第37話

 オーディションが終わった翌日の日曜日。最近はテスト勉強だったりオーディションのレッスンだったりと何かと忙しい毎日だった。

 けど、そのどちらも終わってしまった俺はやることがない。所謂暇であった。


 ――はぁ……


 でも今日はそれがなんだかありがたい。今日はなんだかやる気が出ないのだ。ベッドから起き上がる気力すらない……考えないようにしているが、どうも昨日のオーディションを引きずっている。


「ん〜やっぱり……走るか……」


 ベッドでしばらくゴロゴロしていたが、暇だとつい余計なことを考えてしまう。ああしとけばよかったのでは、もっとこうしとけばよかったのではと……

 あれがあの時に出せる自分のベストだったと思うのについそんなこと考えてしまう。


 ならば、ここは身体を動かし汗を流せば少しは気分がスッキリするのではないかという思い至る。


「よし、そうしよう」


 結局は、いつも休日にやっているルーティン(準備運動、筋トレ、有酸素運動、ストレッチ)をやる。

 いつものルーティンは俺には欠かせないものとなっていたらしい。


「はっ、はっ……」


 トレーニングルームには壁掛けの大きな液晶テレビがある。いつもこれで好きなアニメを見ながらトレーニングに励むのだが、今日はちょっと違う。


 今日は特撮ヒーロー、マッスルレンジャーを流していたりする。

 弟たちがハマっているマッスルレンジャーだ。

 まともに見たことのない俺はなんとなく気になって見たくなったのだ。


「え、マジですか。こんな動きもするのか……」


 筋トレを終えた俺は今、ジョギングをしているのだが、視線はずっとテレビに、アクロバティックな動きをするマッスルレンジャーに釘付けだった。


「俺にもできるのか……」


 本来ならスーツアクターの方々がアクションを行なっているので俳優自らアクロバティックなアクションを行うことはほとんどないのだが、そんなこととは知らない俺は、


「こ、こうかな……よっと」


 見様見真似でバク転やら転回、それにバク宙に前宙をしてみては蹴りや拳を突き出してみる。


「おっ、今のいい感じ……?」


 もちろんふわふわマットの上なので失敗しても大丈夫。失敗はしなかったけど。弟たちはよくこのマットにダイビングしてレンジャーごっこをして遊んでいたりする。


「うそだろ。こんなことまでするのか……」


 他にも逆立ちで歩いてみたり、壁を蹴ってムーンサルトをしてみたり、寝転がった状態から腕だけでジャンプをして飛び上がったりと、今までやったことのない動きを真似してはできるようになっていく。


「おお、やれば意外とできるもんだな……よし、もう一度バク転から……」


 これが意外に楽しくて俺は知らぬ間に熱中していた。しばらく身体を動かし楽しんでいる俺に、


 ピロン。


 唐突に聞こえてきたLIFEの音。


 ――……何をやってるんだ俺……


 その音に俺は冷静さを取り戻す。冷静さを取り戻すと、オーディションすら受かってもいないのにマッスルレンジャーの真似事をしていた自分が急に恥ずかしくなった。


「はぁ……」


 それから誰もいないと分かっているトレーニングルーム内を見渡す。


「!?」


 見渡して驚く。


「……母さんたちは、そこで何やってるの?」


 そう、母さんたち(母さん、メグミ義母さん、カナコ義母さん)がトレーニングルームのドアを少し開け、その隙間から覗き込んでいたのだ。レイコ義母さんは仕事。


「あ〜えっと……レイコが、ヤマトはダンスが上手かったって得意げに話して動画は見せてくれたけど、レイコばかりずるいなと思って……ほら、ヤマトって小中学校の運動会とかずっと休んでたから……本当に運動ができるか心配してて……」


