第18話
「スタイリストさーん……」
「ふふ……」
俺が何度かスタイリストさんに呼びかけていると、顔を赤く染めていたスタイリストさんから突然変な声が漏れてきた。
――? ……スタイリストさんが笑ってる?
俺がそう思っている間にも彼女の両手が動き気づけば外したはずメガネがまたかけられている。俺は再びメガネを装着した。
――はい?
俺は意味が分からず思わずスタイリストさんを見上げる。すると、
「スタイリストさ、ん!?」
スタイリストさんは笑みを浮かべていた。でもその笑みは少し不気味に見える。何やらぶつぶつと口にしているからそう見えるのかもしれないが。
「ふふ、ふふふ……やるわね。油断したわ。これでも私、イケメンモデル相手に仕事をこなしてきてイケメン耐性は人並み以上だと思っていたのに、その耐性すらもかるく凌駕する超イケメンだったなんて。何、私に惚れて欲しいの。惚れて欲しいのね……いいわ。その誘い……乗って……」
尻上がりに大きくなる彼女の呟きに一瞬俺に話かけているのかと思って返事をしそうになるが彼女の目の焦点は合っておらずそれが独り言なのだと気づく。
彼女のそんな様子に少し怖くなってきたので肩をかるく叩いて正気に戻してやろうと試みる。
「スタイリストさん大丈夫ですか? スタイリストさーん戻ってきてくださーい」
「っ!? ぁ、れ? 私、どうしてたのかしら。ごめんなさいねヤマトくん。私ぼーっとしてたようね。あは、あはは……」
意外と簡単に正気に戻ってきてくれて安心したけど、きょろきょろと辺りを見渡してから空笑いするスタイリストさん。なんだろう。できる人のイメージがだんだんと崩れていく。
「あの俺、メガネ外さなくていいんですか? スタイリストさんがまたかけちゃったんですよ」
そう外してから戻すって俺にはその意味が分からなかった。
「えっと、あ、私の事はスタイリストさんじゃなくてサナって呼んでくれる。私、
「は、はあ。サナさん、ですね」
「うん。それでいいわ。それでメガネの方なんだけどね。先に髪からセットしようと思ったのよ。ちょうど後輩が男性モデルのお化粧もしてみたいって言っていたし、ちょうどいい機会だから経験させてやろうと思って。後でその後輩を呼んでくるわ」
そう言いつつもなぜか俺と目を合わせてくれないスタイリストさん。よく分からないけど、スタイリストさんがそう言うのであればそうなのだろう。
「そういうことなら分かりました」
「はい。そういうことです。それで今回の撮影に使う商品は秋にかけての新商品になるんですけど、ウチは高級ブランドのイメージを壊さないために落ち着いた商品が多くてヤマトくんの様な若者向け、とは言い難いのよ。
それでヤマトくんには少しでも大人びた雰囲気を出したいから、額を出して髪を軽く後ろに流してみようと思うの。でもイメージと少し違ったらその時は手直しするけど」
「えっと。すみません。その辺の事も分からないのでお任せします」
「ふふ、はい。任されました」
それからのスタイリストさんの手際といったらさすがの一言。うなじや眉まで整えてくれて、あっという間に髪のセットが終わる。
「ヤマトくん、こんな感じでどうかしら?」
彼女がA4サイズくらいのスタンドミラーを手に持って仕上がりを見せてくれている。というのもここは本来なら会議室で美容室のような前面に大きな鏡があるわけじゃない。それで俺の確認は最後になった。
「すごいですね。俺でもなんかそれっぽく見えます」
サラサラしていてセットのし難い俺の髪でも彼女の手にかかれば思い通りなのだろう。本当にモデルっぽく見える。たぶん立体的なうねりが大人っぽい雰囲気に見せてくれるからなのだろう。
それに毛先の方もどうやったのか軽くパーマを当てたかのようにちょっとクセがついていてなんかカッコいい。
「よかった。それじゃあ後輩を呼んでくるからヤマトくんはその間にこの服に着替えててくれる?」
スタイリストさんが会議室に持って来ていた撮影用の商品を手に取り俺に渡してくれる。
「はい、分かりました」
それからすぐにスタイリストさんは会議室から出て行く。俺もすぐに着替え始める。ただ、
「マキちゃーん。ちょっといいかな」
「……なんスか先輩」
衝立の壁が薄いのか、それともスタイリストさんたちの声がよく通るのか知らないけどその声がモロに聞こえてくる。
「ヤマトくんに少し化粧をして欲しいのよ」
「は? ヤマトくんって社長が連れてきたクズキの代わりにモデルやってくれる子っスよね? 男担当は先輩の仕事っスよ」
「そうなんだけど」
「それに先輩は私が男嫌いなの知ってるっスよね?」
「うっ、でもそこを何んとかお願いしたいのよ。お願い」
「なんでスっか。先輩でも手に負えないくらい酷かったっスか? それならそれで少し興味があるっスけど」
「じ、実はそうなのよ。だからお願いしてもいい? 今度何か好きなもの奢るからさ」
「……はぁ、焼き肉。高級焼肉店十四じゅうしーの焼き肉奢ってもらうっスよ」
