第25話 エルフ

「待ちなさい」


 声を掛けその後にどうするのか、具体的に決めていたわけではない。

 しかし、まずは踏み出さなければ場が荒れない。場が荒れた後にこそ裕次郎の棲み処はあるのだ。

 エルフは立ち止まると振り返り、冷たい視線で裕次郎を睨め付ける。

 およそ、他者の生命を奪うことに斟酌しない者特有の光が瞳に映っていた。

 

「なんだ?」


 体格に合った、低く太い声が裕次郎に向けられる。

 

「いや、用という程じゃない。おごるから、そこらで飯でもどうかね」


「いらん」


 それだけ言うとエルフはフイ、と向いて反対側に歩き出した。

 

「まあ待てよ。ヤサはこの辺かね」


 言いながらエルフの前に回り込もうとした瞬間、長い腕が空間を走った。

 速い、目にもとまらぬ一撃が間一髪でかわした裕次郎の髪の毛を数本千切り飛ばす。

 

「殺すぞ。関わるな」


 先ほどの一撃にだって威力、殺意ともに十分なものが乗っていたと思うものの、まだ本気ではないらしい。

 裕次郎は思わず笑った。

 

「今の拳撃では無理だね。不意を打ったのに当たらなかったじゃないか」


 それは強がりでもハッタリでもない。

 威力速度ともに申し分なかったが、格闘技の経験がある者の動きではない。

 もちろん、だから取るに足らないと言うわけではないが、対策は立てやすい。

 目の前のエルフが打撃の使い手ではないことを裕次郎は既に見取っていた。

 見れば細長い腕と不釣り合いに首の僧帽筋が発達している。先ほど見せた背中の筋肉も不自然に発達してた。

 なんらかを使うが、それが何かはまだよくわからない。


「すくなくとも、この間合いでやり合えば俺が勝つよ」


 ムッとした表情のエルフに、裕次郎は内心で手応えを感じた。

 腕力に自信がある者に自信の根拠を吐き出させるのは比較的簡単である。

 しかし、エルフは太い鼻から深呼吸をして一息で心を落ち着けた様だった。

 

「俺はイノシシでも大鹿でも熊でもこの手で屠ってきた。オマエがそれらより強いと思うのならば、思っていろ。俺には関係ない」

 

 そう言うと、エルフは片手を裕次郎との間に半分ほど伸ばした。

 ただそれだけで長い腕は驚異的な懐の深さを生み出す。

 下手に踏み込めば間合いの遙か手前で撃墜されてしまいそうな分厚い結界である。


「ケンカをしたい訳じゃないんだ」


 裕次郎は戦意を消して両手を広げて見せた。もちろん、嘘である。

 戦う者としての本性がこの場での決着を求めている。

 しかし、同時に彼の話に興味があるのも偽らざる本音であった。

 

「俺の主人が薬師でな、アンタの話をしたら興味津々だった。連れて帰れば褒めてもくれるだろう。な、嫌だろう。俺に付きまとわれるのは。この後、アンタの後をつけてヤサを探り当てたら、夜討ち朝駆け。そりゃあ、面倒だぞ」


 我ながら嫌な恫喝であると裕次郎は思う。

 エルフは細い目を更に細め、舌打ちを一つ。

 

「薬師としてオマエの主人には会ってやる。しかし、その後は付きまとうな」


 やはり人にすれていないらしい、エルフの譲歩に裕次郎は内心で舌を出して笑った。

 

 ※


「ほう、大ナメクジか!」


 リンデルは大きな声を出し、机から身を乗り出した。

 宿舎のテーブルの片方にはエルフが。もう片方にはリンデルが座っている。

 エルフの視線も壁に並ぶ薬瓶に、天井から吊された素材に、強烈な興味を持って向けられていた。


「ああ。藍色の大ナメクジにオレンジ色の蘭を食わせた後、夜風に当てて乾燥させ粉にする。これを酸で洗い、特定の粘菌と合わせれば肺病の薬となる」


「なるほど、よいぞ。粘菌か!」


 嬉しそうに話を聞くリンデルに気をよくしたのか、エルフはボツボツと間を空けながらも饒舌に、細かく薬の説明を続ける。

 と、扉が開いて買い物カゴを携えたメドウが巨人と、それに齧り付いている女主人にギョッとして身を固めた。


「やあ、メドウ。おかえり」


 裕次郎は習い事帰りのメドウを労って声を掛けた。


「あ……ただいま戻りました。ええ、と。失礼しました。お客様がいらっしゃったんですね」


 ぎこちなく背を丸めると、メドウはそそくさと部屋に戻ってしまった。

 すぐにエプロンを着けて戻ってきたものの、それを合図にしたようにエルフは席を立った。


「長居をしすぎた。俺は帰る」


 エルフがこの家に来てから既に数時間が経過していた。

 外は日が沈んで暗くなり、空気を吸い込めば近所の夕餉が匂ってくる。


「待て、まだ聞き足りん。もう少しゆっくりしていけ。せめてもう十年!」


 とっさに袖を引き、とんでもない引き延ばしをリンデルは仕掛けた。


「……帰る」


「五年でいい。もう少しだけ!」


 すがりつくリンデルに無表情なエルフの口角がわずかに歪むのを裕次郎は見逃さなかった。

 

「五年や十年はともかく、夕飯くらいは食っていけばどうだね。うちの女給はここのところ料理の腕を上げている。旨いものを食わせるぞ」


 裕次郎の提案に、期待されたメドウは緊張したが、エルフは首を振って立ち上がる。

 天井の梁に頭をぶつけないよう首を曲げた巨人は、するりと家を出て行った。


「金属の刃物で切り分けたもの、火を通して調理したものは食えんのだ。氏族の掟でな」


 すぐ後を着いて家を出た裕次郎にエルフは、やや申し訳なさそうに呟いた。


「それはいいが、うちの強欲な主人がアンタを欲しがっている。いずれにせよ、また遊びに来いということだ。ところで、アンタ名前は?」


「名前は森に捨てて来た。好きに呼んでくれ」


「じゃあ、ガガだな。手足が長いから」


 もちろん、ガガンボから取った名前である。

 しかし、今度こそはっきりとエルフは笑った。不器用そうに頬を歪める。

 

「好きに呼べばいい」


 そう言い残して、ガガはどこかへと帰って行った。

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