第20話 雇用
宿舎に戻るとしばらくの休憩を挟み、メドウはさっそく働き始めた。
貧村の出身だけあって、掃除や火起こしなどの家事は慣れているという。事実、その手は昨夜の騒動で散らかったままの室内を見る間に片づけていった。
朝食の準備を頼むと裕次郎が小銭を渡すと、彼女はすぐに買い物に行き果物とパンを一かけらずつテーブルに並べた。粗食であるがメドウの分には果物もないので主従の気は使っているのだろう。
それを食べながらリンデルはポツリと口を開く。
「まあ一通りのことはできるようじゃし、この街で配下のホムンクルスどもが使えん以上、仕方がないか。ワシの貴重な時間を浪費する訳にはいかんからの」
こうして、メドウは正式にリンデルの女給となったのだった。
「ありがとうございます。兄が戻ってくるまで、よろしくお願いします」
メドウは静かに頭を下げた。小柄なリンデルの目の前に、小柄なメドウの頭が差し出される。リンデルはその頭頂部を撫でた。
「別に帰ってくるまで待たんでも、ホトボリが冷めたら出て行ってよいぞ」
机に頬杖を突いたままリンデルが言う。
「いえ、兄は必ず戻って来ます。それまでは、待たせてください」
穏やかだが、決意のこもった言葉に裕次郎は兄妹の絆を知る。
はたして、自分と兄の間に彼らの十分の一でも絆があっただろうか。
ふとそんなことが脳裏をよぎる。どこまで行っても、自分は兄や父の従者だったのではないか。知らず、ため息を吐くと裕次郎は頭を掻いた。
別に従者でもいいのだ。それも生き方には違いない。そんな言い訳じみた言葉も後について出る。
絆など、関係ない。
「好きなだけ待てばいい。そうしてアソニオとともに、胸を張ってここを出て行きなさい」
もしかすると呪いの言葉になるかも知れない言葉を、裕次郎はメドウに送った。
アソニオが戻るか戻らないかわからない以上、この言葉の為にメドウが自主的に帰郷するタイミングを見失うかもしれない。
しかし、言わずにはおれなかった。
「はい」
メドウは裕次郎の思考には気づかず、少し嬉しそうに笑い、頷く。
「ときにメドウよ。キサマは料理ができるか?」
リンデルは机に肘を着いたまま、目を細めて尋ねた。
「ええと、肉を焼いたり野菜のスープを作るくらいなら」
ためらいがちにメドウが答える。
あまり手の込んだものは作れない。それは、貧者の特徴かもしれない。
裕次郎の記憶でも東アジアでなければ食に手を掛けるのは基本的にハレの日くらいで、日常から手間の掛かる料理を家庭で食すのは富裕層だった。
料理という多大な手間を必要とする労働に割くリソースがなく、毎日同じものを食って腹を満たし、労働に明け暮れる。食を楽しむということを知らない。
メドウの故郷もそんな貧村なのだろう。
「では、ワシから紹介状を書いてやる。明日から昼の間はストルテンバーという貴族の家に通い、そこの料理人に料理を習うのじゃ。わかったな」
リンデルはメドウに命じた。
それを聞いて裕次郎は感心をする。
食文化が乏しい世界でこそ料理という技能は隠匿され、持つ者の立派な武器になる。それを知ってメドウに我が身を養う術を身に付けさせようというのか。
しかし、次いで出たリンデルの言葉は少女を思いやる思想とは無縁のものだった。
「のう、裕次郎。メドウもワシの財産とすれば磨いた方が価値が出るものな。他にはなにを仕込もうかのう」
なるほど。
リンデルはアソニオが戻って来ないと踏んだのだ。
であれば、ずっと手元にいる人材。つまり自らの従者としてとらえたのである。
だが、裕次郎としてもメドウの教育を躊躇う理由がない。むしろアソニオが迎えに来た後を想えば彼女に自立するための技能を持たせてやるのも雇用者の務めだろう。
「読み書き算盤だな。必須だろう」
「ほう、なるほど。それもよいのう。よし、メドウ。教師も付けてやる。明日からでも勉学に励め」
それに掛かる費用についてもリンデルが決めたのだから経費として支払ってもよいのだろう。どのみち、リンデルは金貨以外の金銭に興味がない。
それに、いつまでもストルテンバーから都市での滞在費やこの屋敷の運営資金を出させるわけにはいかずそうなれば結局、金銭獲得が裕次郎の仕事となるのだ。
裕次郎としても稼ぐ金を若者の教育に投資するのは気持ちがいい。
「だ、そうだぞメドウ。これは雇用主の命令だ。ここでアソニオを待ちたかったら一生懸命、勉学に励めよ。精進が見込めねばリンデルは君を追い出すかもしれんぞ」
裕次郎の言葉にメドウはキョトンとして、目を瞬かせていた。
およそ学習の機会というものを持ったことのない者にとって、それはよく理解できない状況なのだろう。
「ええ……と、はい。リンデル様と裕次郎様がそうおっしゃるのなら私はなんでも頑張ります」
ほんの一呼吸の後、少女は覚悟が決まったらしい表情を浮かべて頷いた。
一度は我が身を諦めた少女だ。腹の据わりも早い。
この子は案外と拾い物かもしれない。
裕次郎は笑い、良縁を拾ったことを喜ぶのだった。
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