第17話 財布

「ほら、俺は別にどちらでもいいんだ。早く決めろよ」


 アソニオと向き合うゴロツキは既に二人しか残っておらず、どちらも腰が引けている。

 

「アイツはおまえの差し金じゃないのか?」


 サッカラの疑り深い眼が裕次郎に向けられる。


「俺がこの街にきたのは今朝だぜ。しかし、アイツのことは知っている。昼間にアンタの部下から殴られているのを助けてやった。実は娼館で何人か撫でてやったのも、その流れでね」


 そう言っている間に、ゴロツキの一人が鉄槌を受けて倒れた。


「うわ、痛そうだね」


 血反吐を吐いてのたうち回るゴロツキを見て裕次郎は大仰に言った。

 事実、鈍い音を立ててあらぬ方向へと曲がった手足には強烈な説得力がある。


「わかった、とにかくアイツを止めろ!」


 サッカラの指が差す先で、最後に残ったゴロツキは走り去っていった。


「物言いが気にくわない。俺はアイツの知り合いだから、向こうについてもいいんだ。今この瞬間は女王より、ストルテンバーよりも俺の機嫌を取った方がいいんじゃないか?」


 裕次郎の手はサッカラのベルトをがっちり掴んでいる。こうされると、人間は逃げることが出来ない。

 逃げ去る影を見送ったアソニオがこちらを向いた。

 そこでようやく暗がりの裕次郎に気がついたのだろう、ピタリと動きを止める。


「裕次郎さん!」


「こんばんは、アソニオ。このオッサンを殴るんだろう。動かないように抑えといてやろう」


 裕次郎の腕がサッカラの手首をひねり、首を固定する。

 これで無理には動けない。

 

「ま……待ってください、助けてくれ!」


 脂汗を星明かりに光らせ、サッカラが喚いた。

 裕次郎は背後からサッカラの体を崩し、地面に押しつけると背中に膝で体重を乗せる。サッカラの顔面は地面に押しつけられており、呼吸も苦しいのかフガフガと音を立て喘いだ。この状況からなら子供でも殺せる。

 

「ほら、この頭。そのハンマーで軽く小突けば死ぬぞ。おまえにはそれをやる理由があるんだ。過酷な鉱山労働をやって生み出したものは買いたたかれ、あげく妹まで体を売る事になったんだろ。ほら、景気よく一発ドンといこうぜ」


 しかし、裕次郎の言葉にアソニオは硬直した。

 アソニオは強盗働きをする際、抵抗されたり流れの中で相手を殺してしまうことは覚悟していたのかもしれない。しかし、無抵抗の相手を殺すのにはまた少し違う覚悟が必要になる。

 倒れて呻いているゴロツキたちにとどめを刺していないので、そこまでは考えていなかったのかもしれない。

 が、まあ時間の問題である。

 アソニオも覚悟が固まれば金槌を打ち下ろすだろう。人を殺すということは本来、誰にでも出来る事なのだ。


「ち、違う。娘買いの連中から俺たちは女を買いつけただけで……」


 言い逃れる様なサッカラの言葉が響き、アソニオの眼の色が変わった。金槌を振り上げると、勢いよく振り下ろす。

 金槌はスイカを叩き潰すようにサッカラの頭を潰す直前、裕次郎の手により軌道を変えられ地面を打った。ドン、という鈍い音と共に土の地面にへこみを残す。

 ほんの紙一重で死を逃れたサッカラは眼を見開き、呼吸も荒く金槌を見つめていた。

 

「その眼はいいぞ、アソニオ」


 裕次郎は立ち上がり、金槌の頭部を踏んで制すると、アソニオの肩を叩いた。

 

「今後、オマエの成果を買い叩こうとする商人が来たら、その眼で睨め」


 商売に携わるとき、経済的に有利な方は時々妙な思い上がりをする。

 自らの方が優れている。要求を好きに通すのは当然だと。

 しかしいくら立場があろうが、金があろうが、このサッカラの様になってしまえば何の役にも立たない。それを思い出させてやるだけで、ある程度の効果は出るだろう。


「で、これがこのオッサンの財布。他の連中の財布も抜けよ。遠慮はいらん」


 自分の物のように気安く告げ、裕次郎はサッカラの財布をアソニオに手渡した。

 今、まさに死にかけたサッカラもそのやりとりを聞いてはいるのだろうが、もはや何かを言う元気はないようだ。

 

「ほら、助けてやったぞサッカラ。礼は言わないのか?」


 アソニオが倒れたゴロツキたちからイソイソと財布を集め始めたので、裕次郎はサッカラを引っ張り上げて立たせた。

 まだ呼吸は荒く、事態に置いて行かれている。

 

「おい、アソニオ。やっぱりこのオッサン、頭を潰して欲しいそうだ」


 裕次郎がアソニオに呼びかけると、サッカラは体をビクッとふるわせた。


「馬鹿を言っちゃいけませんぜ。勘弁してくださいよ!」


 一気に生気が戻ってきたようで、眼に力が戻る。

 

「そうか? 部下がアレで親玉が無傷ってのも格好がわるいだろう。死なない程度に殴って貰うっていうのも……」


「いやいや、私は痛いのダメなんです。もう十分、助かりました。ありがとうございました」


 吐血で路上を汚す部下を見て、サッカラは頭を下げた。

 

「そういや、ストルテンバーのところでは俺を脅すようなことを言ってなかったか?」


「とんでもない。もうなにも、そういうことは誓って……」


 自らの命の方が体面よりも大事なのだろう。

 先ほどまでの威厳もかなぐり捨て、サッカラは弁明するのだった。

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