第15話

 昨日の夜は寝付きが悪かった。それでいて今朝はいつもより遥かに早い目覚め。午前中の授業は眠気に襲われ大変だった。

 それでも目蓋や頬、膝などを強く摘んだその痛さでどうにか意識を保つこと数十回。永く感じた午前中の授業が四時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

 静かだった教室内は一転して騒がしくなる。


「橘〜、少しいいか。すぐに終わる」


「あたし? なんだろう。ちょっと行ってくる」


 そんな中なぜか橘だけが担任に呼ばれて職員室に行った。


 ちなみに俺たち一年A組の担任は励益輝夫はげます てるお先生。生徒からはハゲてる先生と呼ばれ親しまれているが、その名の通り彼の頭はかなり涼しげである。

 歳は三十代後半で奥さんは二人。


 生徒の面倒見が良い上に明るくユーモアがあるから意外と女子生徒にも人気のある先生の一人だ。一学年の主任でもある。


「サキ、なんだろうね」


「うちらとずっと一緒に居たのに、サキだけが呼ばれるってのも変な話だし」


 二人にも身に覚えがなかったようで顔を見合わせてから不思議そうに首を傾げている。


 すぐに終わるらしいから、とりあえず机を並べてお弁当を食べる準備だけはしておく。それから俺はラノベを読み二人は雑談しながら橘が戻って来るのを待った。


 10分くらい経っただろうか、


「あ〜待っててくれたんだ。うれしいね」


 何事もなかったかの様に橘が教室に戻ってきた。雰囲気や顔色に変わりがないので悪い話ではなかったのだろうが、少し気になった。


 ただ俺が橘に尋ねる前に心配していた田中と鈴木が先に口を開く。


「ハゲてる、なんだって?」


「大したことないやつ?」


「んと、昼休み時間減っちゃったから食べならが話すよ」


「うん」


 教室内の壁に掛けてある時計をチラリと見た橘が気を遣いそう言うので、俺たちは食べながら耳を傾けた。


 その橘からの話は、昨日の不審者が捕まったということ、その人物が一年D組の本田だったという話から始まり、ここまでは委員長に聞いていた内容と被っている。


 そこから先がちょっと違う。というか知らない。どうやらその捕まった本田は橘に用事があってアパートの前をうろうろしてしまったと警察に証言したらしい。まあ早い話が橘の事が好きで告りたかった。けどなかなか勇気が出なかった。


 まあハゲてる先生が「本田より先に俺が言うわけにはいかないからな」と直接的な言葉は避け濁したみたいだけど。


 すぐに察した橘は俺と付き合ってるから、その想いに応えるつもりないときっぱりと断ったらしい。


「そこは俺に言わんでもいい」と苦笑いしていたハゲてる先生。ただ最後に本田は少し思い込みが激しいのかもしれないから断るなら少し注意した方がいいこととなるべく一人にはならないよう忠告してくれたそうだ。


「それで、その本田は金曜日の今日だけが自宅謹慎らしいけど、土日明け来週の月曜日からは普通に登校してくるらしい(テストが始まるから)。

 つーか、そいつは徳川の周りによくいるヤツなのよね」


「徳川の。そっか本田って、あの……」


「アイツね……」


 残念ながら委員長が言っていた退学とまではならなかったようだ。

 まあ見た目は爽やかなイケメンらしいから上手くやったのだろう。なかなか侮れないヤツのようだ。

 しかし、彼女たちはそのイケメンの本田ってヤツを知っているみたいだ。


「俺は知らないヤツだから疑って悪いと思うけど、徳川と仲がいいってのが気になるな。でもクラスが違うけどサキたちは知ってたんだ」


 思い返せば委員長も知っていたから別に彼女たちが本田を知っていても不思議でもなんでもない気がするのだが、考え出すとなんだろう胸の奥がモヤっとして俺は思わず顔をしかめた。


「あれヤマトっちのその顔、少しは妬いてくれてるのかな?」


「ん?」


「わあ!」


 俺の顔を見ていた橘が、少しうれしそうな笑みを浮かべると、田中や鈴木まで俺の顔を覗き込んできてから同じようにうれしそうな笑みを浮かべている。


 橘に指摘されて初めて気づいた。意識していなかったが内心は面白くないと思っていたことを。


 メガネをしているから俺の表情は読みにくいはずなのに。おかしいな。それがモロに顔に出ていたらしい。これはちょっと恥ずかしい。だけど彼女たちがうれしそうに笑みを浮かべているだけに俺が彼女たちにウソをついてまで違うとは言いにくい。


「ま、まあ……そうかも。聞いてて面白くないって思ったかな」


「「「うわ」うそ」ほんとに」


 真面目にそう応えると彼女たちは驚き俺から視線を逸らした。


 ――?


