第31話

 翌朝の土曜日。今日は学園は休みだが、レイコ義母さんとリアライズ芸能事務所に顔を出すことになった。黒木先輩ももちろん来る。


 ――何を着て行こうか……んー、まあいつもので……


 俺は普段着ているカジュアルな服、モノクロブランドの衣類に手を伸ばし、


 ――いや。


 やめた。というのもリアライズ芸能事務所には今現在、レイコ義母さんの会社の社員さんが出向で来ているらしく正式な社員さんはまだいない。現在募集中とのこと。

 義母さんの会社の社員さんは当然グレイドブランドで身を包んでいる。


 そんな事務所に普段、着慣れているからといってモノクロブランドの服を着ていくというのはどうかと思ったのだ。


「こっちにするか」


 俺は撮影で使ったグレイドブランドの服、その中でも比較的ラフな服装を手に取った。


「悪くは、ないんだよな」


 高級ブランドと言うことで躊躇するが、着てしまえばなんてことない。

 自分でいうのもなんだがわりと似合っているんじゃないかと思ったりもする。


「よし」


 それから俺は部屋を出てレイコ義母さんがたぶん待っているだろうと思われるがリビングに向かう。


 ――ん?


 すると廊下をふらふらしながら歩く父さんを発見した。


「父さんおはよう」


「お、おうヤマトか。おはよう」


 今日の父さんの顔は酷くやつれて見える。まずいと言っていた意味がよく分かるやつれっぷりだ。どうも俺が買っておいた栄養補助食品一つだけじゃ足りなかったらしい。


「父さん大丈夫? とても大丈夫そうに見えないけど」


「あ、ああだ大丈夫さ。これくらい。ははは」


 そう言ってから引きつった笑みを浮かべる父さん。とても大丈夫そうに見えない。でも父さんは大丈夫というから大丈夫なのだろう。


「そう。ならいいんだけど……今度から栄養ドリンクも買っておこうか?」


「おお、そうか。それはいい助かる! ヤマトにはこんな情けない姿を見せているが、妻を想う夫として、一人の男として、これは絶対に必要なことだからさ、やめるわけにはいかないんだ……いや、やめるつもりはさらさらないけどな。ははは……

 まあ、なんだ。そのうちヤマトも分かる日が……来たらたぶん結婚してるだろうし、その時は一緒に酒でも飲んで語ろうな……ははは。なんだか、その時が楽しみになってきたぞ」


 そう言った父さんは少し元気を取り戻し洗面所の方に向かって歩いていった。


「結婚って……俺まだ高一なんだけどな……」


「ヤマトくんおはよう」


「おはよう」


 リビングに入ると母さんたちが元気に挨拶をしてくれる。弟と妹は居ない。まだ寝ているのだろう。


「ヤマトくん。朝食終えたらすぐに行くわよ」


 コーヒーを片手にレイコ義母さんが俺に向かって小さく手を振る。


「はい」


 日によって変わるけど今日は特にレイコ義母さんが元気そうでご機嫌に見える。

 昨日はたしかメグミ義母さんが、その前がカナコ義母さん、その前が母さんが……

 どうしてだろうとは思うが、そこはなんだか触れてはいけない気がして聞かずにいる。


「ヤマト、その服装いいわね。大人っぽくてカッコいいわよ」


 服装について、普段は触れてこない母さんが、俺の服装を見て褒めてくれた。これは珍しい。でも、母さんから言われると照れ臭くというか、少しむず痒くなって少し口調が雑になっていけない。


「そうかな」


「うん。いいじゃない似合ってるよ」


「ありがと」


「ふふふ」


 笑みを浮かべている母さんの隣に、


「あ、それレイコのブランドのヤツね。そんな姿見せられたらみんなヤマトくんに惚れちゃうかもね」


「うん、これは惚れるわ。やるわねヤマトくん」


 メグミ義母さんやカナコ義母さんが腰を下ろして会話に割り込んできた。


「昨日の彼女さんたちにも見せてあげたらいいのに」


「そうそう。きっと喜ぶわよ」


「はいはいありがとう」


「あー照れてる? 照れてるわね」


「ヤマトくん。可愛いわよ」


「……」


 ここまでくるとからかわれている気がしてきたので適当にその話を流しつつ俺は朝食を済ませた。



 ――――

 ――



「義母さん。これは一体どういうことでしょう?」


「ヤマトくん……予想外だわ。私の認識がかなり甘かったみたい」


 そう言ったレイコ義母さんが事務所の方に顔を向けた後珍しくため息をついた。いつも前向きなレイコ義母さんは滅多にため息をつかないのだ。


「あの様子じゃあ、帰りそうにないわね」


 そう、俺はレイコ義母さんの車でリアライズ芸能事務所の駐車場までたどり着いたのだが、その事務所の入り口付近には、なぜか20人くらいの女性が集まっていたのだ。


 俺が今いる駐車場と事務所との間には、大きな道路を挟んでいるため少し遠く、その女性たちの年齢層は分からないが格好からしてたぶん若い女性たちだと思う。


 しかも、その集団は駐車場からしばらく様子を眺めていても事務所の前から離れる様子がなく、これはもう考えるまでもなく誰かを待ち伏せしている、という結論にいたるのだが、それだと誰を? という疑問が残る。


