第13話 御奉行

 最後の一人をボロ屑に変えて数えると八人が倒れていた。

 ゴロツキの数はもっといたと思うが、途中で逃げたのだろう。

 血と呻き声が倒れている者たちから洩れるが、ふと裕次郎は強烈な懐かしさを感じた。

 鉄火場から十年近く遠ざかっていたが、裏を返せば十代後半から還暦前までこういう匂いの場所に立ち続けたということでもある。

 

「おい、動くなよ!」


 バタバタと音がして別の連中が乗り込んできた。

 手に手に短剣や短刀を持っているのは、ゴロツキの一党か別の組織の加勢か。

 いずれにせよ、室内の惨状に眉をひそめている。

 素手の次は刃物。リハビリにはちょうど良くてありがたい。

 

「おい、待て、どけ!」


 と、新たなゴロツキどもを突き飛ばして知った顔が現れた。


「何をしているんだ裕次郎!」


 状況を見て怒鳴ったのは、都市貴族のストルテンバーだった。

 

「この辺にアジトを構えるんだから、ご近所さんに挨拶まわりさ。多生の縁だよ」


 裕次郎は微笑んで返し、額に浮いた汗を袖で拭う。

 見回しても、全員死んでいない。体が変わったのにもかかわらず、力加減がうまくいったことは素直に嬉しかった。

 

「おいおい、裕次郎。ここは俺に金を納めている店だぞ!」


 ストルテンバーは苦々しい表情で倒れている大男の顔を確認した。

 なるほど、どういう名目でかは不明だがこの辺の極道は貴族を背後に持つのだろう。

 裕次郎はカウンターに寄り掛かる。


「ああ、これじゃもう駄目だ。まいったな、金払いのいいやつだったのに」


 ストルテンバーは頭を掻きむしると、ため息を吐いた。


「放っておけばいい。誰かが跡を継ぐだろうし、そいつの金払いが悪ければ俺が責任を持って説得してやるよ」


 裕次郎が言うとストルテンバーはしばらく目を瞑った後、諦めたようなため息とともに項垂れ、裕次郎の隣によりかかった。


「おい、お前たちもう帰れ。次の責任者が決まったら報告に来いよ」


 ストルテンバーが追い払うように手を振ると、刃物を持った連中は顔を見合わせてどうするべきか迷っていた。

 

「待て待て、こいつらも刃物を持って駆けつけたんだ。体面もあるだろうし、そう簡単には帰れないよなぁ?」


 裕次郎は鉄条をもてあそびながら笑った。

 ゴロツキたちの視線は裕次郎の顔と鉄条、倒れた血まみれの連中とストルテンバーを行き来し、やがてゆっくりと背を曲げると静かに去って行った。

 

「なあ、頼むよ裕次郎。俺はこの街の治安を維持する職責を担ってるんだ。あんまり暴れないでくれ」


 なるほど、それで売春宿から付け届けが届くのか。

 実際問題として大きな都市では行政の治安維持が行き届かず、ヤクザ者にそれをやらせることは裕次郎もよく見た光景だった。

 日本でさえ数十年前はそうだったのだから、この善悪の彼我さえ未分化の世界で考えられることだ。


「それは知らなかった、以後気を付けよう。しかし治安維持か。おまえは役職者だろ。一人で来るとは、部下はおらんのかね?」


 ふと気になって裕次郎は聞いた。

 まだ付き合いは浅いがストルテンバーの性格的にも武勇を貴ぶとか、先陣の栄誉とかとは無縁に思える。普通は大勢の部下を率いてやってきて、部下を突入させるのではあるまいか。


「馬鹿言うな。自慢じゃないが、お役目だけでも二百からの部下を抱えているんだ。小銭で個人的に飼っている者や直接的な従者なども大勢いる。しかし、今日はリンデル様のお迎えに一人で宿舎まで向かっていたんだよ。そうしたら、あの御方が街角に立っておられるじゃないか。事情を聞けばおまえがここに入っていったというし、ゴロツキどもは慌ててるし……」


 そうして様子を見に来てみれば、血だまりの中に裕次郎がいたわけである。

 なるほど。裕次郎は納得してうなずいた。


「そうか。よし、われらのご主人様を待たせるのも悪いし、行くか」


 裕次郎はそう言うと、鉄条を投げ捨てて外に歩き出した。

 数人の娼婦たちがこちらを覗いているが、彼女たちのためにできることは現時点で何もないのだ。

 

 *


「遅いわ、バカモノ!」


 待ちあぐねたリンデルは娼館から出てきた裕次郎とストルテンバーを見るなり不機嫌そうに吐き捨てた。

 それほど時間を掛けたつもりはなかったものの、少し待たせたのは事実である。


「悪かった。急いだつもりだったんだけどな」


 素直に謝ると、裕次郎は不安そうなアソニオに向き直った。


「メドウにおまえの言葉を伝えたよ。もう、来なくていいと言っていた。金が貯まるまではもう来ない方がいいだろうと俺も思う。またあいつらに殴られて怪我でもしたら、メドウもいたたまれないだろうからな。故郷に戻り、頑張って金を貯めろ。一日でも早く妹を廓から出してやれ」


 そう言って肩をポンと叩く。

 無力感に打ちひしがれたのだろう。アソニオは立ったまま表情を歪め、両目から涙を流しはじめた。

 願わくば、この妹思いの若者に救いが訪れますように。そう思いながら、裕次郎はストルテンバーを促し宿舎に向けて歩き始めた。

 しかし、金を貯めることが難しいことは十分にわかる。人間、一度手放してしまったものを取り戻すのには、最初に入手したとき以上の労力が必要となる。

 そうして、その労力は本人が負担する以外ないのだ。

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