第32話

 事務所に入った俺と義母さんは、すぐに元気で明るい声をかけられた。


「「「おはようございます社長。おはようヤマトくん」」」


「桂木さん、栗田さん、小倉さんおはよう」


「お、おはようございます」


 義母さんの会社から出向してきた女性社員の3人だ。

 名前は桂木さん、栗田さん、小倉さんと言うらしい。清楚で落ち着いた雰囲気のある大人の女性、いかにも仕事ができそうに見えてカッコいい。いや実際、出向で来たくらいだから仕事はできる人たちなのだろう。

 その彼女たちは自分の席のその場に立ち上がっていたのだが、


 ――ん?


 朝の挨拶を終えても席に座ることなくそのまま俺に笑顔を向け続ける。


「どうかしましたか?」


 不思議に思い俺が尋ねてみると、


「ヤマトくん。逢いたかったよ」


「生ヤマトくんはやっぱりカッコいい〜ね。見惚れちゃった」


「うん。ヤマトくん、サイコーだよ」


 そんなことを言ってからなぜかサムズアップを決めてくる彼女たちなのだが、そんな彼女たちは鼻血を垂らしていてすべてが台無しになっていた。


 ――えっと……


 突然の変わり様(ポンコツへ)に俺は驚いたが、気になるのはやはり鼻血。


「は、鼻血、出てますけど大丈夫ですか?」


 俺は流れたままの鼻血が気になった。


「だいじょぶじょぶ。こんなこともあろうかと姉さんたちはちゃんと準備をしているのです」


「そうだよ姉さんたちは頼れるんだから、ヤマトくんもたくさん頼ってね」


「遠慮したらダメよ」


 そう言ってから慣れた手つきで鼻にティシュを詰めていく彼女たち。逞しいの一言だが、すごく残念だと思わずにはいられない。


「は、はい。よろしくお願いします」


 残念だろうがなんだろうが、とりあえず良好な関係でいたい俺はそう返事した。


「うんうん。ということでこれにヤマトくんのサインを書いてくれる?」


 鼻にティシュを詰めた桂木さん? がそんなことを言いながら近寄ってくると、色紙とサインペンを俺に差し出してきた。


「?」


 差し出されたのでつい受け取ってしまったけど、サインなんて今まで一度も書いたことのない俺はかなり戸惑う。というのも俺はバイトでモデルを一回、たった一回やっただけの一般男性なのだ。


 こんな俺のサインなんて本当にほしいのだろうかと思わずにはいられないのだ。


 思わず、縋るような気持ちでレイコ義母さんに顔を向けて見る。すると、少し考える素振りをみせた義母さんから予想外の答えが飛び出る。


「そうね、練習にもなるしちょうどいいわね。ヤマトくんサイン書いてみたら?」


 ――ええ!?


 驚きはしたがレイコ義母さんにも何やら考えがある様子、ならば俺に断る理由はない。


「わ、分かりました」


 でも結局次から次に色紙を出され気づけば数十枚ほど書かされていた。

 柊大和ってシンプルに書いたけど、あれでよかったのだろうか、しかもすべて宛名まで書かされたから、貰い手もいるのだろうが、その反応が少し気になる。


 目の前の桂木さんたちは器用にラミネートまでしているけど、気に入ってくれたのだろうか、ちょっと心配だ。


「おはようございます」


「社長、すごい集団を見たッスよ」


 それからすぐだった、黒木先輩とマキさんが不思議そうな顔で事務所に顔を出したのは……


 ――――

 ――


 この事務所のビルの中にはダンスレッスンができる鏡張りの部屋がある。

 レイコ義母さんがレッスンができる様そんなビルを探し出して事務所にしたのだろうけど……


 俺はそのレッスン室、鏡張りの部屋で今人気アイドルグループ、ハリケーンの映像曲に合わせて、そのダンスを披露していた。

 ただこれはもう数曲目で、海外を含む様々なPOP曲を踊らされていた。


「社長、ヤマトくんのスペックおかしくないッスか?」


「そうね。私もここまでとは思っていなかったわ」


「そうッスか……しかも全然息切れしてないッスからなおすごいッス」


 それなのに、オーディションの前に実力が知りたいというマキさんに出された課題を普通にやってみせただけで俺はなぜか呆れられていたのだ。


「ふぅ」


「ヤマトくん。はい」


 ダンスを終えた俺に先輩がタオルを渡してくれる。


「先輩ありがとう」


「いいのよこれくらい。それよりも、すごいわヤマトくん。読み合わせての台本は一度読んだら覚えてしまうし、ダンスだってキレッキレ。とても初めて踊ったとは思えないわ」


 先輩は俺がメガネをかけていると距離が近くなるのだが、テンションが少し高くなっている先輩は、目をキラキラさせて先ほどから自分のことのように喜んでみせる。正直ちょっとうれしい。


「え、ええ。まあ、俺覚えるのは割と得意で、なんでも一度見たり読んだりしたものは覚えているんですよ……でも、こんなのは……」


「みんなもできますよね?」と言いかけて慌てて口を閉じる。


 ――危なかった……同じ轍を踏むところだった。


 瞬間的に頭に過ぎったのは小学生の頃。


 小学生の頃は週に何度かクラスみんなで遊ぶ日というものがある。その時、一緒に遊んだ男子たちの顔を俺は思い出したのだ。


 男子みんなが俺に腹を立て怒っているその光景を……俺が言った一言でそうなった。


 いや、元々嫌われていたからそれはただのきっかけに過ぎないのだけれど、一度でできないみんなに「簡単なのに、なんでできないの? もしかして(俺が嫌いだから)わざと?」とその一言で俺は完全にハブられるようになったのだ。もう過ぎたことなんだけど。