「オッケーオッケー。お店は任せる。好きなだけ食べさせてあげるから」
「はぁ、化粧道具取り行くのが面倒っスから先輩の貸してもらうっスよ」
「今回はしょうがないものね、分かったわ」
そんな丸聞こえの会話を終えたスタイリストさんがノックをした後に満面の笑みを浮かべながら会議室に入ってきた。その後に入ってきた人が後輩の人なのだろう。
「ヤマトくん着替えは終わってるわね。ん? 髪が少し乱れてるわね。そこは後で直すね」
「服着るときですね。気をつけていたんですけど、すいません」
「いいのいいのそんなことよりヤマトくん。この子が私の後輩のマキちゃんです」
スタイリストさんが「可愛いでしょう」と言ってその後輩の肩をぽんと叩く。
「ども黒木っス。一木先輩の後輩ッス」
モデルさんかと思うくらいスレンダーで綺麗な人だった。この人が化粧をしてくれるらしい。言動が少し男っぽいから可愛いよりカッコいいの方が似合いそうだと思った。
「ヤマトと言います。よろしくお願いします」
俺も初対面なので椅子から立ち上がり頭を下げる。
「ん?」
顔を上げると後輩の人は「あれ」というような不思議そうな顔をスタイリストさんを向けていた。
「じゃ、じゃあヤマトくん早速椅子に座ってくれる。少し時間がかかっちゃってるからペースを少し上げたいの。マキちゃんお願い」
「はいはい」
後輩さんは本当に男が嫌いなんだろう。しかめっ面且つ気怠そうに俺の正面に回ってきてからメガネを外してくれた。
「!?」
外した瞬間後輩さんはぎょっとしたような顔をしてから、すごい速さで一木さんの方に顔を向けたが、一木さんは鳴りもしない口笛を吹いてそっぽ向く。
「くっ」
それから俺は後輩さんから睨まれつつ化粧を施してもらったんだけど、一木さんが途中から鼻血を出して倒れてしまった。
「ヤマトくん。そろそろ準備はできたかしら」
それからタイミングを見計らったかのようにレイコ義母さんが入ってきた。
「あらヤマトくん。なかなかいいじゃない。カッコいいわよ」
義母さんは俺の頭の天辺から足の爪先までをじっくり見てから納得したように頷く。
「サナさんと黒木さんのおかげです」
一木さんは倒れているので後輩さんに顔を向けてみればプイッと顔を逸らされた。
――男嫌いって言ってもんな……バイトでしばらくお世話になるんだ。これ以上嫌われないようにしとこう。
そう思った俺は後輩さんとは挨拶程度に留め無理な接触は避けておくべきだろうと思った。
「ふふ。それじゃあ遅くなったけど、みんなに挨拶してから下の階に降りて撮影ね」
「はい」
それから会議室を出ていく義母さんに続いて俺も会議室から出る。鼻血を出して倒れていた一木さんも辛うじて起き上がれたらしく後輩さんに肩を借りながらふらふらとついてくる。
「みんな少し手を休めて集まってくれる。クズキさん後任で代わりを務めてくれるモデルの子を紹介するわ」
よく通る義母さんの綺麗な声に反応したフロア内にいる社員やスタッフの人が、作業を中断してからぽつりぽつりと椅子から立ち上がるのが見えた。
「モデルの子って社長は言うけどさ、さっき通った地味な子よね」
「だよね。別に紹介してくれなくてもいいって、ね」
「だね。勝手にやってって感じ。私たち関係ないんだし」
「はあ、クズキ、また来てくれないかな」
「クズキ顔は良かったもんね」
「そうそう。地味くんよりさ。癒し系イケメンモデルくんを早く雇ってくれないかな」
「そだね。癒し系イケメンモデルくん来て欲しいよ」
入った時と違うのは立ち上がった社員やスタッフの人たちがこちらに向かって歩いてきているってことだ。
ただその足取りは少し重そうだ。きっと中断した仕事が気になっているだろう。俺ひとりの紹介のためになんだか申し訳なく思ってしまう。
「あれ?」
ただその社員やスタッフの人たちが次々と口元を押さえてから立ち止まる。不思議に思い立ち止まった人に視線を向けて見れば、
「ひゃわ!」
顔を真っ赤にしてしゃがみ込んでここからでは見えなくなった。
ただそれは一人だけじゃない。
「あわわっ」
俺が顔を向ける度に顔を隠してからみんながしゃがみ込む。
「お、お王子がいた」
「だ、誰よ地味って言ってたヤツ」
「お、お化粧直したい」
「そ、それ私も」
「キラキラエフェクトが半端ないんだけど」
「……尊いすぎる」
「あんたはクズキがいいって言ってたじゃない」
「言ってない。クズキなんて知らない。誰それ」
「私もう一回覗いてみる……はぅ」
「あ、あんた鼻血出てるから、ほ、ほらティッシュ」
「あう」
とうとう俺たち以外に立っている人がいなくなってしまった。俺は摩訶不思議な現象に思わず首を傾げてしまう。
「か、義母さん。なんかおかしくない?」
「ヤマトくんいいのよ。でも私の予想以上だなんて、おかしいわ。ふふ」
でも俺と違ってレイコ義母さんはまるで悪戯が成功した子どものように口元を押さえてから本当に楽しそうに笑っていた。
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