第10話 興味本位

 周囲を取り囲んでいた群衆も興味をなくし、すでに流れ出している。それほど珍しいことではないのだろう。


「ほら、立て。大丈夫か?」


 手を引くとドワーフの青年は派手に呻いた。肋骨でも痛めたのだろうか。

 しかし裕次郎は気にせずに立たせて肩を貸す。

 盛り場での揉め事はその街の実情を知るにはうってつけなのだ。

 ドワーフを路地裏に連れ込み、木箱に座らせると砂だらけの髪を払ってやった。

 血まみれの服と痣はどうしようもない。

 

「……うう、助けてもいただいてありがとうございます」


 ドワーフはアソニオと名乗り、呼吸をするのも苦しそうにあえぎながら礼を言うと、壁にもたれた。数日の間は痛みと熱で眠れないだろう。

 

「あんな目にあって、君は一体なにをしたのかね?」


 盛り場でゴロツキに暴行を受けるのは、突発的な喧嘩じゃなければ場所代の支払いを拒否したか、縄張り内での不躾な行動が主な原因だろう。

 

「妹を……妹を助けたくて」


 アソニオは口から血の唾を飛び散らせながら言葉を発する。

 ほら、面白そうだ。

 裕次郎は自らの嗅覚を内心で誇り、腕を組んで渋面を浮かべたリンデルの顔を見た。

 

「妹とは?」


「わずかな小銭で、娼館に売られたんです」


 裕次郎の質問に、アソニオは顔をしかめて答えた。

 心底から悔しそうな、世界をすべて呪っても足りないような視線がゆっくりと地面に落ちていく。

 

「別に、珍しいことではなかろう。経済の原初から、人間は有力な商品じゃったわい」


 リンデルがあっけらかんとして言う通り、労働力の時間買いから買い切りの奴隷契約までも、元居た世界でもありふれていて珍しいものではなかった。

 人権意識が未発達そうなこの世界においてはなおのこと問題にもならないのだろう。

 

「でも、街の奴らが金物の値段を一方的に引き下げたんです。その上で、穀物の値段も跳ね上がって……」


 それは可哀そうだ。

 裕次郎は素直に思う。

 しかし、寡占が発生するような不利地において商人の側が取引のイニシアチブをとるのは自然の成り行きである。そうして、イニシアチブを確保したら今度は利益の増大に走る。

 この場合の弱者が取れる手段とは他に商売相手を見つけるか、居住地を捨てるしかない。

 いずれも困難でうまくはいかないだろう。

 

「だからといって何か出来るものでもあるまい。あきらめておとなしく帰れ」


 リンデルは面倒そうに言い捨て、裕次郎のベルトを引っ張った。


「ほら、もういいじゃろう。行くぞ」


「まあ待て、もう少し聞かせろよ。アソニオ、妹を買い取る金はないんだろう。一体どうする気だ?」


 人身売買が法で縛られていない以上、アソニオの妹を買いたたいた商人も、ましてそれを買い受けた娼館も責められる筋合いはない。

 であれば、彼らには彼らの流儀があり、それを犯せばそちらの方が違法となるだろう。


「金はいつか作るから、それまで待っていろって、必ず迎えに来るからって一言伝えるつもりでした。でも、あいつらは会わせてもくれずに……」


 それであの暴行に繋がったわけだ。裕次郎は納得して頷いた。

 そうでなくても厳重に管理するべき商品に、鼻息の荒い身内など面会させられまい。どうしても会いたければ、金を稼いでから他人を装い、客として娼館を訪れるべきだった。

 しかし、それも顔を覚えられた今となっては叩き出されて終わりだ。

 

「ふふふ。リンデル、アソニオの代わりに俺が行ってくるよ」


「はぁ?」


 リンデルが心底から嫌そうに顔をしかめる。

 

「アソニオ、他に伝えることはないか?」


「待て待て、なんでワシらがこんな知りもせん小僧のために時間を割かねばならんのだ」


 リンデルの眉間には皺が寄り、形のいい眉の間が今にもくっついてしまいそうだった。

 どうやら納得がいっていないらしい。


「お前な。こんなありふれた話にいちいち首を突っ込んでいたらいくら首があっても足りんぞ」


 その怒声に裕次郎はもっともらしく頷くと、にやりと笑う。

 

「そう言うな。俺の生まれた国には『袖振り合うも他生の縁』という言葉がある。アソニオと俺は既に袖が触れたのだから、捨て置けんだろう」


 裕次郎の表情を見たリンデルは舌打ちを一つすると、裕次郎の尻を蹴り上げた。


「アホめ、ワシが寛大だから勝手を許すんじゃぞ!」


 そう言ってリンデルは鼻息荒くアソニオの眼前に指を突き出す。


「おい貴様、この偉大なるリンデルの下僕を貴様のために遣わすのだから、この恩は一族郎党、子々孫々まで語り継げよ!」


「リ……ンデル様? ああ、お聞きしたことがある!」

 

 アソニオはその名を呟くと、痛みに呻きながらも地面に座り込んで額をこすりつけた。

 

「あなたがあの、救世主リンデル様! 博愛の化身にして森の奥にたたずむ慈愛! お目にかかれて光栄でございます」


 なるほど、貧しい者に無償で施しを続けているとこのような扱いになるのだろう。


「やかましい、頭を上げんか!」


「なんだ、リンデル。知らん間柄じゃないじゃないか」


 苦々しい表情で怒鳴るリンデルに、裕次郎はからかうように言った。

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