第26話 縁者

 翌早朝、裕次郎は目立たない服に身を包み、市場に向かった。

 およそ、市場には商売人と商品の他に厄介者が息を潜めているものである。

 雑多な人ごみを避けながら露店を冷かしてまわっていると、いた。

 壁にもたれて通りを眺める男は、スリの機会を狙っているものか、恐喝の獲物を物色しているものか。

 いずれにせよ、堅気ではあるまい。

 

「や、待たせたね」


 親し気に声を掛け、その男が目を細めて振り向いた瞬間、顎を掌底でかち上げた。

 ガクンと力が抜ける男の体を支えながら人気のない路地裏に連れ込み地面に転がす。


「な……なんだ?」


 攻撃された事さえきちんと把握出来ていない男は、身を起こそうとして地面に崩れた。

 脳震盪により平衡感覚を失っているのだ。


「おいおい、大丈夫か?」

 

 尋ねながら、裕次郎は男の胴体に腰を下ろした。

 

「先に聞くが、オマエさんどこかの組織に属しているかな? 特にサッカラのところかストルテンバーの配下だったら、今のうちに言えよ」


 男の、揺れる眼球が裕次郎に向けられ、口がパクパクと動く。


「どちらでもないな。よしオマエさん、名前はなんというのだね?」


「誰――アンタ?」


 瞬間、裕次郎の手が平手のまま、男の頬を数回張った。

 痛みはそれほどでもあるまいが、衝撃は伝わるだろう。


「名前は?」


「……ぶっ殺すぞ」


 反抗的な言葉をしっかり聞き終えてから再度、頬を打つ。

 細かく、鋭い平手打ちは男がどちらを向いても正確に頬に吸い込まれる。


「名前は?」


「痛いんだよ!」


 頬を打つ。


「名前は?」


「……マディだ」


 同様のやり取りが十数回も続いた後、諦めたように男は名乗った。

 

「よし、マディ。オマエの仕事はなんだね。そうして、サッカラとストルテンバーとは関係ないかね?」


「ストル……誰? 仕事は引ったくりだよ」

 

 マディは頬を張らして答えた。

 目にはうっすら涙が滲んでいる。


「そうかい。じゃあ、引ったくりは今日で廃業だ。ところでマディ、オマエは牢屋に入るのと、俺の配下になるのはどちらがいいね?」


 裕次郎の手がマディの前髪を掴むと、ゆっくり押しつけた。

 後頭部が地面に当たり、ゴツンと音を鳴らす。


「痛い、ちょ、やめてくれよ」


「嫌だね」


 裕次郎の手がマディの頭を引っ張り上げると、再度地面に押しつける。

 

「どうだ。牢屋か配下か、決まったか?」


「配下になる。もうやめてくれよ!」


「よし、いいだろう」


 裕次郎はあっさり手を離すと、立ち上がってマディを引き起こした。

 

「裏切ったら、後頭部を割られるものと思え」


 脅し半分で裕次郎は告げる。

 本当に殺すかはそのとき次第であるが、後頭部を押さえるマディの目に、叛意は沸きそうにない。

 

「俺のことは、そうだな。親分と呼びなさい。わかったね」


「……うっす」


 不服そうな、というよりも何が起こったのかも分からない表情を浮かべたマディの肩を叩き、裕次郎は背中の泥を払ってやった。

 

「あの……親分?」


 マディは先ほどまでの剣呑な雰囲気をすっかり失い、怯えを含んだ青年の表情になっている。

 

「俺、引ったくりを辞めたら食っていけないんだけど……」


 不安そうな言葉を裕次郎は笑ってごまかした。

 

「俺が面倒を見てやるし、うまくやれば小遣いは弾むよ。な、心配するな」


 こういうのは根拠がなくとも頼もしく言うのがコツである。

 かつて、様々な国でこうやって手下を作って来た。

 長く付き合った者もいればすぐに捨て駒として斬り捨てた者もいる。

 

「はぁ」


 半信半疑ながら、マディは頷いた。

 

「なあ、マディ。オマエにも悪党仲間がいるだろう。実は媚薬を探していてな。薬屋を紹介してくれよ」


 ※


 道中、それとなくマディの身の上を聞き出すと、なかなか興味深いものだった。

 川向こうに存在する独立領の農村で生まれ、十五の年で喧嘩の末に人を刺して出奔。川向こうの都市で人足などをして糊口をしのぐものの、徐々に身を持ち崩していき、窃盗や恐喝に手を染め、治安維持局に追われた末に川を渡って来たのだという。

 

「あっち側でお尋ね者になっても、こっちでは関係ないんでね」


 連邦捜査局が設立される前は、アメリカだってソ連だって警察は縄張りを超えた捜査権限を持っていなかったし、隣の町でも管轄が違うと情報の共有をしようともしなかった。ここでもそのような状況なのだろう。

 そうしてマディは数か月前にこの都市に流れ込み、日銭を稼ぎながら今日に至ったらしい。

 

「一応、そこの宿が今のねぐらです」


 マディが指し示したのはいかにもなボロ宿だった。

 看板には『銀の屋根亭』と書いてある。

 マディに宿泊金額を聞けば、なるほど頷ける安さであった。

 

「あんまり、他の悪党とか知らないけど、この宿に沈んでいる連中くらいなら」


 ふむ。

 扉を開けて中に入ると、すえた匂いが漂っている。

 共用便所が廊下の奥から猛烈な主張をしているのだ。

 

「いらっしゃい。泊りかね?」


 三分の一ほど白髪を混ぜた髭と黒髪の老人が裕次郎に声を掛けた。

 彼の視線は裕次郎に注がれたあと、マディに向けられる。


「アンタ、客だろうね。うちは客以外の立ち入りを禁止しているんだ。マディもそれはわかっているだろう」


 酒枯れた喉が、聞き取りづらい声を発する。

 

「ウチは最低で十日以上止まる者だけを客としている。アンタ、何泊する予定だね?」


 なるほど。まあ、木賃宿はそんなものだろう。

 裕次郎は小銭を出すと老人に握らせた。

 

「客じゃない。が、このマディと縁を持ったのでね。マディが世話になっているというアンタに挨拶に来たのさ。こいつで酒でも飲んでくれよ。そうして、これからもマディをよろしく頼む」


 三日分ほどの宿賃に等しい額を握らされて、老人は照れた様に笑みを浮かべる。

 その口に歯がほとんど残っていないことが、裕次郎には印象的だった。

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