第44話 影のゴルン

 額に青筋を立て激怒したダエッタに向かい、裕次郎は距離を詰めた。

 迎撃の為に延ばされた剣の直前で裕次郎は急停止し、体さばきを交えたフェイントにダエッタの上半身が流れる。

 裕次郎の剣は蛇の様に跳ね上がり、伸び切ったダエッタの左腕をかすめ半ばから切断する。

 しかし、ダエッタの血走った目は欠片も意欲を失わずに裕次郎へと注がれていた。必殺の間合いの内側で、裕次郎は剣を振り上げている。

 ダエッタが右腕一本で振り落とした剣撃は裕次郎の命を奪う筈であった。裕次郎に対真剣の体術がなければ。

 片手で剣を握るダエッタの右手首に、裕次郎は左手の甲を押し当てて力を流した。左手を反転させ右手を脇に差し込めば払い腰の完成である。

 柔道の術理に従って足を跳ね上げるとダエッタの体は綺麗に跳ねて地面に背中から落ちた。

 下は岩場であり、裕次郎も手加減をしていない。

 ダエッタは表情を歪めて口を動かしているが、背中の強打により呼吸が出来ないのだろう。背骨か肩胛骨くらいは割れたかも知れない。

 裕次郎は掴んでいるダエッタの右手から親指をへし折った。次いで、小指と薬指も捻り折るとそれでダエッタは脅威ではなくなる。手の構造として、剣が握れないのだ。

 

「よし」


 裕次郎はダエッタの襟首を掴むと強引に引き立たせた。

 

「……殺せ!」


 苦痛と恥辱に染まったダエッタの声を無視し、裕次郎は仲間たちを呼んだ。

 目論見通り、矢は降ってこない。ダエッタに人質としての価値があったのだろう。

 しかし、人命の価値は常に時価である。いつダエッタの命が暴落し、諸共に矢を射てくるか解らない。

 

「今のうちに移動するぞ」


 裕次郎はダエッタを担ぐと、再び腕輪の力を発動して跳んだ。

 およそ防衛側に有利となるように配置された道を警戒して進み、弓隊の射程外まで出る。

 あといくつ防衛線が敷かれているものか。まだ高い山の頂上を眺めて裕次郎は思った。

 瞬間、鈍い音がした。

 確かに、裕次郎は先行きに思いを馳せた。しかし、警戒まで解くほどに間抜けではない。

 それでも、そこには血反吐を吐いてうずくまるガガと、影から抜け出した様な漆黒の人影がいた。

 

「ガガさん!」


 ヒルダが剣を抜いて影に向ける。

 リンデルを庇いながら戦闘に流れ込もうとした裕次郎の視界に、ガガがゆっくりと動いているのが映る。

 懐から赤砂の入った小瓶を取り出し、親指を弾く要領で裕次郎に撃ち出したのだ。裕次郎は瓶を受け取ると素早くポケットに納めた。

 

「その瓶を返しなよ」


 黒い影は穏やかな口調で言った。よく見れば全身に黒い毛をまとった犬のような獣人である。


「用件の前に名を名乗ったらどうだ?」

 

 裕次郎は剣を抜いて獣人に言った。

 

「岩兎のゴルン。用はその瓶の奪還だ。それにダエッタさんの救出と」


 音もなく振り上げられた足がガガの顔面を蹴り飛ばす。


「君たちの抹殺」


 今の一撃はそれほど効いていない。裕次郎はガガのダメージを正確に見積もっていた。蹴られて鼻が折れてしまっているが、頬骨は折れていない。

 それよりも初っ端に貰った一撃が脇腹に重大なダメージを与えている様だった。

 

「高望みしてるんじゃねえよ」


 裕次郎は抜いた剣先をダエッタの喉に突きつける。

 しかし、ゴルンは眉の一つも動かしはしない。


「ダエッタはここで死に、瓶も俺が持っている。オマエがガガを殺している間に少なくとも俺は逃げる。結果として任務は全て失敗だ。たいした有能さだな、岩兎!」


「これでもか?」


 ゴルンは簡単にヒルダの懐に入り込むと首に手を掛けた。

 それだけでヒルダの手からは剣がこぼれる。血管を指先で締めている。チョークを熟練者がやれば人間は一瞬で動けなくなる。


「ほら、すぐに死ぬ」


 その言葉に対して、裕次郎は担いでいるダエッタをゴルンに向かって放り投げた。受け止めなければ岩場に頭から落ちる。そして、悪ければ死ぬ。

 裕次郎の問いかけに対して、ゴルンが出した回答はやはり手にしたヒルダの発射だった。胸に当てた手を瞬発的に押す事でヒルダの体は布切れの様に飛んでダエッタに打ち当てられた。グルンと一回転したダエッタは背中からヒルダの上に着地した。

 ヒルダはむせているので死んでいない。その音を横目に裕次郎はゴルンとの間合いを詰めた。


「ジットラより少しは強いのか?」


 ゴルンは素手である。挙動は小さく、それでも暴威は大きい。

 裕次郎の剣による突きはゴルンの手によりあっさりと払われた。

 ほんのわずか、触れられただけの剣先が金槌で叩かれたかのように手へ痺れを残す。

 発剄使いだ。

 裕次郎の脳裏にはかつて戦った拳法家たちが浮いていた。特殊な体重移動で見た目以上の運動エネルギーを稼ぎ相手にぶつける、まるで魔法使いの様な戦い方をする技術。

 裕次郎も演舞程度の技は修めたものの、実戦に用いる程は磨いていない。

 しかし、対抗法は徹底的に磨いていた。再び剣を構えてゴルンに突撃する。狙いは下腹部。

 ゴルンの太股は滑らかに持ち上げられ、突かれた剣を弾く。

 足でもって剣先を綺麗に受け流されてしまった。裕次郎の上体は前のめりに流れた。

 だが、本来の狙いは次のタックルである。ゴルンの浮いた足に裕次郎は肩から槍と化してぶつかっていった。

 動き始めた力は地面から足を伝い体幹を用いて増幅される。なら、力の増幅されない足だ。

 しかし、一瞬目の前が真っ白になり、裕次郎は弾き飛ばされていた。

 首の痛みに顔をしかめながら裕次郎は慌てて立ち上がる。奥歯の噛み合わせも悪いし、背中も痛い。下半身へのタックルに対して腰での発剄でカウンターを取られたのである。自動車に跳ねられた様な衝撃に裕次郎の足はふらついた。

 不十分な一撃でこれかと裕次郎は思わず笑ってしまった。それほどに強い。

 ゴルンはゆっくりと裕次郎に近づいてくる。


「あきらめな。僕はジットラよりも強い。君たち全員を殺すのに時間は掛からない」


「いや、嬉しくなるよ。仙人のような腕前だ。それだけに惜しい」


 裕次郎はそう言うとポケットから小瓶を取り出した。

 ゴルンは目を細めて裕次郎を見つめる。


「こんなもんがなけりゃ、もっとじっくり戦えたんだけどな」


 裕次郎の言葉が終わるより先に、ゴルンは目を見開いていた。

 その腹には槍の穂先が生えている。石製の槍先が背中から貫通したのだ。ゴルンの背後でガガが苦しそうに喘いでいた。

 裕次郎のふらつきも、小瓶を出しての視線誘導も、全てはガガの攻撃への布石となった。


「な、高望みだっただろ」


 いたずらっぽく言って、裕次郎は舌を出すのだった。

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