「いや〜、それなら尚さらすごいッスよ」


「そうね。タケルくんも凄かったけど、物を覚える方は割とサクヤの方が得意で……、そっかヤマトくんのその記憶力はサクヤに似たのかもね」


「母さんに?」


「ええ。サクヤも記憶力が良くてね。学生の頃は学年でいつも一番だったわね。それも三年間ずっと」


 知らなかった事実なだけに、俺は胸のすく思いだった。


 ――そっか、これは母さんも……


 今まで何年も抱いでいた胸の中の蟠りが、レイコ義母さんのその一言で解消されてしまった。


 あれほど悩んで敢えて気にしないようにする事で過ごしてきた小中学校時代。

 俺も母さんたちにこのことを話さなかったのも悪いのだが、子ども心に仮に話して、もし母さんたちからも、俺がおかしな奴だと避けられたらどうしよう、要らない子だと捨てられてたらどうしようと、本気で考え、考えれば考えるほど怖くなって言えなくなったのだ。


 それがこんなにもあっさりと解消してしまった。俺は俄然やる気が出た。


「マキさん。これで終わりですか?」


「いえ、まだ残ってるッスけど……ヤマトくん一応やってみるッス?」


「分かりました」


 俺はそれからしばらく、マキさんの出す課題を一つ一つ完璧に披露してさらにマキさんたちを呆れさせるのだったが、先輩も運動は得意だったらしく、マキさんも手を叩いて褒めていた。


「もう。お姉ちゃん褒めすぎだって」


「だってミキが本当にうまかったから。お姉ちゃんうれしい」


 姉妹で話す時は普通に話すマキさん。ちょっとシスコンが入ってるように見える。


 それでもマキさんもレイコ義母さんも素人だ。そこでレイコ義母さんは、事務の桂木さんたちに頼み別室から今日の俺たちの映像を撮ってもらっている。


 それを後で専門家に見せてアドバイスをもらってきてくれるらしい。さすが頼りになるレイコ義母さん。



 ――――

 ――


 休憩中、レッスン室の床に座って俺たちは話していた。


「あ、そうそうオーディションについて少し調べてみたッスけど、基本は自己紹介・自己PR・実技審査・特技披露・質疑応答の運びになるらしいッスよ」


 俺もオーディションってやつをなんとなくスマホで調べ、そんなことが書いてあったので、マキさんの話を聞いても別に驚きはない。


「うん。私も色々な役のオーディションを受けて来たけど、そんな感じだったわ」


 オーディション経験者の先輩もマキさんの話に頷いてみせるが、それからマキさんの顔色が少し変わる。


「普通のオーディションならそうなんスけど、特撮ヒーローを制作する、東西映像制作チームの監督は少し変わっているらしいッスよ。

 ペアでのオーディションもその監督の指示ってことッスから、一体どんな内容になるか予想がつかないッス」


 その話を聞いて何となくレイコ義母さんに顔を向けて見れば、レイコ義母さんもこくりと頷く。

 レイコ義母さんにもまだ情報は入ってきていないらしい。


「とりあえず、どんな無理難題を言われてもいいように、ミキは早めにヤマトくんの素顔になれることッスね」


「は、はい……」


 自信なさげに先輩はマキさんに頷いてみせた。


「ヤマトくんも協力してほしいッス」


「それはもちろんです」


「ヤマトくんありがとう」


「それじゃあミキちゃん、ヤマトくん

 ……」


 そこで嬉しそうに声を上げたのはレイコ義母さん。レイコ義母さんは俺と先輩にじゃんけんからのあっち向いてホイを提案してきた。


「じゃんけん……」

「あっち向いてホイ」


 俺と先輩は思わず顔を見合わせた。もちろん俺はまだメガネをかけている。


「そうよ。ただ向かい合っているだけって誰とでも嫌じゃない? 特にヤマトくんやミキちゃんの歳だと照れくさかったりもするだろうから……」


 そこで先輩はレイコ義母さんに向かってこくりと頷く。


「そうよね。だからゲーム感覚ですれば訓練しながらでも少しは気が紛れ楽しめると思ったのよ。

 その勝敗で罰ゲームなんかも考えるのもいいわよ。そこは二人に任せるけど……で、どうかしら?」


 俺もただ向かい合っているだけだと照れくさくて苦痛に感じるだろうし、義母さんの提案は正直ありがたい。


「俺は、それでいいですよ。先輩はどうですか?」


「じゃ、じゃあ私もそれで……」


 それから俺と先輩は時間の許す限りじゃんけんからのあっち向いてホイを繰り返した。


「ご、ごめんヤマトくん。休憩させて……ちょっと逆上せそうなの」


「分かりました」


 すぐに顔を真っ赤にして倒れそうになる先輩が俺に勝つ事はなかったけど、先輩も少しは慣れてくれたのではないだろうか。


 そして、この日の夕方にオーディション開催日時の連絡が来た。

 俺と先輩のオーディションは来週の土曜日とのことだった。


「こ、この内容を一週間ですか?」


「そうッスね。講師もちゃんと連れてくるから安心するッス」


「そ、そうなんだ」


「そう。ミキもがんばるのよ」


「う、うん」


 レイコ義母さんのほぼ予想通り、この一週間は読み合わせや表現力の練習、ボイストレーニングにダンス、さらに面接での受け答えまで濃い内容の予定がマキさんの手によって組まれ、そのハードさに俺と先輩は思わず顔をしかめ見合わせるのだった。

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