボに変じて飛び出していく。それがずっと繰り返されるだけの実に単純な魔法じゃの」


 リンデルは簡単に言うが、餌があればそれだけ無限に赤砂が増えるということではないか。

 

「それが上手くいってりゃ、オムニアたちもわざわざ人を連れてきて、冷却時間を気にして、なんて面倒な作業は必要なかったのにな」


 それこそ集落などで魔法を使えば人間の数だけ赤砂が手に入っただろう。

 思えばオムニアの目的は封印された本体の復活であるという。そのために赤砂を奪い、赤砂を増やすために苦労を重ねた。とんでもない苦労人ではないか。しかも赤砂を増やす作業において国から目をつけられ、あげくには裕次郎とリンデルが乗り込んできたのだ。異形の怪物でありながら同情したくなる不運さだ。


「トンボの飛行距離はどんなもんなんだ?」


「さて、飛行には莫大なエネルギーを必要とするものじゃが、あの虫どもは実在の飛行生物を模しておるのでエネルギーの効率が異様によい。しかも顎以外は非力で軽いのでな……まぁ中にはやたらでかいトンボも混じっておったが、いずれにせよこの山の麓までということはあるまいがな」


 それなら犠牲になってもグロウダッカの構成員か誘拐された連中くらいだろう。オムニアの様な怪物や、トロール兵などを抱えるグロウダッカが自爆に近い形で傷を負ってくれるのなら許容の範囲だ。

 

「あのトンボたちなら機材も壊さんし、オムニアも食い尽くしてくれりゃ楽なんだがね」


 裕次郎の言葉にしかし、リンデルはゆっくりと首を振る。


「そう甘い相手じゃなかろう。少なくともオムニアは不死に近い。この程度の密度で、しかも本来の形じゃない魔術形式のトンボくらいじゃ火力が足りんよ」

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