第9話

 終礼が終わると教室内の表情は一変する。部活に向う者、下校する者。再び席に座り友だちと雑談を始める者。その行動こそ違うものの誰もが明るく楽しげな表情である。いや違うな、徳川の周囲が僅かに暗い。一見楽しげにバカ話に花を咲かせているように見えるが、授業中や授業間の休み時間に感じた嫌な視線、油断はできない。


 まあ、今日の今日ですぐに行動を起こしてくることはないだろうとは思うけど……


「んーやっと終わった。アカリっち、ナツっち、ヤマトっち。帰ろ〜」


 そう言いながら、両手を上げて伸びをしながら後ろの席にいる俺たちの方に身体ごと向ける橘。


 ――!?


 一方の俺はというと、予期せぬ勉強会、しかも女の子の部屋で。張り切っていると思われると少し恥ずかしい。


 だから終礼後に再び席に着いたのだがその行動が悪かった。


 席に座った俺の目線の先に伸びをした橘の姿がある。それも橘のちょうどお腹の辺りが目の前に……


 何が言いたいのかというと、橘は伸びをしている所為でブレザーの下に着ている長袖シャツがずり上がり身体のくびれやらお腹おへそなどが見えていたのだ。そんな状態の橘の身体が目の前にきていたのだ。


 ――しまった。


 人間、見えていないところが突然見えると反射的にというか自然とそこに目がいくもので動体視力が特にいい俺には、それはもうハッキリバッチリと見てしまった。


 綺麗な生肌。無駄な贅肉などない引き締まったお腹とくびれ。というかなんで長袖シャツの下に肌着を着ていない。


 気がついた時点ですぐに顔を背けたが一歩遅かった。背けた俺の顔をわざわざ覗き込んできた橘がにこりと笑みを浮かべている。


「(にまにま)今ヤマトっちあたしのここ(お腹)見たでしょ?」


 左人差し指で自分のお腹辺りをちょんちょんとしてからにまにまする橘。器用に右手は自分の机の上に置いていた教科書の入ってなさそうな薄い学生鞄を後ろ手に取り右脇に持ち直しながら。


「えっと、その。ごめん。でも今のは不可抗力だ。見たんじゃなくて見えたんだよ」


 言い訳するみたいで嫌だったが、でもこれは事実だ。また変態と呼ばれても嫌だし一応弁解しておく。


「むむ。なーんか、その言い方……あたしの身体なんて興味ないですよ〜って言ってるみたいに聞こえて、少し傷つくんですけど……」


 そう言ってから頬を少し膨らませる橘。俺にどうしろと。彼女たちの反応は、俺自身どう反応すればいいのか迷うことが多い。今回はさらにその上をいく。


「いや、そんな意味じゃなくて……」


 言葉に詰まる。俺はどう答えていいのか思い浮かばなかった。


 ――俺じゃ無理だ……


 そう結論付けた俺は、隣でおかしそうに口を押さえて笑っている田中に視線を向けて目で助けを求めた。


「あはは、ほらサキ。ヤマトも困ってるから〜」


 やはり彼女たちは勘がいいのか、俺の意図を察してくれた田中はすぐに、そう言いって助けてくれ……た、


 ――!?


 って違う。笑いながら田中も橘と同じようにお腹をチラチラ見せてくる。


「アカリ、なぜ……!?」


 橘と鈴木の胸も普通に大きいけど、田中はさらに大きい(俺の主観)。それなのに田中の腰回りは細かった。って俺は何バッチリくびれを見て語っているんだ。


「「ぷ、あははは……」」


 とうとうお腹を抱えて笑い出した橘と田中だったが、それで終わりじゃなかった。

 虎視眈々と機会を窺っていたのは鈴木。次は自分の番だと言わんばかりに俺と目が合うとパッとうれしそうな顔をしてから少し控えめにお腹をチラリ。


「な、ナツミまで……」


「う、うちのはどう?」


「……」


 でも鈴木はこの場のノリというか勢いでやったらしく、俺がじっと見つめていると、その顔がみるみる赤く染まっていく。

 やらなきゃいいのにと思いつつも俺は鈴木のシャツをそっと戻してやった。


 それから、それとなく教室内を見渡してみたが、徳川たちはまだ教室に残っていたが、そこはずっと気にしていてもしょうがない。


 俺は上機嫌な彼女たちに手を引かれながら教室を出た。


 ――――

 ――


 校門を出てからも徳川たちがついて来ている気配はない。一応徳川はサッカー部だ。大人しく部活に行ってくれたのならそれはそれでいい。恫喝してきたのもその場の勢いかもしれないし。