 しょんぼりと肩を落とす母さん。


「でもヤマトくんは本当にすごいのね。タケルくんいなかったら私でも惚れちゃうレベルにだよ。カッコ良かったわよ」


 暗くなりそうな雰囲気を吹き飛ばす勢いで明るくそう言ったのはメグミ義母さん。


「ほんとそう。ヤマトくんカッコ良かったよ。あ、でも無理して身体だけは壊さないでね。でないと義母さんたちは泣いちゃうからね」


 それに続くカナコ義母さんも明るくそう言った。だが、三人の顔には俺を心配する色が見えている。


 たしかにそうだった。人との関わりを極力避けていた俺は運動会はもちろんのこと遠足や修学旅行だって休んで行かなかった記憶を思い出す。


「大丈夫だよ。今年は……体育祭(運動会のこと)もちゃんと参加するつもりだから……」


 俺は恥ずかしくなって素っ気なくそう返すと、スマホを手に取りそそくさとシャワールームに駆け込んだ。


「よかったねサクヤ」


「うん。私、絶対に応援に行くわ」


「サクヤ、一人で行く気? 私だって行きたいのよ。メグやレイコやタケルくんだって、それに子どもたちだって行きたいはずよ」


「そうそう。お弁当はたくさん作るわよ」


「そうよね。メグ、カナ、ありがとう」


 ちなみに学園の体育祭は、親の参加は自由となっているが、その参加者は割と少ない。なので大世帯のヤマトはかなり目立つことになるのだが、それはまだもう少し先の話である。


 ――――

 ――


 俺はシャワールームに駆け込んでからLIFEに届いたメッセージを確認する。


 〈ヤマトの部屋〉


 サキ:ヤマトっち、今暇かな?


 サキからだった。何だろうと思い返信する。


 ヤマト:ちょうどトレーニングが終わってこれからシャワーを浴びようとしていたところだけど、その後は暇だよ。


 サキ:ヤマトっち今からシャワー? ええ、あたしもヤマトっちと一緒にシャワーがしたい。


 ――え? 俺がサキと一緒にシャワー……


 思わずサキのあられもない姿を想像してからすぐに頭を振る。


 サキ:もしかして想像した? いやーんヤマトっちのエッチ♡


 ヤマト:……


 サキ:あれ、もしかしてヤマトっち怒っちゃった? もうしょうがないヤマトっち。今度一緒に入ってあげるからね。

 それでね、今日はアカリっちとナツっちとでホラー映画を借りてきたんだけどさ……ヤマトっちも一緒に観ない? というかみんなで観ようよ。


 さらっととんでもないことを送ってくるサキ。お願いのポーズをとる可愛らしいペンギンのスタンプまでついている。


 でも話が次に進んでいるのでその話題には触れにくい。俺が悩んでいるとサキのメッセージが続けて入ってくる。


 サキ:ほら、昨日から急に夏らしく暑くなったじゃない。夏といえばホラーじゃん。ねぇねぇヤマトっち、一緒に観ようよ。


 今度はぺこりと頭を下げる可愛らしいペンギンのスタンプがついてくる。


 気になるメッセージはあったが、人に誘われる経験の少ない俺は嬉しかった。しかもその相手は俺の彼女たちだ。ちょっと嬉しい。いや、かなり嬉しい。


 ヤマト:いいよ。分かった。サキの家に行けばいい?


 サキ:うん。やったぁ。


 可愛らしくくるくると回るペンギンのスタンプがついてくる。


 サキ:場所はもちろんあたしんちだよ。待ってるね♡


 ――――

 ――


 俺はシャワーの後、あまり使うことのない自転車でサキたちのアパートに向かう。歩くとそこそこ時間がかかるが、自転車だとかなり早い。15分も走れば余裕で着く距離だ。


 俺の肩から下げた鞄にはお弁当が入っている。サキたちに誘われたことを母さんたちに伝えたら、母さんとメグミ義母さん、カナコ義母さんが急ぎお弁当を作ってくれたのだ。中身は大量のサンドイッチ。


