第14話 犬にミミズ
案内された宿舎は二階建てで、住宅街に隠れるように立ち並んでおり、入り口も表通り、裏通りと横の路地に面して設置されていた。
攻められれば守りにくいが、逃げやすくこっそり出入りするのにはいいのかもしれない。目下のところ、こそこそと隠れる理由も、攻められる心当たりもないので十分だ。
裕次郎は周囲を注意深く観察してそう評価を下すと、さっさと入って行ったリンデルとストルテンバーの後を追った。
一階には台所と排水用の穴が開いており、流した水はどこへか流れていくらしい。表に溝が見当たらないので、もしかすると地下に下水道が整備されているのだろうか。
ダイニングに四人掛けのテーブル。食器棚には数組の食器。鍋釜、薪。手近な衣装棚には数種類の衣服が置いてある、おそらく寝室には寝床もあるのだろう。
生活に必要な物は一通り揃っている様だった。
「誰かさんのおかげで道端に待たされて疲れたぞ」
リンデルはダイニングテーブルにどっかと腰かけて嫌味を呟いた。
連日、日がな農作業に明け暮れる少女がそんなことで疲れることもなかろう。
裕次郎は苦笑するのだが、ストルテンバーは大仰に反応して見せた。
「ああ、私が今少し早く到達しなかったばかりに多大な苦痛を魔女様に負わせてしまいました。謝罪の言葉もございません」
正面に立ったまま、深々と頭を下げるストルテンバーの態度に気をよくしたのか、リンデルは口角を上げて笑う。
「まあ、よい。ワシにふさわしい宮殿には程遠いが、たまに寝起きするだけならここで十分じゃ。早々に準備を完了させた手前を嬉しく思うぞ」
「ありがたきお言葉」
「かまわん。功績に報い、ワシとの同卓を許可しよう。向かいに座ってよい」
大げさな主従ごっこを経て、ストルテンバーはリンデルの向かいに腰を下ろした。
裕次郎もリンデルの隣の椅子を引き、机に着く。
「貴様……まあ、よい。ワシは寛大じゃ」
せっかくのいい気分に水を差され、リンデルの表情が歪む。
しかし、今までだって同じ机で食事を摂っているのだから、今更である。
「何日か、この辺りを見て回りたいな。ストルテンバー、もう少し金を用立ててくれないか。金貨以外で」
金貨という響きにリンデルの耳がピクリと反応した。
「そりゃあ、構わんがまた娼館に入り浸って魔女様を待たせたりするなよ」
ストルテンバーはそういうと、小さな背嚢から布袋を二つ取り出す。
「こちらが俺の財布。そうして、こちらが魔女様へ納めさせていただく金貨になります」
一瞬で瞳孔を全開にしたリンデルの動きは素早く、あっという間に机の上の袋を取り床に倒れていた。
「きゃー! 金貨じゃ、ワシの金貨じゃ! ワシだけの!」
突如、奇声でわめき散らしたリンデルは袋の中身を自らの顔面に降らせると、床に散らばった金貨に背を擦り付ける。
一瞬、脳味噌に虻でも飛び込んだのかと裕次郎は思ったが、よく見ればその様子はマタタビに酔った猫に近い。
前回、金貨の袋を渡したときはそれを持ってどこかへ掛けだして行ったので、隠れて同じようにしていたか、あるいは嬉しくて走り出さずにはいられなかったのかもしれない。
ストルテンバーは頷きながら、裕次郎は首を傾げながら、その様子を眺めていた。
たっぷり五分も経つ頃には、涎をまき散らして転げ回るリンデルが絶頂を迎え、荒い息でゴロリと床に転がった。
「き……んかぁぁぁ……もっと」
この金貨への欲求の強さはなんだ。
リンデルの痴態を眺めながら裕次郎は考えた。
単に財産欲が強い、などの言葉では説明が出来ない。金貨と戯れることで快感を貪っているのか。
熱心な収集家が自尊心を慰めた時ともまた、様子が違う。
「なあストルテンバー、あの様子はどういうことだ?」
「どうとは?」
「金貨を手にした途端、錯乱しだしたことだよ」
「魔女様は金貨がとてもお好きなのだろう」
笑いながら、人差し指から指輪を引き抜いた。
「魔女様、指輪はいかがですか。銀製ですが、宝石も着いています」
「いる!」
言うが早いか、跳ね起きたリンデルはストルテンバーから指輪を奪い取り、だらしなく涎を垂らしながら、それを見つめた。
「銀、宝石、指輪! 貰うぞ、絶対に返さんからな!」
「ええ、勿論。私はあなたに全てを捧げるつもりですから」
胡散臭いはずの男が優しく微笑みながら、頷く。
リンデルは再び床をゴロゴロと転げ回り、全身で喜びを表現し始めた。
「見ろ、裕次郎。我らが魔女様は銀と宝石もお好きな様子だ。しかし、ここまで喜んでいただけると捧げがいがある」
ストルテンバーは優しく微笑みながら、もう一つの布袋を裕次郎に押しやる。その時にはその表情は抜け目のないものに替わっていた。
「先日、魔女様からいただいた薬が女王陛下にはよく利いてな。それ献上した功績で、俺はまた少し昇進することが決まった。今までの仕事に加えて多少厄介な案件も増えてくる。それらをこなせば陛下の覚えもめでたく、更に出世するだろう。そうすれば、金を集めるのも効率的になる。裕次郎、おまえ手を貸してくれるか?」
なるほど。
この男は金貨でリンデルを吊り、自らの地位を上げようと目論んでいる。リンデルに渡す金貨などそのための投資にしか過ぎないのだ。
裕次郎はそう理解しつつ、リンデルが喜んでいる状況を鑑みると、別に構わないかとも思った。
結局は三人、一蓮托生でやっていけば同じことだ。
「農地の周りを歩き続けるよりは、退屈しなさそうだ」
もともと、そういう生き方をしてきたのだ。裕次郎は頷いて自分の分の布袋を手に取ったのだった。
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