第28話 印地
裕次郎がマディとともに土手の端に腰かけ、待っていると果たしてガガが戻って来た。
「む、オマエは……」
ガガが鋭い表情で裕次郎を睨む。
「よう、ガガ。奇遇だな」
裕次郎の軽口には応えず、ガガはため息を吐く。
何の用か、などと問う気はないらしい。
「オマエは俺を付け回さないと言った。約束した。ガッカリだ」
確かに家を訪問しリンデルに会って貰えば以降は構わないと明言した以上、これは信頼への裏切りであり嘘を吐いたと責められても仕方がなかった。
だが、裕次郎は頭を掻くと立ち上がってガガの前に立った。
「悪いな。その約束は結果として嘘になった。実はこう見えて俺は嘘もつくんだよ」
膨れ上がる緊張の気配に、裕次郎は表情を歪めた。
明確な殺気が濃密に押し寄せ、額に脂汗が浮く。
それが溢れて流れ落ちる寸前、ガガの腕が一閃された。
待ち受けた攻撃を裕次郎は避け、大きく間合いを開けた。
如何に手足が長かろうと離れてしまえば関係ない。そう思った裕次郎の判断ミスだった。
ドン、と音がして激痛が走る。わき腹に直径十センチほどの石がめり込んでいた。
ただの石ころがやたらと重い。強烈な威力に息が詰まる。歪む視界の隅でガガは腕を動かしていた。
続く投石の一撃をどうにか左腕で防げたのは冷静さと経験のなせる奇跡だ。
代わりに、左腕前腕はおそらく折れた。
なるほど。
奇妙な体つきは野球の投手に似ている。
涎を垂らしながら裕次郎はさらに距離を取った。
ガガは裕次郎を睨んだまま腰の小袋から石を二つ取り出す。
「痛ぇ、印地打ちを喧嘩に使うやつを見たのは初めてだ!」
痛覚を頭の中から蹴り出しながら裕次郎は怒鳴る。
ただの投石でさえ人間の命を容易に奪う危険な行為であるのに、ガガの動きや攻撃は明確に体系的な武術のそれだった。
投石のもっともやっかいな所は、手で防いだら手が壊されることである。
つまり避けねばならない。
印地打ちは術者から距離が近ければ当たりやすくなる。遠ければ反撃できない。なかなかに厄介だ。
獣を屠るという男だ。逃げればどうやっても背を打たれるだろう。
ガガの視線を見れば裕次郎に集中しており、フェイントやステップなども通じそうにない。
「やめろマディ、オマエは手を出すな!」
裕次郎はガガに視線を据えたままマディに怒鳴った。
ほんの一瞬、ガガの視線がマディに逸れる。
そこに立つ、ハナからなにもする気がなかったマディを見てガガはどう思っただろうか。慌てて戻した視線の真ん中に裕次郎が迫ってきているのを認識したときは。
裕次郎はガガに飛びつき、二人もつれ合いながら土手を転がり落ちていく。
「獣相手の狩りとは違うんだ。理解したら落ち着いてくれよガガ」
寝技は練習時間が圧倒的にものを言う。
河原に落ちた裕次郎はあっさりとマウントを取り、ガガの右手首を右手で引っ張ると自由になるのは二人の間で裕次郎の左手だけになった。
「落ち着いたらこのまま聞いてくれ。俺は嘘もつくが、オマエのことは嫌いじゃない。これは本当のことだ。だから、友情に免じて石は捨ててくれ」
ガガは数秒、考え込んでいたが押し黙ったまま手のひらを開き、石を捨てた。
それを見て裕次郎はホッと息を吐く。
自由になる左手は既に折れているのだから、ガガの足掻き次第では状況をひっくり返されることを覚悟していたのだ。
しかし、ともかく終わった。
裕次郎は立ち上がると、掴んだままの右手でガガを引き起こした。
戦闘終了と同時にアドレナリンが去っていくのを感じる。
やがて、折れた腕は耐え難い痛みを主張し始めるだろう。
「なあガガ、ところでオマエが探しているのは雄牛のバリオという男じゃないか?」
その問いにガガは眉を寄せた。
「バリオ?」
「ああ、悪かった。エルフの薬を取り扱っている盗賊らしい」
するとガガは無言で捨てた石を拾い、小袋に納める。
「そのバリオという男の居場所を教えろ」
大当たりだ。
裕次郎は内心でそう思った。
森から出ない筈のエルフが何故街を歩き回っているのか、それが疑問だったのだ。ガガは盗みに入った賊を追って森を出て来たのだ。
しかし世間ずれしておらず、口べたで異形のガガが上手いこと情報を集めるのも困難だったのだろう。こんな河原に寝泊まりし、日がな堤防の上をうろついたって得られるものなど少ない。
やっと掴んだ情報に、ガガは臨戦態勢を取りつつあった。視線と、息づかいや雰囲気がそれを知らせる。
彼は裕次郎と違い、対人戦の専門家ではない。獲物を狩る狩人なのだ。
それも一流の仕留め手である。
「もちろんだ。しかし、少し待て」
裕次郎は今にも走り出しそうなガガに言った。
彼を止めたい訳ではない。
「痛くてたまらないんだよ!」
先ほど去ったアドレナリンが再び呼び戻されつつある。
しかし、そんな鎮痛作用じゃ追いつかないほどに左腕は怪我を知らせてくる。
少なくとも、応急手当としばらくの休憩を必要としているのは間違いない。
鼓動の音に合わせてうずく、腫れ始めた左腕を見せながら裕次郎は舌を出すのだった。
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