第36話

「……台本通り、完璧にやる必要はありません。多少アドリブを入れていただいても構いませんので、思うように演技をしてみせてください。ではよろしくお願いします」


 桐生さんがそう言うとテキストを片手に持ったままの八番のペアが「はい」と返事をして審査員の正面の位置に移動する。


 テキストは見ながら演じてもいいらしい。


 ただ俺の場合、テキストばかりに気を取られていると、セリフが棒読みになってしまったり感情がこもっていなかったり、ぎこちなくなっていたりして講師の先生に怒られあまりいい思い出がない。


 あ、講師の先生というのはレイコ義母さんが一週間だけという期限付きで連れてきた臨時の先生で、元花々歌劇団、春組のトップスターだった大國おおくにつばさ先生のことだ。

 今は結婚引退して専業主婦になっているらしいのだが、なんでも母さんたちとは同じ学園に通っていた元同級生という間柄だった。


 ちなみに花々歌劇団とは未婚の女性だけで構成されながらもその規模は大きく、誰でもその名を一度は耳にしたことがあるくらい有名な歌劇団である。


 俺は注意されてからはすぐにセリフを全部覚えてから取り組むように切り替えたけど「覚えれるのなら初めからそうしなさい」とかなりキツめに言われた。

 綺麗な人だったけど威圧感が半端なくかなり怖かった。


 でもまあ俺が今回のオーディションを受けにきた誰よりも圧倒的に練習量が少ないのだから、そうなっても仕方ないのだけれど、いや、それだけ真剣に向き合い指導してくれたことを逆に感謝しなけらばならない。


