第8話 始まり
盃事はこの辺でいいだろう。
裕次郎はストルテンバーの肩を叩いて立たせると、椅子に座らせた。
「これからは大きく言えば身内だ。よろしく頼むよ」
「うん、ああ。よろしく頼む。裕次郎殿」
恭しく対応するストルテンバーの態度がむず痒く裕次郎は首を振った。
「呼び捨てでいい。都市貴族が素性も知れん俺の様な者に、敬語を使うのは周囲から変に思われるだろう?」
裕次郎の言葉にストルテンバーの視線は中空を彷徨う。
「まあ、そりゃそうだが……俺はたった今、魔女の騎士になったつもりでいたが、都市貴族を続けてもいいのかね?」
「ちょっと待て。いいわけあるか。寛大にもワシが配下に迎えてやったのだぞ。本来なら嬉しさのあまり全身から血を噴きだして弾け、幸福を噛みしめるところだ。それが人間ごときの為政者とワシを並べるぅ?」
余程納得がいかないのか、リンデルは額に青筋を立てて犬歯をむき出した。
しかし、奇病のごとき感情表現を求められても大半の人間には難しい。
「落ち着け、リンデル。ストルテンバーには貴族でいて貰わないと困るんだよ。お前は理解しないだろうが、人間の社会は立場で稼げる金額が変わるからな。そうすると、納入する金貨の量にも差が出てくる。欲しいんだろ、金貨が。たくさん」
噛んで含めるように裕次郎は優しく告げ、なだめる。
「……欲しい。ワシは金貨が大好きじゃ!」
ポリシーと物欲の板挟みに、リンデルは今にも泣きだしそうな哀れな表情を浮かべる。きゅっと目を結んだ顔には、幼ささえ感じられた。
「じゃあ、ストルテンバーには土産も持たせた方がいい。女王が病気というが、精力剤かなにか用意できないかね。なあ、ストルテンバー。女王の症状はどんなものなんだい?」
医学の知識があるというのなら、ある程度の症状がわかれば薬も処方できるだろうか。そう思った裕次郎に、リンデルは首を振った。
「要らぬ」
そういって立ち上がると、戸棚の上から無造作に小瓶を一つとり、中に詰まった白い粉末を薬匙で爪の先ほどの量をすくい、裕次郎を見る。
「裕次郎、先ほど粥にした粉がその袋にあるから取ってくれ」
リンデルが顎で示す先には棚に置かれた紙袋があり、裕次郎は言われるまま、それを手に取った。
匂いからして、中身はトウモロコシの粉末の様だった。
リンデルは近くの小皿に薬匙の中身を入れると、トウモロコシの粉末を数回すくって混ぜる。その小皿をパラフィン紙らしき紙片に落とし込み、雑に包むと、掴みあげてストルテンバーに差し出した。
「女王の症状は知っておる。この粉末を二十倍の量の小麦粉で薄め、三分の一ずつ三日に渡って服用させよ。それで治らんなら、もう寿命じゃ」
なるほど、用意周到なリンデルらしい。すでに女王の病状を診ていたのだろう。
裕次郎は思わずクスリと笑ってしまった。
ストルテンバーはどうしていいものか少しの間、迷っていたが、やがて恭しく受け取ると胸のポケットへと大切そうにしまい込んだのだった。
※
裕次郎は森の外までストルテンバーを送っていった。
「せいぜい、手柄を立てて出世しろ。権力者への伝手は強力な方がリンデルも便利だろう。その為には、その薬の入手がどれほど困難だったか、膨らませて報告するんだぞ」
すると、ストルテンバーは厭世的な笑みを浮かべて頷く。
「任せてくれ。口は達者なんだよ。都市貴族だからな」
彼は生来から、魔女の手先として十分な素養を持っていたのだろうか。こういう男の方が、純粋な者より頼もしい場面も多い。
裕次郎は嬉しく思いながらその肩を叩いて、耳元で囁いた。
「なあストルテンバー。実は俺も、人ごみの中で生きる方が得意なんだ。互いに助け合う為にも下町で構わんから、都市内に俺が隠れ住める様な部屋を用意してくれ。それから、この森と都市の中間部にも一つ拠点が欲しい。両方とも、最低限の寝泊まりが出来ればそれでいい」
ストルテンバーは一瞬、呆けた表情を浮かべたものの、すぐに頷いて承諾を示す。
「すぐに準備しよう。数日の内、手下をやるから待っていてくれ」
そう言うと、ストルテンバーは大声で部下を呼び、一袋の金貨を持って来させた。
「これを魔女殿に。最初の奉納だ」
差し出された袋を受け取ると、見た目よりもずっと、ズシリと重い。
金貨を見たことがないわけではなかったが、裕次郎がもともと居た世界では金貨など宝飾品の一種の扱いで、実際の金銭としては流通していなかったのだから、物珍しい。裕次郎は袋から金貨を数枚取り出して眺めた。
金貨には髭の生えた男の顔が刻印されており、くすんでいる。金の純度はいかほどのものだろうか。しかし、その辺りの事象には疎く、チャラチャラと指先で弄んだあと、元通り袋にしまった。
貨幣価値を聞こうかとも思ったが、生産技術が低い世界ではそもそも物資の価値が裕次郎の感覚と大きく異なる。
その辺りはおいおい、街路を歩いて学ばねばならない。
ストルテンバーは近いうちの再会を約束し、リンデルによろしくと言い残すと、迎えに来た部下とともに戻っていった。
その背を見送りながら、裕次郎は新たな人生について考えるのだった。
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