第52話 厄介

 飛び散った破片に触れないよう、裕次郎はスルリと立ち上がった。

 周囲にはフルフルと震える真っ黒い組織が散らばっている。

 要はスケールメリットの問題なのだと裕次郎は納得した。

 オムニアの様に大きな一塊であれば感情さえも持ちうるスライムが、欠片となると本能的に寄り集まろうと動くことしか出来ない。

 小さな個体にとっては振りかけられた砂粒さえが致命傷になるが、おそらく巨大化していけばリンデルのいうとおり不死に近づいていくのだろう。

 

「わ、わ、ダエッタ!」


 マブヤブは転げ落ちながら椅子を飛び越えるとまだ痙攣するダエッタの首なし死体にとりついた。

 

「死んじゃだめだよ!」


 何を言っているんだこいつは。そもそもオムニアに占有された時点で個人としてのダエッタは死んでいたのではないか。などと思うより早く、裕次郎の足はマブヤブの顔面を蹴り抜いていた。

 マブヤブの前歯が折れ、飛んでいく。

 ガキはいつでも暴発するものだ。マブヤブはどう見ても老人だが。

 さすがにマブヤブの行動が読めなかったのか、驚いたような表情を浮かべていたオムニアも一瞬遅れて動き出したがもう遅い。


「動くな」


 裕次郎の足はマブヤブの首に乗せられ、リンデルに飛びかかろうとしたオムニアはピタリと動きを止めた。

 マブヤブは目を回して口から赤い泡を吐いている。

 

「マブヤブを放してくれ。先ほどの攻撃は心から謝罪する。用件も聞く。グロウダッカの解散ならすぐにでも……」


 オムニアが思わず同情したくなるような表情で懇願した。

 

「潔いじゃないか。もちろん、いいぜ。グロウダッカの解散と赤砂関連の奪還がとりあえず俺の仕事だ。おまえらをイジメたいわけじゃない」


 裕次郎自身、特別に恨みもないのだから、彼らを許すのはやぶさかではない。

 もちろんガガの仇であり、金になりそうでもあるので、皆殺しにするのもいい。

 いずれにせよ交渉は有利な時に限る。


「待て、裕次郎!」


 椅子に座っていたまま事態を静観していたリンデルが、突然声を張り上げた。

 なんのことかわからず、裕次郎はぽかんと口を開けてリンデルを見つめた。

 視線を戻すといつの間にか、マブヤブが両目を固く瞑っている。わなわなと動く唇は何事か呟いていた。

 苦しいのか。そう思った裕次郎は視線を再びリンデルに向けた。


「何を待てばいい?」


 リンデルに問いかけた瞬間、ふくらはぎに痛みが走った。

 馬鹿な。

 マブヤブが刃物でも隠していたとしても、首に置いた足の裏を通じて動きは読めたはずだ。

 そう思い、視線を足に向けた裕次郎の眼に映ったのは血を噴くふくらはぎと飛び去る赤い虫だった。

 いや、見知った虫に似ている。赤トンボだ。

 視線が無意識にトンボを追いかけ、次いで左手の甲にチカっとした痛みを感じる。

 慌てて左手を見れば肉が食い破られており、血が滲みはじめていた。

 やったのは先ほどとは別のトンボで、やはり素早く飛び去って行った。

 

「こいつは……!」


 中空を滞空する無数のトンボに裕次郎は顔をしかめる。

 と、背中に何かがぶつかり、裕次郎は吹き飛ばされた。

 受け身をとりながら立ち上がると、一瞬遅れて背中から激痛を感じる。

 見れば一抱えはありそうな巨大なトンボが肉片を咥えて高度を上げていた。

 

「ゲェェェ……!」


 裕次郎から解放されたマブヤブが転がりながら血の混じった反吐を吐いく。

 

「おお、イラの魔法を復元したのか。見た目通りのマヌケではないのだな」


 立ち上がったリンデルが感心したようにうなずく。

 

「ほれ裕次郎、もう動いてよい。ぼさっとしていたら殺されてしまうぞ!」


 つまりリンデルはマブヤブの魔法が発動するのを感知し、裕次郎を止めたのだ。

 おそらくどんな魔法を使うか興味があったから。

 その引き換えに攻撃を受けることになった裕次郎は文句を言おうとしてすぐに止めた。

 それどころではないからだ。

 十数匹のトンボが唸りを挙げて飛来するのを横っ飛びに避けると、背中の痛みに荒い息を吐きながら手を振った。

 間合いの中にいたトンボをめがけた一閃はしかし、空を切るに留まる。

 クソッタレ、トンボを素手で追ってどうする。毒づく間もなく一匹のトンボに肩の肉を噛みちぎられた。

 裕次郎は日本刀でトンボを斬って落とすことが出来る。

 それは父親から徹底して叩き込まれた流派の演武だった。

 だが、ただ宙を舞うトンボと群れになって攻撃してくるトンボでは大きな違いだ。今は日本刀よりもバトミントンラケットが欲しい。

 寄って来たトンボを手で払い、マブヤブに向かって走った。飛び回るトンボよりも操作者を先に打った方が早い。裕次郎はまだうずくまっているマブヤブに向かって走り出す。

 同時に向こうからオムニアもマブヤブに向かって飛び出していた。

 奇妙な怪物とは触れ合いたくない。裕次郎は方向を転換してリンデルの方に向かった。

 痛みを我慢してリンデルを担ぎあげると、そのまま走って赤砂の入った瓶を奪う。


「ぎゃあ!」


 頭上から声がして人間がバラバラと落ちてきた。

 数人が器具に落ち込んで猛烈な熱を発する。

 と、変換された赤砂は器具から転がり出ると同時にトンボへと変じ、どこかへ飛んで行った。

 

「おい、ワシに触れる時は事前に許可を取れとあれほど……」


 リンデルの文句よりも裕次郎の注意はオムニアとトンボたち、それに上部から降ってくる生贄たちに注がれていた。


「ひょっとして、敵味方を区別していないのか?」


 術者の錯乱か、そういう性質か。

 よく見ればトンボたちはマブヤブの他はオムニアにさえも噛みついて攻撃を仕掛けていた。

 

「その様じゃ。本能的に動きの鈍い、喰いやすいヤツから狙うのじゃろう。そら、動き回らんと次は貴様が餌に定められるぞ」


 どこから取り出したものか、膏薬を裕次郎の背中に塗りつつ、リンデルは尻も叩くのだった。

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