「ついた」


 サキたちのアパートはオートロックなので、サキの部屋番号302を押す。


 ピンポーン。


「あ、ヤマトっち。待ってたよ」


 サキの弾む声の後にカチッとロックが解除される音が聞こえてくる。


 それからエレベーターでサキの部屋に向かうと、部屋の外でサキとアカリとナツミが手を振って待っていた。


「おっ、私服姿のヤマトっちもカッコいいね」


「うん。ヤマトの半袖……筋に、すごくいいよ」


「ヤマト待ってたし」


 今日は暑いので俺はガジュアルな服モノクロで揃えた半袖姿だった。


 俺は彼女たちに手を引かれて中に入る。さわさわと俺の腕に触れてくるアカリの手が、いつもの触り方と違ってちょっと戸惑うが、中に入るともっと戸惑うことが。


 ――おや?


「やっほヤマトくん」

「ヤマトくん待ってたよ」

「ヤマトくん。私も一緒だけどごめんね」


 少し暗くした部屋の中で片手を少し上げて挨拶してくる川崎に、委員長は右手を小さく上げてから可愛く振る。さらに先輩までいて少し俯いている先輩は上目遣いで俺を見ている。


 ――先輩がいるのは……


 なんでだろうと思っていると、


 むにゅ。


 ――!?


 俺の背中に誰が張り付いた。


「ヤマトっち」


 サキだった。


「実はメグミさんから、ヤマトっちが昨日から元気がないって聞いてて……」


 俺は知らなかったが、サキたちはウチに遊びに来た日にメグミ義母さんと連絡交換をしていたらしい。


 サキたちは俺と先輩が昨日オーディションを受けたことを知っている。もちろん川崎と委員長もすでに知っている。


 だから彼女たちは俺が元気がないのは昨日のオーディションがあまり思わしくなかったのではないかと思ってのことで、ならば先輩もそうかもしれないと思い一緒に誘ったそうだ。


 ――なるほど。


 俺の持っているお弁当も四人で食べるにはかなり量が多いように感じていた。

 母さんたち若いから〜と言って笑って誤魔化していたけど、こういうことだったのか。でもそれで怒るという気になるわけもなく、逆に彼女たちの気遣いに感謝する。


「そっか。ありがとう。なんか元気が出てきたかも、あ、これ母さんたちからみんなにサンドイッチ。みんなで食べながら観ようよ」


「うん」


 それからサキが「ホラー映画は雰囲気作りからだよ」と言ってさらに部屋の中を暗くして観ることになったのだが、なんとサキたち借りてきたホラー映画は、一度見ると三日は一人でトイレに行けなくなるというくらい怖いと噂があった『消えぬ怨念1』。しかも八時間もある長編もの。


 これが本当に怖かった。怖いのだが……


『た〜す〜け〜て〜……』


「きゃぁ……怖い、怖い、怖い」

「うわぁぁ…」

「ウチ、だめ……」

「あ、ちぬ、ちんじゃう」

「う、う、後ろ……ぃゃ」

「ヤマトくん。お、お姉さんもう無理かも」


 それ以上にみんなが俺に引っ付いているから、その柔らかにどうにかなりそうだった。


 俺がどんな状態だったかというと、左に中腰姿勢で張り付くナツミ、右に同じく中腰姿勢で張り付くアカリ、左腰辺りに寝そべるようにしがみつく川崎、同じく右腰辺りに寝そべるようにしがみつく委員長、堂々と俺の正面に座り寄りかかってくるのがサキで、背中から俺の頭を抱き抱えているのが先輩。怖いシーンがある度にぎゅぎゅっと彼女たちに締め付けられる。ある意味拷問であった。


 ちなみに俺は暗い中を自転車で帰ったけど先輩はマキさんに迎えに来てもらい、サキ、アカリ、ナツミ、川崎、委員長はそのままサキのウチに泊まったらしい。

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