第19話

「ヤマトくんなかなかいい感じに撮れてたわよ」


 お昼過ぎ撮影を終えた俺が休憩室で休んでいると、お弁当を持ったレイコ義母さんが休憩室に入ってきた。

 義母さんに聞いていた通りメンズ部門って割と規模が小さいらしくて意外に早く終わったのだ。


「それならよかった。正直余裕はなくて、ただスタッフの皆さんから言われた通りにやるだけで精一杯でした」


 そう俺は何も知らない素人。撮影するスタジオに初めて足を踏み入れた時にはすこし感動したけど、あとは高そうな機材なんかが多くてお金がかかってそう、ぶつかって壊さないようにしよう、その程度だった。


 俺はただ言われた通りの服を着て、指示された位置でポーズを取り要望に添った表情を作っただけ。


 でも服が変われば髪型も商品イメージに合わせた髪型へと変えられる。これが結構というより一番大変だった。服なんかはパパッと着てしまえばいいから気持ち的に楽なんだけど髪型はそうはいかない。どうしてもプロである一木さん頼りになる。仕上げには黒木さんから撮影映えるするような化粧まで施される徹底ぶり。正直かなり苦痛だった。毎日のようにお化粧をして過ごす女の人って本当にすごいと思う。


 そんな中でも一番印象深く残ったのはオールバックだ。オールバックなんて自分じゃ絶対しないと思っていたから。だけど一木さんは上手くゆるっとふわっとやってくれて意外にありかもって俺でも思ってしまった。プロがすると思っていたイメージと全然違くなるからほんとに不思議。


 ただ一木さんは髪をセットし直す度にメガネをかけさせられるから、俺のこと苦手なんじゃないだろうか? 会ったばかりで嫌われたとは思いたくないので黒木さん同様程良い距離を保ちたい。


 比較的早く撮影が済んだから順調に行ったと思うかもしれないが、実はそうでもない。


 撮影中ハプニングがかなりあった。それは撮影をしていた女性スタッフの方たちが相次いで貧血を起こして倒れてしまうという予期せぬハプニングだ。


 周りが騒然となり大変だったけど、でもそこはやはりプロたち。さすがの一言。貧血で倒れた女性スタッフたちは気合と根性で起き上がり無事に撮影を終えたのだ。仕事に対するプロ意識、尊敬に値する。バイト代が入ったら義母さんに頼んで差し入れでもしといてもらおう。

 次の機会撮影のバイトなんていつあるか分からないし。


「あらそうだったの。ヤマトくん、すぐに順応しているように見えたわよ。お願いした私も安心して見ていられるくらいにね」


「義母さんにそう言ってもらえると、俺も少し安心かな」


「ふふ。自信持っていいわよ。それに、スタッフのみんなも色々なモデルさんを見て来ていてかなり目は肥えているの。そのみんなが初めてとは思えないと褒めていたくらいだから、はい」


 笑みを浮かべた義母さんが二つ持っていたお弁当の内の一つを俺に差し出してくる。


「そう、ならよかったけど、って何この高そうな見た目のお弁当は?」


 個包装された割り箸には日本料理、舌鼓とある。どう見ても高そうな仕出しお弁当っぽい。


「ふふ。いつもならおにぎりやパンなどでみんな軽く済ませるのだけど、スタッフのみんな気合入っちゃっててね。辞めたクズキさんで撮影していた夏商品もヤマトくんで撮り直したいってスタッフ総出で私の元まで来たのよ。ヤマトくんがちょうど着替えている時にね。

 それに私の方も辞められたモデルの写真をいつまでも使いたくないからその方が助かるのよ」


 ちなみにクズキは交渉中だと思っているがヤマトが後を引き受けた時点でスタッフ一同クズキの復帰はないものになっている。


「それでこれですか?」


 再び俺はお弁当に目を向けた。その箱からして普通のお弁当とは違う。中はもっとすごいだろう。


「ふふ、それは違うわ。だってこれは元から注文してたものだもの」


 ――あら、違った……ん、元から?


「スタッフのみんなも?」


「もちろんよ」


 俺はそこでピンとくる。なるほど。そうか、義母さんは俺が失敗してもいいようにスタッフのみんなに賄賂……いや誤魔化そ……いや気を遣ったのだろう。


「なんだか、ヤマトくんが変なことを考えているようだから先に言うけど、バイト代をもう少し弾むからお昼からも協力してくれないかしら」


 そう言ってから「お願い」と可愛く両手を合わせる義母さん。義母さんの見た目は若い普通の成人男性なら惚れてしまう。そんなレベルの可愛さはあった。でも俺にとっては子どもの頃からお世話になっている義母さんなのだ。


「そんなこと、義母さんが一言言ってくれればするって。別にバイト代も元々聞いていた金額で十分だから」


「そう」


「そうだよ」


 それから義母さんとお弁当を食べたのだが、中は和食弁当だった。

 色鮮やかで細部にまでこだわった盛り付けに、あっさりとしていてヘルシー且つ上品な味付け。女性が好みそうなお弁当だと思った。俺はもう少しお肉が食べたいかも。おいしいけど、高そうな小さなお肉が二切れじゃちょっと足りない。


