第10話

 玄関に入ると橘の匂いがした。母さんたちとは違う女の子特有の甘くていい匂い。って俺は何てことを考えているんだろう。


「遠慮なく入っちゃって……」


 先に靴を脱いでからササッとその靴を小さな靴箱にしまった橘は少し照れくさそうにする。そんな橘に買ってきたお菓子を手渡してから俺も部屋へと上がる。


「あ、うんお邪魔します」


 実は俺、友だちの家に入るってのが今回が初めて。もちろん女の子の家も……緊張などしていない風を装うが俺の心中は穏やかではない。


 ――……靴は……靴箱なわけないから、並べとこう……


 俺は脱いだ靴を角隅に寄せてかかとをつけて並べた。この玄関には今俺の靴しか置いていないからついそんなことまで考えてしまった。


 ――これでいいよな……?


 たったこれだけのことなのに不安になるなんて、なんて情けない。そう思いながらも俺は橘の反応が気になり顔を上げてみる。


 ――あれ? サキが居ない……あ、違うな。


 よく見れば奥の方でバタバタと慌てた様子で何かをクローゼットにしまっているようだった。


 ――女の子だもんな。


 見せたくないものでもあったのだろうと思い俺はその場に留まりその様子を見ていた。すると数秒もしないうちにブレザー(上着)を脱いだ橘が照れ笑いを浮かべて顔を出す。


「あはは、朝、脱いだものがそのまま残ってて……ほらブラとか下着とか? ……いやぁ久々に焦っちゃった」


 ――ブラとか下着って……


 つい橘の胸の位置を見てしまったが、それは悪手だった、ブレザーを脱いだ橘のブラが透けて見えていた。薄いピンクのブラが。


 すぐに顔を背けたが、


「あれヤマトっち? ふふーん(にまにま)」


 橘はかなり鋭く勘がいい。心の中ですぐに両手を挙げる。


「ごめん。つい……」


「ねぇねぇヤマトっち?」


「なに」


「ヤマトっちって意外とむっつりだったりする?」


「……」


 ――うぐ……


 何も言えない。しかも図星だった。異性に対して好きだ嫌いだなどの感情は別として、男子高生ともなればそれなりに興味は出てくる年頃。俺の教本である漫画や小説、それにアニメだってイチャイチャ、あまあま、いゃ〜んな表現にラッキースケベな展開だってよくあるのだ。興味が湧かない方がおかしい。


 しかし、言い訳をするとすれば、これは俺だけが抱く感情じゃない、男子高生なら誰しも抱く感情なのだ。それを口にして共有できるか一人胸の内にしまっているのかの違いだけでスケベという言葉の前にむっつりの言葉が付く。


 だから、友だちもおらず口数の少ない俺がスケベ心を抱けば、自然とむっつりスケベに該当してしまうのだろう……

 しかしだ。むっつりが付くだけで印象がかなり違ってくるから不思議だ、


 ――?


 ふと俺の顔を見て楽しげに笑っている橘の顔に気づく。たぶん橘は俺をからかっているだけなのだ。なんだか少し肩の力が抜けた。


「すこし……?」


 だから俺は少し戯けてそう返してみた。


「にひひひ……そっかそっか。そうなんだ〜」


 しかし、橘の反応が俺の思っていた反応と違う。橘はなぜか納得したように何度も頷いているのだ。


 これはもしかしてもしかしなくても俺は変態とは別にむっつりの称号も得てしまったのではないかと危惧する。


「ほらヤマトっち。もう大丈夫だから、そこでぼーっと立ってないで早くこっちに座ってよ……」


「あ、ああ」


 橘が白い目で見てくることもなく普通に手招きをしているので大丈夫だとは思うが、これ以上変な称号(勝手にそう思っている)をつけられないよう身を引き締めつつ慎重に居住スペースに向かった。


 ――――

 ――


 橘はワンルーム賃貸マンションに住んでいる。玄関から入るとすぐ左手にトイレとキッチンがあり右手にはたぶん脱衣所とか浴室なのだろう、そのドアがあり奥に6帖ほどの広さの居住スペースがあった。


 その居住スペースの右手側にはクローゼットらしき収納用の開きドアが見え、シングルベッドのほか、小さなテーブル、テレビ、本棚があるため少し狭く感じてしまうが、それでも女子高生らしく? 全体的に小綺麗で可愛らしい。ギャルさがないのが少し意外。


 居住スペースの奥には大きな窓があって部屋全体を明るくしているのもいいし開放感もある。

 さらにはベランダまであるから洗濯物なんかを干すにも便利だろう。俺でもこの部屋なら一人暮らしをしてもいいかもと思うくらいだ、彼女たちが気に入ったっていうのも頷ける。


「そこに座って」


 橘に促されて小さなテーブルのあるカーペットの上に胡座をかいて座る。橘は俺の隣、ベッドを背もたれ代わりにして俺と同じく胡座かいている。


 ――ぬぁ!?