 それから少しの間目を泳がせていた彼女たちだがその顔がほんのりと赤くなっている。


「……ダメなんだけどヤマトっちに誤解されたら嫌だから教えちゃう」


 顔の赤い橘がそう言ってから田中と鈴木を見る。田中と鈴木はそれに頷いて応えた。


「実は一年女子にはクラスのグループチャットとは別に学年のグループチャットがあるんだ」


「そうそう。一年女子が全員加入してるヤツね。

 でも学年でのグループチャットは人数が多かったから、細々とした条件に時間が掛かってちゃんと活用しだしたのは三日前くらいから」


「うん。三日でもその情報量はすごいし、女子の情報力舐めてると痛い目に合うし」


「え」


 ――何それ、俺ほんとに聞いて良い話? 怖いんだけど……


 でもここまで聞いて今さら後には引けない。俺は黙って彼女たちの話に耳を傾ける。


「その学年のグループチャット内容の一つに恋バナがあってね。誰がカッコいいとか、誰と付き合ってるとか誰を狙ってるとか宣言してもいい場所でもあるんだけど、そのチャットは基本的に他人の誹謗中傷は禁止。やりたかったら個別でやってってスタイルになってるの。今のところはみんな上手くやってると思う」


 そこで橘は「にしし……」と照れくさそうに笑った。笑ってから、


「正式に動きだしてまだ三日だから何かしらの宣言までした人は少ないんだけど……

 実は、あたしたち三人はヤマトっちの彼女ですってすでに宣言しちゃった。あはは、嫌だったかな……?」


 途中までは勢いよく話を進めていた橘だったが、尻すぼみに自信がなくなってきたのか、最後には少し上目遣いで俺を見つめてくる。俺の方も驚きはしたが、


 ――え? うそ……いやでも仮……でも彼氏で、え、やばいなんだか顔がにやけそう。


 彼女たちの発言もそうだがその仕草が意識しはじめると途端に可愛く見えてしまうから不思議でしょうがない。ただその正体がなんなのかは、もうなんとなく分かっているんだけど。そんなこと言われて嬉しくないはずはない。


「……その顔は満更でもない、よね? あはは。そんな顔見せられたらあたしぐいぐいいっちゃうよ?」


「あ、ほんとヤマトうれしそう」


「そっかヤマトはうれしいのか。うちもうれしいし」


 いかん。俺の心内なんて俺以上に彼女たちにバレてるのかも知れない。彼女たちにはよく表情を読まれるようになってるし、うれしいけど彼女たちの発言にも遠慮がなくなってきている気がする。俺の理性は大丈夫なのだろうか。


「言い過ぎてヤマトっちに嫌われても嫌だから話を戻すけど、そのチャットでイケメンや爽やか、スポーツマン、は誰だって話題が出ると必ず名前が上がってたのが徳川たちね。写真までアップされてて、そこに本田も入ってた。ただ……」


 なんでも、徳川同様、噂の人物なだけあって手癖が悪く飽きるとポイ。そんな黒い話も多くて嫌いな女子生徒も多数いるそうだ。


 要するに彼女たちは本田の出方次第では、そのグループチャットに本田に関する何かしらの情報を流すそうだ。


 どうやら彼女たちは怒らせると怖いタイプなのかもしれない。


「うんうん。ちなみにヤマトの名前はわたしたちが宣言した時に少し上がったくらい。誰それってなったけど。そこはごめんね」


「あーそれは別に構わない」


 ――だって俺がそれを望んでいたんだしな……


 今でもたまに夢に見る。陰険な女子たちのやり取りを、俺と少し仲良くなるだけでその子が傷つけられる。虐めの対象となる。ほんとくだらない。

 でもあの頃とは環境がガラリと変わり男女間の関係性も随分変わった。

 みんなも成長しているからあの頃のようなことはないと思うけど、やはりというか積極的に目立つことしたくない。


「でもクラスのチャットでヤマトの名前が上がってきた時は吃驚したし。たぶんあのバスケが効いてる。だから体育の時はヤマト結構注目されてるし」


「うっ」


 ――やはり。視線は感じてたんだよな……でも、あれはしょうがなかったんだよな……徳川に挑発されたから、目立とうとしてやったわけじゃないからセーフってことで。


「ヤマトっちって何気に姿勢が綺麗だもんね。特に立ち姿……引き締まった身体とか脚も長いし」


「え? 姿勢が綺麗って俺猫背、だよね?」


「あれヤマト。もしかして気付いてない? いつもは姿勢が綺麗で、たまに猫背になるけどわざとらしく見えてたよ」


「!?」


 知らなかった驚愕の事実に俺の心中は穏やかではない。


「意識して見てるとヤマトっちは独特の雰囲気があってカッコよく見えるからね、勘がいい女子には絶対バレたと思う時があるんだよね」


「え」


 ――それだと地味偽装する意味がなくなるんですけど……


 どんよりとした気分になった俺の顔を見た田中が慌てて俺の肩をぽんぽんと叩く。


「大丈夫よ。サキは勘が良すぎるだけで、今のところバレてないし大丈夫だって。気にしないで」


「う、うん」


「ごめん、そんなつもりじゃなくて、あたしはヤマトっちの雰囲気もその地味スタイルも大好きだから、そう見えてる人がいてもおかしくないって思っちゃたから」


 得意げに話をしていた橘も田中に肩を叩かれている俺を見てから急に慌てだしたが、うれしいというか結構大胆な事を言ってくれていることに橘は気づいていないのだろうか。


「そうそうわたし好きだよ」


 それは田中もそうだし、


「うちも……というか、うちメガネとったヤマトは鼻血もんで、サキとアカリもマンツーマンでは心臓に悪すぎて昇天しそうになるって……あっ」


 鈴木はなんだろう。残念? すぐに両手で口元を押さえてから『しまった』というような表情。

 恐る恐るといった感じで橘と田中の顔色を窺っているが。


「ナツっち」

「ナツミ」


 それを聞き逃す彼女たちでなく、鈴木は秘密にしてきた内の一つ。あがり症あることを涙目で告げるのだった。

 まあ「それ知ってるから」って流されていたけど……なんとも鈴木らしい。

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