 ――――

 ――


「あら、ミキちゃん。今日はどうしたの。今日は撮影なかったよね?」


「えっと、今日は姉のマキに用事があって……」


 ほんとは違う。その罪悪感から私の視線は泳いだ。姉のマキにクズキさんの代わりのモデルが今日撮影に来ると聞いていたから。


 なんでもそのモデルは私と同じ学園の一年生だという。私は高校三年。どんな子かとても興味があった。


 というのも私、黒木美紀は女優を目指している。


 私もモデルの子と同じ高一の頃に姉の真紀から勧められてモデルのバイトを始めた。女優を目指すならきっとプラスになるだろうからと。


 その通りだった。姉のお陰であっさりと芸能事務所は決まり所属できた。でもうまくことが運んでいたのはそこまで、現実はそう甘くはなかった。

 事務所の勧めで色んな役のオーディションを受けているけど一つもまだ受からない。


 そう今の私は心が少し折れかけていた。自信を失いつつあるのだ。でもまだ諦めたくない。


 モデルの子に興味があると思ったのも、もし同じ夢を持っているのならば語ってみたいと思ったからだ。

 その高一の彼から、高一の頃頑張ろうと意気込んでいた私の心を、あの頃のようなやる気に満ちていた心を取り戻せるきっかけにでもなればと思っているのだ。


 ――はは……私ってバカ。都合よすぎよ。


 そんな都合よくいくはずないと心の何処かでは思っているけど、それでもと僅かに期待している自分をおかしく思い自嘲した。


「姉はいますか?」


 それからまた姉の真紀と仲の良い桂木さんに視線を向ける。


「えっとマキは今スタジ……そうだミキちゃん私が案内してあげる」


 そんな桂木さんの声にフロア内にいる数名のスタッフの視線が一斉に集まり、そのスタッフたちが音を立てて勢いよく立ち上がる。


 ――え? な、何……


「さ、さあ、行きましょう」


「ちょ、ちょっと桂木さん。姉がどこにいるのか教えてもらえたら私、自分で行けますから」


「いいからいいから」


 私が驚いている間にも桂木さんから背中をグイグイ押され気づけばエレベーターの前。部屋を出る際「裏切り者」「ずるい」「私と代われ」とか意味不明な言葉が後ろから聞こえてきた。


「さあ行こうかミキちゃん」


「はあ、私、桂木さんに迷惑かけたくないんですけど……」


「気にしなくていいから」


 なんだか楽しそうに見える桂木さんがエレベーターのトビラを開けたので、私も一緒に中に入る。

 桂木さんはすぐにフロア39のボタンをタッチした。


 それから桂木さんから案内されたのはいつものスタジオ。ここなら私も知っている。案内なんていらないと思ったが、きっと桂木さんにも用事があったのだろう。

 それでも案内してくれた桂木さんには一言お礼を伝えるべきだと思い隣を見る。


「? いない」


 桂木さんはどこにも見当たらなかった。きっと自分の用事を優先させたのだろう。私としてもその方が気楽だ。


 ただスタジオ内はすごい熱気だった。スタッフたちの人数も私のときの比ではない、というか多すぎだと思う。姉に聞いていた人数よりもかなり多い気がするし、でも困った。これだと姉がどこにいるのか分からない。姉には黙って来ているから先に謝っておきたいのだ。


 ――?


 きょろきょろと辺りを見渡していてふと気づく。誰もが真剣な眼差しでステージの方を見ていることに。


 ――あれ?


 だがそこにモデルの子どころか誰も居ない。不思議に思いつつその周囲に目を向けていれば、鼻を押さえた一木さんと姉を発見する。


 ――マキ姉どうしたんだろ……


 でもその足取りはふらふらとおぼつかない様子。私は心配になって姉の方に向かっていると、


「最後なのに時間がかかっちゃって、お待たせしてすみません」


 奥から男性の声が聞こえてきた。心地の良いすごくイイ声。よく通るずっと聞いていたいと思えるような声だった。きっと声の主の彼がそうなのだろう、姉からは秋モノと聞いていたからそれで時間がかったのだろう。


 ―― 秋モノは意外と身につけるアイテムが多いのよね。


 それからすぐにその声の主が撮影用のステージに現れた。


 ――!?


 な、な、なんと水着姿で。私を含め周りにいた誰もが息を呑む。


 商品らしいき上着を羽織っているけど鍛えられた胸板と六つに割れた美しい腹筋に釘付けになる。

 それから視線は下へと流れ、商品のサーフパンツから伸びる鍛えられた脚も長く、足下に履いているのも商品のサンダルなのだろうが、ハッキリ言って商品よりも彼自身の美しさに驚く。


 それから私の目は自然と彼の顔に向かい……か、神……


「ぁぁ……」


 その瞬間に顔だけでなく全身までもがカーッと熱くなった。けれど私の意識はそこまでだった。


 姉に後から聞いたら鼻血を出して気絶していたらしい。なんてことだ彼と挨拶すらできなかった。


 姉には少し怒られたが、幸いなことに彼に鼻血姿を見られてはいないようだった。

 テスト明けにでも彼に接触を試みようと思った私の心は少し弾んでいた。

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