第29話 治療薬

 ガガは河原の藪に分け入り裕次郎を手招いた。

 痛みをこらえて歩いて行くと、ガガは土の中から素焼きの壺を取り出して見せる。

 蓋を開けると強烈に不快な臭いが辺りに漂った。

 

「くせぇ、なんすかソレ?」


 土提を降りてきたマディが素っ頓狂な声をあげる。

 

「正真正銘、エルフの薬だろ。催淫剤なんかじゃないがね」


 壺の中には黄緑色の軟膏が入っていた。

 ガガは壺を差し出して呟いく。


「厚く塗れ。痛みがマシになる」


 裕次郎は言われるまま、壺の中身を右手ですくうと左腕に塗り込んだ。

 骨折部分は文字通り傷口に触れる鮮烈な痛みをもたらしたが、それ以外はひんやりとして気持ちがいい。軟膏の正体や原料については努めて考えないようにする。

 壺を再び土に埋めると、ガガは裕次郎の左腕をとった。

 手際よく触診が行われ、裕次郎は激痛に飛び上がりそうになる。


「単純骨折だ」


 ガガはそう診断すると近くの木から枝を手折り、どこからか取り出した紐で手際よく添え木を当ててくれた。

 

「まあ、そうだろうね」


 裕次郎も頷く。

 稽古訓練から実戦まで骨を折った回数は人後に落ちない。そのため、ダメージの量はある程度正確に把握できていた。

 ガガは石とは別の皮袋から小さく、茶色い玉を取り出す。


「これを舐めろ」


 泥の様な色をしているが、妙に光沢がある。

 飴玉?

 怪訝な表情を浮かべる裕次郎にガガは説明をした。


「痛み止めと炎症止めを果糖と樹脂で包み乾燥させたものだ。よく効く。ただし、かみ砕くと効き過ぎるからゆっくりと舐めろ」


 なんとも小汚い飴玉だが、好意を断るわけにはいくまい。

 裕次郎はそれを受け取り、口に入れた。

 サンザシのような甘みが、案外と旨かった。

 

「それで、森に入ったバリオという男はどこにいる?」


 ガガは眉間にシワを寄せ、訊ねる。

 

「案内してやるよ。その前に教えて欲しいんだが、バリオを見つけたらどうする?」


「盗んだものを返して貰う。俺はそのために森を出てここへ来た」


「エルフの薬を?」


 わざわざ取り返しに来るほど、エルフの森でもその手の薬が貴重なのだろうか。


「違う。幻覚剤の類ではない。そもそも、それは薬ではない。我々はそれを守るために森に籠もった一族なのだ」


 ガガの目はギラリと光り、口からは剣呑な吐息を吐く。

 バリオという男はよほど大層な宝を盗んだらしい。

 裕次郎はまだ見ぬ盗賊に同情を寄せた。

 

「まあ、いいだろう。乗りかかった船だ、俺も行くよ。この飴玉のおかげで痛みも引いてきたしな」


 流石にエルフの薬は効き目が確かのようで、いつの間にか鈍痛も小さくなっていた。

 

「場所だけ教えてくれ。その先は俺一人でいい」


 ガガは裕次郎の申し出を、首を振って断った。


「いいって、遠慮するなよ。多生の縁だ。リンデルもオマエを気に入っているし、俺もオマエが好きだ。友情の証と思って手伝わせろよ。そもそも、バリオは盗賊でもあるが商売人でもある。だから事務所があり、居場所を掴むのは簡単だったんだ」


 ガガも普通に聞き込みが出来ていればとうにたどり着いていただろう。

 

「ふん、それではそっちのでも案内は出来るのか?」


 ガガがマディを差して訊ねた。


「もちろん」


 裕次郎が頷くと、ガガは鼻から大きく息を吸った。

 

「裕次郎、オマエは嘘つきだが腕が立つ。森ではそれだけで敬意を払われる。森の外でこんなに話したのはオマエたちだけだ。だから、友情は素直に嬉しい」


 ガガは立ち上がると地面から数本の棒を引き抜いた。長さは七十センチほどだ。割られた石が穂先として固定されているので手槍だろうか。

 しかし、それにしては短すぎる。裕次郎はその棒について判断を付けかねた。

 いずれにせよ、出発するのならついて行かねばならない。

 歩きだそうとして、裕次郎は膝をついて崩れ落ちた。

 いつの間にか、全身に力が入らない。

 いや、知れたことだ。

 鈍い舌をどうにか動かして口から飴玉を吐き捨てた。

 

「裕次郎、オマエと違って俺は嘘つきではない。それは確かに痛み止めと炎症止めの薬だ。しかし、本来は砕いて欠片を湯に溶かすものを、ゆっくりと舐めていればそうなる。薬師から貰ったものを無警戒に口に入れればそうなるのだ」


 とうとうと語るガガの声も徐々に遠のいていく。

 完全な判断ミスだ。

 これではリンデルに会わせる顔もない。

 薄れゆく意識の中で、裕次郎は近づいてくる二度目の死を思った。


 ※


 目が覚めたのはベッドの上だった。

 体のどこにも麻痺はない。

 上体を起こして突いた手が激しく痛むので、骨折はしている。

 ということは再度転生をしたわけでも、ガガのことが夢だった訳でもないことを意味していた。

 よく見れば、そこは裕次郎の寝室である。

 ベッドから這い出て、明かり取りの鎧戸を開けるとおそらく夕方なのがわかった。

 状況を把握するために身体の調子を探りながら呼吸を整える。

 ひどく喉が乾いており、わずかに全身がしびれてはいるが動けない程ではない。

 気配を殺し、そっと扉を開けて廊下に出る。


「あ、やっと目を覚ましたな!」


 廊下で作業をしていたらしいリンデルにあっさりと見つかってしまった。

 仕方ないので裕次郎は咳払いを一つし、リンデルに訊ねた。


「誰が俺をここまで運んできた?」


「ん、ガガじゃ。貴様がそう名付けたと本人が言っておったわ」


 なるほど。

 ガガは倒れた自分をここに運び込み、それからバリオの元へ向かったのだろう。

 裕次郎は状況を理解して頷く。

 

「おい裕次郎、やっと起きたか。オマエは三日も寝ていたぞ」


 台所のテーブルに座って当たり前の様に製薬作業をしているガガが裕次郎に声を掛けてきた。


「バリオはハズレだった。確かに森に忍び込み薬を盗んでいたが、俺の捜し物は持っていなかった」


 ガガは淡々と言い、頭を掻いく。

 

「しかし、俺一人ならそのハズレにも行き当たらなかった。すまないが友情に縋らせてくれ。力を借りたい」


 思い詰められた者特有の焦燥感がガガの瞳には宿っていた。

 目的の為なら誇りも流儀もこだわっている余裕はないのだろう。


「大馬鹿者め、裕次郎の許可なんかいらぬ。貴様はワシの助手になったのだぞ。その対価なら裕次郎がしっかり働くわい。のう、裕次郎」


 呵々と笑ってリンデルが言った。

 なるほど。

 裕次郎はひどい喉の渇きと、おおよその話の流れを知り苦笑するのだった。

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