 俺がそんなのことを考え首を捻っていると、


「ヤマトくん。待ち伏せされているのはたぶんあなたよ」


 レイコ義母さんがそう言ってからスマホの画面を向ける。


「へ?」


「これよ、これ。ほら、前にも話した」


「あぁ……」


 そう言ってから俺は前にレイコ義母が大変だったと話してくれた日のことを思い出した。


「私の会社の対応としてもファッションモデルとして採用しているモデルさんの名前を告げないというのも不自然だから、リアライズ芸能の柊大和だと少し紹介するページを用意したわけよ……もちろん他の専属モデルの子たちも同じように紹介ページを作ったのよね。

 あの場にいるのが男性ならミキちゃんって可能性もあったけど、どう見ても女性だからね。そうなるとヤマトくんしか居ないじゃない?」


「確かに。でも俺からすると、なんで俺なんかをわざわざって気もするけど……」


「それは私の口からは何とも言えないわね……でも、会ってみたいって気持ちも分からなくないかな……」


「会ってみたい……俺に?」


「まあ、そこはいいじゃない。それよりそのメガネと前髪、なんとかして入った方がいいわね」


 本当なら目立たないようにいつもの地味偽装して事務所に入るつもりだったのだが、それをすると地味偽装した柊木邪馬人が柊大和だと簡単にバレてしまう。


「そう、ですね。あの事務所に所属しているのは先輩と俺しかいないわけで、地味偽装してもすぐに俺だとバレてしまいますもんね」


 俺はメガネを外し前髪を掻き上げるが、サラサラの前髪はすぐにパラパラと落ちてくる。でもここにはヘアワックスなんて持ってきていない。どうしようかと思い悩んでいると、


「ヤマトくん、これを使うといいわ、少しはマシだと思うの」


 そう言ってからレイコ義母さんが小さなバッグから取り出したのは小さな黒いヘアクリップ。シンプルなデザインだから俺が付けても違和感もなく、そこまで目立たないだろう義母さんが言う。


「お願いします」


 断る理由はないのですぐに義母さんにお願いする。


「二つしかないから、片側だけ留めてみるわ」


 レイコ義母さんが運転席から少し身を乗り出し俺の右側(義母さんが運転席で俺が助手席のため)の前髪を後ろに流し元に戻らない様にヘアクリップで留めてくれた。


 レイコ義母さんが綺麗につけてくれたのか、右側の前髪が垂れて戻ってくる感じはしないが鏡がないから自分で確認はできないけど、今は仕方ない。


「それじゃあヤマトくん。行きましょうか」


「はい」


「あ、そうそう。それとヤマトくん。急にこんなことになって悪いとは思うけど、愛想は良くしといた方が無難よ」


「愛想もなにも、俺モデルを一回しかしていない、ほぼ一般人なんだけどなぁ……」


 愛想良くとはどんなことを、と考えていると、俺の考えを読まれたのか、レイコ義母さんが笑みを浮かべながら話を続ける。


「まあ間違っても邪険に扱わないでって意味よ。最低限愛想良くしてくれればいいと思うの。

 これでも私、会社を経営する立場にあるから、こんな些細なことでも会社のイメージに繋がってたりするから……えっとほら、例えば採用していたモデルが、実は性格が悪かったとか分かったら、宣伝していた商品のイメージまで悪くならない?」


「それは……なりそうですね」


「でしょう。杞憂かもしれないけど、リスクはなるべく避けたいのよ。ごめんなさいね」


「いいえ。大丈夫です。というかそういうこと俺、全く分からないから、むしろ教えてもらってよかった」


「そう言ってくれると私も助かるわ。ありがとう」


 それから俺は義母さんと少し警戒しつつ事務所に向かったのだが……


「きゃー、あそこっ、大和くんよ。本当に来たわっ」

「うそ、どこどこ、うわうわっ、本当に大和くんだぁ」

「カッコいい。超〜カッコいいよ〜」


 事務所にある程度近いたところで女性の集団から黄色い声が上がる。俺に向かって両手を大きく振っている女性もいれば涙を流して目頭を押さえている女性までいる。


 事務所の方に向かって俺たちが歩いているため、こちらに駆け寄ってくる女性はいないが、正直、俺の想像以上で、思わず苦笑いを浮かべそうになった。


 だが、こんなちょっとしたことで俺はレイコ義母さんの会社イメージを下げたくない。


 ――そうだ……


 そこで俺はサキたちの事を思い浮かべることにした。

 昨日カラオケルームではしゃぎ抱きついてなかなか離れなかったサキ。お菓子を俺の口まで運んで満足そうに笑っていたアカリ。鼻血を出して倒れていたナツミと黒木先輩。音を外しながらもドヤ顔で歌う委員長。気づけば隣に座り頷いていた川崎。


 俺は全く知らない女性たちの集団を彼女たちだと思い込むことで笑顔を絶やさないよう心掛けた。

 笑顔には笑顔で、手を振る女性には俺も同じように手を振って応える。


 ――あれ……?


 気づけば真っ赤になった女性たちの集団が半分に割れていて事務所までの道が綺麗にできていた。


 俺とレイコ義母さんは問題を起こすことなく、すんなりと事務所に入ることができた。


「や、大和くん。が頑張ってください」


 事務所に入る寸前にそんな声が背中越しに聞こえてきたので、俺は一度振り返り女性たちに向かって笑顔向けて、


「ありがとう」


 と右手を少し上げて応えた。


 その後はすぐに事務所の中に入ったけど、少し後に入ってきた黒木先輩とマキさんが20人ほどの女性の集団がふらふらしながら歩いているのを見たと不思議そうにレイコ義母さんに話していた。


 なんとなく心当たりのある俺だが、レイコ義母さんがくすくす笑っていたのできっと大丈夫だろう。

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