「おかえりピヨ。 遅かった、ピヨな」


「た、ただいまぴよ。兄さん……眠っていてもよかったぴよよ。今日は作業が手こずったぴよ」


 八番のペアが演技を始めたが、どうやら緊張しているらしく演技がどこかぎこちない。特に妹役の女性。


 やはりテキスト見ながらだと、セリフも演技も中途半端になってしまっているように感じる。


 ――なるほど。


 妹役女性の演技を見ていて思う。俺にアドバンテージがあるとすればやはり記憶力。


 俺はすでにテキストを覚えてしまっているので、翼先生に特に気をつけるように言われていた滑舌や声質、そして姿勢をよく見せるように努めようと思っている。


 これに身振りや手振りをうまくできればいいのだけど、一人よがりになって失敗してもいけないので、そこは先輩のタイミングに合わせることにしよう。


 そうなことを考えていると、


「ありがとうございました」


 八番のペアは演技を終え、壁際に移動していた。いよいよ俺たちの番だ。


「次に十番のペア、お願いします」


「「はい」」


 俺と先輩は元気よく返事をしてから審査員の正面に立つと俺の方に身体を向けた先輩が少し頷く。


 これは始めようという先輩からの合図。俺は先輩から少し距離を取り立ち位置を決めると今度は俺が頷き返す。俺たちはタイミングを合わせて演技を始めた。


 ――――

 ――


 俺は静かにドアを開けて部屋へと入ってくる演技をする先輩に向けて声をかけ少し近づく。


「おかえりピヨ。 遅かったピヨな」


 突然声をかけられ驚く先輩。そんな先輩を可愛い妹だと思い込み、俺は笑みを浮かべると、テキストになかった一言を付け足す。


「心配したピヨ」


「た、ただいまぴよ。兄さん寝ててもよかったぴよよ。今日は作業に手こずったぴよよ」


 どこかよそよそしくなる先輩。恥ずかしげに顔を背ける。

 先輩の恥ずかしそうにする素振りには少し戸惑ったが顔を背ける行為自体は別におかしくないので、俺は気にせず演技を続ける。


「そうピヨか。また俺の可愛いササミに何かあったんじゃないかって気になって落ち着かなかったピヨよ。

 ササミの顔を見てからじゃないと兄は安心して眠れないピヨよ……」


 俺はそう言ってからいつも玄関までお迎えに来てくれる妹たちを思い浮かべて、いつもしているように先輩(妹)の頭に手を置き先輩(妹)の頭を優しく撫でる。


「……」


 ボンっと火がついたように先輩の顔が一瞬で赤くなった。


 ――しまった。


 俺は役に成りきるために先輩を小さな妹と重ねて演じていた。だから同じように先輩の頭に手を置いてしまったのだ。


 ――先輩すみません。


 心の中で先輩に謝りつつ俺は演技を続ける。


「!? おいっササミ。その頬はどうしたピヨ。何があったピヨ」


 先輩の顔に俺は顔を近づけ先輩の右頬に軽く手を当てる。たった今妹の腫れた頬に気づいてさも心配しているかのように……


 先輩は顔を赤くしたままぷるぷると身体を震わせ、ゆっくりと顔を背ける。


 ――ま、まずい。


 先輩の身体をぷるぷる震わせている今の状態は、もうすぐ倒れますよという合図(一週間練習していて分かっている)でもある。


「……!?」


 先輩自身もそれが分かっているから、倒れないようにゆっくりとしゃがみ込んで両手で赤くなった顔を隠す。

 これは台本にはないが、倒れて演技終了となるよりマシだと先輩は判断したのだろう。


「どうしたピヨ? ササミ何があったのか兄に教えてほしいピヨよ」


 俺はそんな先輩を心配するかのように、俺も傍にしゃがみ込み先輩の右肩にそっと片手を添える。


「……」


 すると先輩の身体がゆらゆらと揺れ始める。これはいよいよまずい。


 そう思った俺は心配する演技というか、まさに本気で心配しているのだけれど、俺が倒れないよう両膝を地面につけ、しゃがんでいる先輩を俺の左肩の方に頭が来るよう抱き寄せる。


「……」


 本来ならここで先輩が泣く演技をするのだが、声が出ていない。

 でも幸いなことに先輩の身体はぷるぷると震えているので、見ようによっては泣いているようにも見える。


「ササミ泣くなピヨ。何があったか言ってくれないと兄も分からないピヨよ。大丈夫、ゆっくりでいいから話すピヨ」


 先輩が焦らないようまたテキストにないセリフを少し付け足す。

 先輩にうまく伝わったかどうかは分からないが、先輩はこくりと頷いてくれた。


 問題は次だった。次の妹のセリフが、妹のセリフの中では一番長いセリフだったのだ。


 果たしてこんな状態の先輩がうまくそのセリフを口にできるのか俺は心配だった。


「こ、こげにっく……に……何度も……叩かれた」


 かなり本来のセリフが削られていたが、それでもどうにか搾り出し口にした先輩のセリフには共演している俺でもグッとくるものがあった。


 本来なら「なんだとっ」と肩を震わせ語気を強くするのだが、俺の左肩に頭を預けている先輩のすぐ隣で、強い口調で吐くセリフはどうしても抵抗があった。


 なので、


「よく分かった。こんなに腫らして……頑張ったんだなササミ……」


 先輩の頬の辺りに視線を向けてゆっくりとした口調でそう言い。先輩の背中を優しくさすると、


「ササミはここで待っているピヨ」


 そう言ってから先輩をゆっくりと引き離す。もちろん先輩が倒れないかゆっくりと確かめながら。

 しゃがんでいる先輩が自分の手で身体を支えていることができているのかを確認しながら。

 俺はゆっくりと立ち上がる。


「たかだか一戦闘員であるコゲニック如きが、俺の大事なササミを……ふふ、ふふふ」


 徐々に語気を強めて拳をグッと握る。顔を上げた俺の視線の先には憎っくき妹の将来の夫を仮想する。そう思い浮かべるだけで目には力が入り笑みも自然に溢れてくる。


「にぃさん……だめ……だめぴよ」


 本来なら妹怪人は兄怪人を強く引き留めるのだが、今の先輩には弱々しい声を発するだけて精一杯だったようだ。


 でもそれがかえってより兄を大事に想う妹を表現しているようで、いいようにも思えた。


 だがそれはあくまでも俺の主観であって、審査員にどう映っていたのかは分からないが。


「ササミ……もう我慢の限界ピヨ。俺たちは異端怪人だが、俺たちだって怪人としての誇りがある。そして何より大事なササミを傷つけられ、このまま大人しく泣き寝入りする兄ではない。ササミごめんな」


 そう言ってからちょっと駆ける。


 俺たちの演技はそこで終わった。審査員たちが何やら書き込んでいるが、今は気にしてもしょうがない。


 先輩も俺と離れたことで立ち上がれるくらいにまでは回復している様子。これも一週間慣れる特訓した成果なのだろう。


「ありがとうございました」


 俺と先輩は声を揃えて礼をしてから少し壁際に寄る。

 少しアドリブが入ってしまったが自分なりにはうまく演じれたという思いから口元が緩みそうになったが、まだここで気を抜くわけにはいかない。


 ――でも、これでほぼ終わりだよな……


 八番のペアもそう思ったのか壁際から少し前に出てくる。


 あとは質疑応答がありそれで今回のオーディションは終わりになるだろうと思っていた俺たちに予想外のことが告げられる。


「では次、八番と十番、それぞれペアを変えてからもう一度演じてくれますか……えっと八番男性と十番女性から……と言いたいのですが、ちょっと十番女性の方が疲れているようですので十番男性と八番女性から先にお願いします」


