第19話 兄妹

 夜明け前の真っ暗な路地に、裕次郎は扉を開けて歩み出た。

 後ろからはメドウもついてくる。

 その更に後ろからは不機嫌に頬を膨らませたリンデルがいた。


「眠い。まったく、睡眠不足で肌でも荒れたらどうしてくれる!」


 だから寝ていてもいいと言ったのに。裕次郎はそう思って苦笑を浮かべる。

 森にいるときは日没と共に寝床に入るリンデルからすれば、たまらない夜更かしだろう。明け方など彼女にとってはもはや起床の時間帯である。

 

「あの……裕次郎様、リンデル様」


 メドウがおずおずと口を開いた。


「本当に私はもういいのでしょうか。借金は、もう……」


「そう。基本的には帳消しだ。まあ、ここからこじれてくれれば俺としては嬉しい面もあるのだが、サッカラというのもそこまで迂闊じゃなさそうだし、君は自由だよ」

 

 揉める大義名分を相手に渡さないのも稼業を送るコツだ。サッカラはそれを理解しているだろう。

 しかし、それにメドウは応えずうつむいて黙り込む。

 やがて一行はアソニオと約束した場所に着いた。アソニオはすでに到着しており、裕次郎たちに気づくと駆け寄ってきた。

 裕次郎はさっと視線を走らせたものの他の者はおらず、また隠れている様子も察せられなかった。

 

「メドウ!」


 アソニオは妹の名前を呼び駆け寄ってきた。


「兄さん!」


 メドウもアソニオの手を取る。

 

「裕次郎さん、ありがとうございます」


 半泣きのアソニオが裕次郎に礼を言った。

 

「うん。別段礼を言われることはしていない。それよりも、死にたくないのなら早く逃げなさい。故郷にもしばらくは戻らない方がいい」


「え?」


 アソニオが動きを止めて戸惑う。

 

「なんじゃ、おまえ。話はついたといっておったじゃろ」


 後ろ立ったまま成り行きを眺めていたリンデルが素直に疑問を飛ばした。

 アソニオもほぼ同じ疑問を持っているらしい。


「そりゃ、俺と向こうのお偉いさんの間の話だ。太い釘を刺したから組織としての報復は行われないだろうよ」


 しかし、個人は報復に走るだろうし、組織がいくら諫めてみてもそれを止めるのは困難であろう。

 そもそも公権力に保護されない者にとっては、ある程度の凶暴性が必須で舐められたら他の勢力にどんどんと食いちぎられていく。

 

「とはいえ組織が支援しない以上、個人の報復には限界がある。なんせ仕事をせんと家族が飢えるし、留守にすりゃ同胞にだって縄張りを盗られる。報復を果たしても組織が報いてくれるわけでもない。半年も経たないうちに生活に流されて忘れるさ」


 遊び人と見なされる稼業人こそあやふやな利権を守るために身を空けることが難しい。これも事実である。

 裏を返せば今が最も報復に燃えている時期でもあり、頭が冷えるまでの間は相当の無茶もやるだろう。

 だから逃げるべきだ。誰にも見つからないうちに、予想もつかない場所へと。


「裕次郎も暴れたんじゃろ。おまえは報復に向けた対策はいらんのか?」


 説明をする裕次郎に、リンデルは呆れたように言った。

 もちろん報復が出来ない程度には恐怖を植え付けたが、そうでなくても返り討ちにする自信があるのだ。さらにいえばサッカラがそうであったように、力の差が大きいものとの対峙を避けることも彼らの資質でもある。

 問題は自力でそれが出来ない者であって、この場合はアソニオだ。

 

「……裕次郎さん、すみませんがもう少し甘えさせてください。メドウをしばらく預かってくれませんか?」


 アソニオが出した回答は簡単なものだった。

 体面や誇りを捨ててでも妹を守ろうという哀願である。

 男一人なら泥水を啜りつつ逃げることも可能だろうが、女性を伴えば行動が大きく制限されるし、なによりも人目に付く。


「もちろん、構わんよ」


「勝手に決めるな、バカ者!」


 リンデルは怒鳴りながら裕次郎の尻を蹴った。

 裕次郎は苦笑を浮かべながらリンデルをなだめる。


「落ち着けよリンデル。便利じゃないか、人手がありゃ助かるだろ?」


 裕次郎が暇を持て余しているあいだ、リンデルは朝から晩まで忙しそうだった。

 そうであれば作業や家事を手伝う者もいた方がいいだろう。

 もちろん裕次郎も手伝うが、それにしたって洗濯機や掃除機も存在しない世界で人手とは万能の力である。

 

「アホか、全能たる私には万能のシモベどもがいくらでもおるわい!」


 リンデルのいうシモベとは、おそらくホムンクルスたちであろう。

 彼らも確かに便利なのだが、しかし彼らを森の外で働かせる訳にもいくまい。

 であれば、メドウがいたっていい。

 

「待ってください。裕次郎さん、兄も一緒に助けてもらうことって……」


 それも構いやしない。トラブルシューターとして生きる者にとって火種を抱え込むのは仕事の一種なのだ。

 しかし、アソニオは決意を込めた視線で首を振った。


「いや、ダメだ。俺がいたら連中の怒りがメドウの方に向くかもしれない。それなら俺は消える。どれぐらいになるか、おまえのを買い戻せるくらいの金を稼いでアイツらと話しをつけるんだ」


 そう言うと、アソニオは振り返る。

 その時には仲介役もやってやろう。裕次郎は素直にそう思った。


「リンデル様、裕次郎さん、ご迷惑をかけて申し訳ありません。それじゃあ、頼みます」


「待って、兄さん!」


 駆け出したアソニオを追って走り出そうとするメドウの腕を裕次郎がつかんで引き留めた。


「兄貴がああ言ってるんだ。行かせてやれよ」


 果たしてアソニオが戻ってくるか、それはわからない。

 しかし、彼なりの責任感に報いてやらないといけない気はした。

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