蚊蜻蛉
第21話 ガガンボ
王都は大河の西側にある巨大な丘陵部を中心に発生したらしい。
裕次郎は歴史書を読み、実際に数日間掛けて歩き回り、それを実感した。
王国は海に面する他は背の高い山脈に遮られているらしく、その向こうが他国だという。おそらく平野部一帯にいくつかの国が生まれては消え、最終的に覇権を握ったのが現在の王府なのだろう。
海辺に近く、河川が生活を支え、度々の洪水により肥沃となった平野が作物を実らせる。
そのようにして繁栄した王都は丘陵の上に城壁で築かれた上流都市部と、城壁を取り囲むように発展した下流都市部で成立しており、その更に外側に流入者が勝手に開発したスラム街が広がっていた。
裕次郎たちの宿舎は目下、下流都市部の外縁。ストルテンバーの役宅は下流都市部の城壁際である。
裕次郎はスラム街の川沿いで堤防を歩きながら大河を眺めるのが好きだった。
堤防とはいっても高さが低く、年に数度は越水を許すらしい頼りのないもので、どちらかといえば河川沿いの道といったほうが正しい。
雨が降るとすぐに暴れるという川面を眺めながら、裕次郎は堤防の上を歩いていた。
対岸には陸上貿易を渡すための船着き場と、それを芯にして広がった街が見える。
五〇〇メートルほどの幅がある川を彼岸に渡ると女王の直轄地ではなく、この国に十五個あるという貴族領になるらしい。
と、向かいから来た大男に裕次郎の視線は吸い付けられた。
ガガンボの様な男だ。
身長は二メートルほどもあり、手足も長い。そうして顔も長い。
身長が極端に高い者は手足が細く見えるものだが、そういう錯覚を差し引いても細い。というよりは引き締まり筋張っている。
腫れぼったいまぶたと厚い唇。銀髪と、張った頬骨。それに銀髪と黒髪の入り交じった頭髪が印象に残った。
視線を切り、軽い会釈とともに横を通り過ぎる。
華奢な男だ。華奢だが、しかし相当に使う。
ほんの一瞬ですれ違いながら裕次郎は怪人の分析をした。
十歩ほど通り過ぎてから肩越しに振り返ると、怪人と目が合った。
足を止め、振り返った怪人の剣呑な視線が裕次郎を見定めていた。
ほんの一呼吸ほど見つめ合い、やがて二人は再び歩き出したのだった。
※
「そりゃ、エルフじゃのう」
宿舎のダイニングテーブルで薬草をすり潰しながらリンデルが言った。
リンデルの森では栽培が困難な薬草を複数仕入れたらしく、ここのところはホクホク顔で作業に没頭しているのだった。
リンデルの向かいに腰を下ろした裕次郎の脳内には、エルフといわれて洋画のワンシーンが浮かんだ。かつての裕次郎は話の種を大量に抱えていなければならない関係で、山のような映画や本を消費していた。
「かなりでかかったぞ」
そもそも、エルフといえば気の利いた羽虫の様な妖精ではなかったか。それに比して、裕次郎が見た大男は名前との違和感が大きい。
「そりゃあ、奴らは森に棲み採集に頼る様な生活を送っておる。背が高い方がいろんな物にも手が届こうし、小川も飛び越えられて便利だからじゃろう」
リンデルの適当な発言に、裕次郎は思わず笑った。
猿だって採集で生きているが、手を伸ばすのみならず木に登って餌を採る。猿よりマシな知恵があればハシゴを作ればよいのだ。
しかし、全体的に細く長身であるのなら、ドワーフと全く反対の進化を遂げた人種となる。
「いずれにせよ珍しいわい。エルフどもはほとんど森を出んのだ。なんせ、ドワーフと違って森の中で一生の用がほとんど足りてしまうのでな」
自然回帰派コミューンの様なものだろうか。
裕次郎は一時期、追跡から逃れるために偽名でそういったコミューンに潜伏したことがあった。
総じていえば、耳障りのいい理想的な上辺に反して滑稽な権力闘争や汚い政治が行われていたことを興味深く覚えている。
「道具は石や木で作る。服は獣や樹木の皮。かまどは作っても鉄の鍋や包丁は用いない。徹底した秘密主義で排他的な連中じゃ。でもな、奴らは薬学の知識には長けておって、この国ではワシを除けばエルフどもに敵う薬師はおるまい……ん、なんじゃ?」
リンデルはわずかに笑みを浮かべた裕次郎に怪訝な表情を向けた。
「いや、聞けばその連中、リンデルそっくりだなと思って」
自然派の薬草好き。
全くもって身長以外はそっくりではないか。
「アホめ。ワシのように美しく神々しい存在をあのような禍々しい連中と一緒にするでないわ。奴らは年がら年中、祭りだといって妙な儀式に明け暮れておるんじゃ。ことに自作した薬品で大自然の偉大なる意志と対話するとかなんとか、そりゃ気持ちの悪い連中よ」
果たして、自らを世界の至宝と豪語するリンデルとどちらがおかしいのか、裕次郎には決められなかった。
「そんな連中がこんな街中でなにをしているのかね?」
「さてな。それはワシにもわからん。しかし、あいつらの薬は精力剤やら幻覚材やら珍重されておるのも確かじゃからなんぞと交換しに来たのかもしれんのう」
ふむ。
森のエルフがなぜ街を歩いていたものか。
裕次郎は腕を組んでガガンボの顔を思い返していた。
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