「え、あ、はい」

「はい」


 俺と八番女性が審査員の正面に立ち礼をする。


「よろしくお願いします」


 それから俺は八番女性ともう一度演技をした。のだが……


「おかえりピヨ。 遅かったピヨな」


「ひゃい」


 ――あ、これはやばい……


「そうピヨか。また俺の可愛いササミに何かあったんじゃないかって気になって落ち着かなかったピヨよ。

 ササミの顔を見てからじゃないと兄は安心して眠れないピヨよ……!? おいっササミ。その頬はどうしたピヨ。何があったピヨ」


「あう、あう……」


「どうしたピヨ? ササミ何があったのか兄に教えてほしいピヨよ」


 ばたん。


「きゅう……」


「えっ!」


 演技を始めてすぐに真っ赤になった八番女性は、しばらく必死に耐えようとしていたが途中で倒れてしまった。


「だ、大丈夫」


 俺は慌てて八番女性の上体を起こしてみるが、八番女性は目を回していてどうすることもできなかった。


 そうなれば俺も演技をするどころの話ではなくなり、そこで審査員からストップがかかり終了となる。


 俺は八番女性をお姫様抱っこで運び壁際で横にしてあげた。その際ものすごく視線を感じたがあえて気づかないフリをした。

 しばらくすると目を覚まし先輩たちが演技を終える頃には立ち上がれるまでに回復していた。よかった。


 でも先輩は先輩で、最後まで八番男性と演技をやり終えたのだが、男性が苦手という意識からか表情が死んでいて(先輩は無自覚)八番男性が時折しどろもどろになり、ちょっと笑いそうになってしまった。


 審査員の何人かが口元を押さえていたのであれは必死に笑いを堪えていたはずなのだが、審査員にどう映ったのかが心配。俺も先輩も。


 質疑応答では一人に二つ三つ人格を判断するような質問ありあっさりと終わる。


 最後は「お忙しい中、ありがとうございました」とお礼の言葉を言ってから俺たちは退出した。



 部屋から出るとスタッフの方にテキストを返し、代わりにオーディションの結果は一週間以内に所属事務所の方にあると告げられる。


「ありがとうございます」


 俺たちは控え室の方に向かう通路の方ではなく、反対側の通路を通り会場の外に出た。


 会場の出口付近はホテルのロビーのような待機できるようなスペースがあり、そこにソファーがいくつも見えた。

 その一つにコーヒーを片手に寛いでいるマキさんの姿が見える。


 ――ソファーまであったんだ。


 行きにも通ったはずなのに気付かなかった俺は思っていた以上に緊張していたようだ。


「お疲れ様ッス」


 マキさんの笑顔にホッとして気が抜ける。これで終わったのだと……やれることはやったのだと。

 長く感じたオーディションも終わってみればあっという間だった。マキさんも俺たちに気を遣っているのか結果を聞いてくることはない。


 まあ聞かれたとしても初めて受けたオーディションだから、答えようがないのだけれど。気になるの八番女性との演技。まったくできなかった。


 ――はぁ……


 先輩も思うところがあるのかずっと無言だった。


 ――暑っ。


 車を止めている駐車場へ向かっていると日差し強くなっていることに気づく。


「暑くなったッスね」


 マキさんの明るい声が励ましてくれているように聞こえる。結果なんて気にするなと言われているように感じる。


「夏か〜」


「夏だね」


 気づけば肌寒かった日々がウソだったかのように夏の暑さを感じさせるものへと移り変わっていた。


 俺たちも今回の結果がどのような結果だろうとちゃんと受け止め気持ちを切り替え前に進むしかないのだ。

 それが悪い結果だろうとも……




 そう覚悟していたのに……その一週間後に俺と先輩は揃って合格の通知が届いて驚くことになる。


 ただその驚きはそれだけでは収まらずその兄妹怪人の正体にも驚かさせることになる。


 愛することを知る兄妹怪人はたった二人で悪の秘密結社に戦いを挑み敗れるも、その時アースレンジャーに救われて六番目と七番目のレンジャー、ブラックアースとホワイトアースになり、共に戦うヒーローとヒロインになるという事実に……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る