 だが橘は女の子。スカートで胡座は色々とまずい。太もももかなり際どいところまで見えるし……下着も見えそう。


 橘のむっつりと言った言葉が俺の頭の中をぐるぐる回る。むっつりスケベ、俺。むっつりスケベ、俺。


 ――そ、そうだけど違う。今日は勉強会で勉強をするためにきたんだ……


 意識を変えるために、とりあえず期末テスト一日目にある数学の教科書と先生から配られた過去の問題集を鞄から取り出して小さなテーブルに置いてみる。


 ――ん?


 教材を出して気づいた。この小さなテーブルはどう見ても一人用だ。


「このテーブルで勉強会をするには狭いね。もしかして図書室で勉強会してから帰ればよかった?」


 やはり狭い。テーブルに乗せるスペースが少ししか残ってない。


「ん? あーでもそれだとリラックスできないし、お菓子食べれないじゃん。それにあたしたちもちゃんと考えてるんだよ」


「そうなの?」


「うん。アカリっちとナツっちが、これと同じテーブルを持ってきてくれるからたぶん大丈夫」


 そう言ってからぽんぽんとテーブルを軽く叩く橘だが、まだ教材を準備する気はないようだ。


 ――なるほど。


 たしかにこれと同じテーブルなら田中や鈴木でも軽く持てるだろう。脚も折りたためるタイプのようだし。


「そういうことか、なら大丈夫か……ん?」


 テーブルの脚を覗き込んで確認していて、ふと小さな本棚にある漫画が目に入る。


「サキも漫画『今日からウチたちは!』読むんだ」


 この漫画は不良女たちが高校入学を機に普通の女子高生になり青春を謳歌するというギャグコメディ。


「なんか意外……だね」


「そ、そうかな……あたしここに置いてないだけで漫画とか結構読むよ……と、ところでヤマトっちの方こそ最近ハマってる漫画とかある? あればあたし読んでみたいなぁ〜なんて」


「漫画? 漫画ねぇ。ハマってるというかまた読み返しているのはあるね」


「うん」


「『ブサメン転生』ってやつ。原作は小説なんだけど……」


 これは邪神の呪いによってブサメンに転生してしまった元イケメンの話だ。


 順風満帆だった前世イケメンの主人公は超がつくほどのブサメンへと転生する(高校入学と同時に事故に遭い後遺症で超ブサメンになり呪いで自ら命を絶つこともできない。それまではフツメン。その時に前世の記憶も蘇る)。

 だがすぐにブサメンに冷たい世の中と生き辛さに挫折する。


 そんな時、善行を積めば少しずつ邪神の呪い、ブサメンの呪いを解くことができると善行の神から教えられた主人公はひたすら善行を積むことに励む。

 人から嫌われ何度も心が折れそうになる主人公だが、そんな主人公の心を支えてくれるのがブサイクなネコたち。実はこのブサイクネコの前世は悪女で神罰によってブサイクなネコになった。

 ブサイクネコは元々人間なので人の言葉を理解するが、ブサイク故に酷い扱いを受ける元悪女たち。そんな元悪女を拾うのもブサメンの主人公だ。


 善行を積む主人公はどんどんイケメンになっていくがブサメンでの辛さも知っている主人公は決して奢ることなく心までイケメン、超イケメンへと成長する。

 同じく善行を積むブサイクネコも美女の身体を取り戻すが、辛かった時を支えてくれた主人公に惚れ込みハッピーハーレムエンドを迎える。


 そうこれは俺の教本の一つだ。この主人公も嫌われていて会話が少ないのが難だけど……色々と参考になる部分も多い。


「ちなみに、このキーホルダーがそのブサイクネコね」


「へぇ……な、なかなか個性的だね」


「そう? なかなか可愛いし気に入ってるんだけどな」


 ピンポーンピンポーンピンポーン。


 それからチャイムの音が何度か鳴りガチャリと玄関のドアの開く音がする。


「ごめんごめん」


「遅くなったし」


 小さなテーブルを重そうに持つ田中と鈴木の姿に俺は慌てて立ち上がり、そのテーブルを受け取った。

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