第11話 新人娼婦

 リンデルが金貨以外に興味を示さなくてよかった。

 ストルテンバーが使者に持たせた“足代”は十分な金額で、都市について以来、多少の買い食いをしてみてもかなりの額が余っている。

 アソニオが案内してくれた娼館の前には昼間から人相の悪い連中が数名、屯しており、通行人に視線を送っていた。

 振り返れば、路地の曲がり角でリンデルとアソニオがこちらを窺っている。

 

「やあ、兄さん方。ちょっと遊ばせてもらいたいんだが、いくらだね?」


 裕次郎の問いに、ゴロツキが提示した金額は存外に安かった。物品の価値が高く、人間の価値が安いのかもしれない。

 財布の中身で十分に足りそうだ。

 

「おい、客だぞ!」


 ゴロツキの一人が怒鳴ると、店の扉が開きワラワラと七、八人の女が飛び出してきて裕次郎の袖を引いた。


「どれでも好きなのを選びなよ」


 小柄な男が机に脚を載せたまま、横柄に言う。

 なるほど、こうやって女たちは自分の客を確保するのか。

 裕次郎は頷いて女たちの顔を見回す。

 どれも妙に厚い化粧が施されていて、毒々しい。派手な装いは薄暗いところで映えるのだろうが、日の下ではちぐはぐな印象を受けた。

 裕次郎は女たちを掻き分けると、男たちの一人に小銭を掴ませる。


「どうせなら入りたてを見繕ってくれよ。それから小柄な方がいい」


 男は口笛を吹くと、女を一人呼び寄せた。

 他の女たちは裕次郎が自らの客でないと判断するとあからさまに表情を歪め、高らかに罵倒の言葉を残して娼館の中に戻っていく。

 残されたのは、同僚の勢いに負けたのか他の女たちの後ろにいて姿を見せず、今もややオドオドとした表情の残る少女だった。

 アソニオより一回りほど小柄だ。


「おい、メドウ。ご案内しろ」


 促された少女は目を伏せると、裕次郎の手を引っ張って歩き出した。

 扉をくぐると薄暗く、粉っぽい空気が鼻腔を突いた。

 

「こちらでお支払いをお願いします」


 裕次郎はカウンターに案内され、その向こうに立っている男に目が引き付けらる。

 牛のような印象を与える、大男だった。

 上背は裕次郎より頭ひとつ大きいだけだが、腕の太さが足程もある。

 胸板も厚く、指も物を殴り慣れた空手屋のそれに近かった。

 外に屯す連中や、アソニオに暴行を働いた連中とは明らかに纏う雰囲気が違う。なるほど、ここの用心棒なのだろう。

 裕次郎は提示された金額を支払うと、メドウに連れられて個室に入った。

 室内には簡素なベッドが一つと、水を張ったタライが一つ。

 それだけだった。

 壁には採光用の窓があるが、その位置は高く小さい。客も女もそこから逃げるのは難しそうだ。

 

「メドウといったね。服は脱がなくていいよ」


 裕次郎が言うと、メドウは困惑の表情を浮かべる。


「困ります。服を汚されたり破られたら……お店の人に怒られるし、弁償しないといけなくなるから」


「いや、そうではないんだ。俺は君と話がしたいだけだ。なにもしなくていい」


 メドウにベッドへと腰掛ける様に促し、裕次郎は距離を取って立った。

 

「君はアソニオの妹だね?」


 裕次郎の問いに、メドウは目を丸くして固まる。

 

「兄を……知っているんですか?」


「さっき知り合ったばかりだがね。アソニオは君に会いたがっていたが、叶わず途方に暮れていたよ。それで俺が代わりにやってきたわけだ」


 そうして裕次郎がアソニオから預かった言葉を伝えると、メドウは肩を落としてうなだれた。

 

「余計なことを……」


 メドウは静かに冷たく、しかしはっきりと呟いた。

 先ほどまでのオドオドとした表情は消えて、代わりに忌々しげな顔が浮かんでいる。

 

「わざわざ来てくれて申し訳ありませんが、用件がそれだけで、他にないのならもう帰って貰いたいんですけど」


 裕次郎は苦笑を浮かべて頷いた。

 アソニオとの約束は果たしたので、メドウ本人がそういうのであればそれ以上を踏み込む必要はない。

 しかし、踏み込む必要のない場所に踏み込んで利益を拾うのが裕次郎の生き方でもある。ここでハイそうですかと帰るのであれば最初からアソニオを助けたりしていない。

 

「ここは楽しいかね?」


 裕次郎は部屋のドアにもたれながら、メドウに聞いた。

 メドウは咄嗟になにか言おうとして言葉を飲み込み、ゆっくりと俯いた。


「……楽しいわけがないじゃないですか、こんなところ。でも、売られてしまった女がそう思ったからってなんになるんですか。余計なことを考えないようにして、その日その日をどうにか凌いで行くしかないんですよ」


 ポタ、と水滴が床を叩く。

 メドウの両目から大粒の涙が流れていた。


「もう帰れないのに、無責任に声を掛けに来られても、私だって辛いだけなんです。兄には出来るだけ強い口調で二度と来るなと伝えてください。メドウはここの生活が案外楽しそうだったとでも付け加えて」


 下を向いて泣くのも、目元を擦らないのも化粧を落とさない為なのだろうか。

 気まずくなって裕次郎は頭を掻いた。

 届かない救いの手は、それがはっきり見えるほど残酷だろう。

 そういった意味で、会わせろと押し掛けてきた身内を問答無用で追い返したゴロツキたちの方が、無遠慮に立ち入り、アソニオの存在や言葉を伝えた裕次郎より優しかろう。

 

「袖振り合うも……か」


 裕次郎は誰にともなく呟くと、泣きやまぬメドウを置いて部屋を出ていくのだった。

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