 でも何かあってからじゃ遅いのでしばらくは送り迎えを続けるつもりだけど……


 ――しかし……知らなかった。


 一人で下校している時は気がつかなかったけど、俺たちのような男一人女三人組のカップルも見かけるし、男一人に女四人組のカップルだって普通にいる。その反対に、気の強そうな女一人になよっとした感じの男三人組のカップルだって見かける。


 俺の視野が狭かっただけで、複数人と付き合っているカップルは意外に多かったのだ。しかも腕組みや恋人繋ぎを普通にやってる。橘たちから強要されるはずだ。


 でもそれだけ俺が周りに興味がなかった、意識していなかったのだろう。ここは反省するところか。


 ぷにゅん。にゅん。


 ――お! あいつ夏服……ネクタイしなくていいから首元が楽そうだな。俺もそろそろ夏服にするかな……


 七月に入った今の時期、本当なら衣替えはとっくに終わり夏服になっているところなのだが、今年は未だに肌寒く夏服への移行期間が長く設けられている。


 そのため、まだほとんどの者がブレザーに長袖シャツを着ている。かといって夏服を着ている者が全くいないということもなんだけど。


「あ、夏服……でもまだ少し肌寒いからね〜」


 そんな俺の視線に気づいたらしい田中が口を開くが、


 ぷにゅん。


 ――ぬぁぁ……


 実はそうじゃない。田中から押し付けられた大きな胸に意識がいかないように必死に別のことを考えているだけなのだ。ちなみに今日の下校は左腕が田中で右腕が鈴木らしい。


「そ、そうだね。今年は冷夏かもね」


「そっか〜。うーん。でもヤマトっちが見たいなら明日からでも夏服着てあげるよ?」


 と橘が田中の左側から顔を向けてくる。


 ――橘は離れているから大丈夫。


「まだ寒いし、風邪ひいたら大変だから」


「うち、少し寒いくらい平気だし」


 にゅん。


 鈴木が抱きついている俺の右腕に力を込めてからそう言う。


 ――これはまずい……


 柔らかい。とても柔らかい。鈴木も柔らかい。周りの学生カップルもこんな感じで歩いているが胸は当たってないように見えるんだけど目の錯覚か? 橘、田中、鈴木、はこれが普通だと言うし……


 いかんせん今日は彼女たちのアパートまでこのままの状態で歩かないといけない。いつもより二十分以上長い。まずい。非常にまずい。俺の理性とか反応しそうになる身体とか。


 彼女たちの会話に相槌を打っているものの内容が全く頭に入ってこない。


 ――こ、こうなったら……


 俺は頭の中で英語の単語を呪文のように何度も呟きつづけた。


 ――――

 ――


 途中コンビニでお菓子とデザートを買ってから俺は無事? 彼女たちの住むアパートに着いた。


「……オシャレだね」


 そのアパートを見上げた感想だ。築五年ほどでまだ新しく綺麗。五階まである鉄筋コンクリート造りのオシャレなアパートだった。


 これは後で知ったことだが、このような構造の建物はアパートじゃなくてマンションというらしい。賃貸マンション。俺たちはずっとアパートって言ってるけど気にしないでくれるとありがたい。


 しかも学校が指定するだけあってオートロックでセキュリティ面もしっかりしてそうに見える。


「でしょう。あたしたち見てすぐに決めたんだよね〜」


「うん」


「使い勝手もいいし〜」


「うんうん」


 そんな彼女たちの会話を耳にしながらロックを解除した橘に続いて俺も建物の中に入る。


 それからすぐに見えたエレベーターに四人で乗ると彼女は三階のボタンを押した。


 さすがに狭いエレベーター内で静かになるがエレベーターから出ると、


「こっちこっち」


 橘が俺の両手を引くので少し駆け足になってしまったが、一つの階層に部屋は四つしかないのですぐに彼女はドアの前で立ち止まった。


「ここだよ。ワンルームで少し狭いんだけどさ、あたし気に入ってるんだ」


「へぇ……住み心地がいいのなら当たりだね」


「うん」


「ヤマト。こっちの隣301号室がわたしで、ナツミが303号室なんだ」


「へぇ凄い。そんな偶然ってあるんだ」


 俺が純粋に感心していると彼女たちは揃って首を傾げる。


「ん? うちら同じ中学だし……」


 学校指定のアパートだから同じアパートに住んでいても不思議に思わず、そんな偶然もあるだろうと思っていたが、どうやら俺の勘違い。

 元々彼女たちは同じ中学校出身で住むところは一緒に決めたらしい。


 荷物を置いてくる言った田中と鈴木は自分の部屋に帰っていく。


「じゃあ、あたしたちは中で待ってよ」


「ああ、うん」


 俺は鍵を開けた橘に続いて彼女の部屋へと入った。

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