第29話
「『魔導八相・涅槃』……もはや技を使うまでもないな」
「げほぅ」
「ティオネ!」
倉庫の中に鈍い音が鳴り響く。ティオネの小さな体が床を跳ね、壁に当たる。
上位魔人カナンは圧倒的だった。
ティオネとリーシェの放った魔法はことごとく、彼の技法によっていなされるか、あるいは消滅していた。
さらに言えば残された2人は魔法によって戦闘を行なう、後衛・補助タイプだった。一度近づかれてしまえば、超近接の肉弾戦を得意とするカナンには到底敵わない。
「汝らは我に勝てぬ。そして我が王に与えられた命もすでに終わりつつある」
「命というのは……魔法陣のことね?『歪み』を発生させて人を魔人に変えて、一体何が目的なの?」
ふっ飛ばされたティオネが息を整えながらカナンに訊ねると、ティオネを守るために前に出ていたリーシェが彼女の言葉に驚いた。
「街の人が魔人に!?いや、『歪み』の発生、魔人化、魔法陣……。その魔法陣は『幽谷の波紋』ね!」
「考古学者の女……汝は分かったようだな。良いだろう、説明してみるがよい」
カナンは構えを緩め、2人に会話をする機会を与えた。彼にとってはこの場を抑えることさえできれば、2人を倒す必要さえなく、そして彼は女性や子供を殺すことを嫌っていた。
「リーシェ。『幽谷の波紋』って何?」
「『幽谷の波紋』は古代に使われていた魔法陣の1つ。少量の魔力を当たりに放ち、それを呼び水にして更に大量の魔力を得るための魔法陣で、多分それを『歪み』を集められるように改造したの。……ああ、エクラールさんを攫って改造させたのね」
カナンは表情1つ動かさずに静かにリーシェの話を聞いていた。
既にカナンの構えは完全に解かれ、リーシェのことを見て関心したような口ぶりで話した。
「その通りだ。我はエルフの老人を攫い、人間に指示を与え魔法陣の改造をさせた。目的がわからぬように幾つか無意味な魔法陣の改造もさせてな。……汝はなかなか賢いな。では、もう1つ答えてみせろ。我は何故このようなことをしている?」
「それは、魔王への供物にするためじゃないの?王の命というのはそういうことでしょう?」
「少し……違うな」
リーシェは考えて答えたが、この答えはカナンにとっては、あまり正しいものではなかった。
カナンの王は確かに魔王である。しかしだからといって、欲を克服したものを自称する彼は、王の命だからといって純粋な欲を満たすためには動かない。
「我は欲の解放のために動く。欲を解放し、克服する上位魔人に愚かな人間を導く。ただそれだけが我の存在意義よ」
「欲の……解放?人を魔人に変えることが欲の解放だというの?」
痛みを堪え、立ち上がったティオネが怒りを孕んだ声で叫ぶ。
彼女は別に人間が好きなわけではなかった。森に居たときから、通りがかりに菓子をくれたり親切な善人もいれば、そういう人間を騙して襲いかかるような悪人も両方いることを知っていたからだ。
それでも、ハイルと一緒に人間の街に入ってからは彼らの営みという物を知ったし、その中で善人も悪人も共存していることも知った。
だから、善人も悪人も許容できた。例え、ハイルのようなうっかり森を消し飛ばしてしまうような被害を出すような奴がいても、人間の社会はそれを受け入れるように出来ていると知ったから。
だからこそ、魔人化によって理性や知性を失わされた元人間が憐れだった。そして、それを作り出す眼の前の存在が許せなかった。
「『スターエッジレイ』!」
ティオネの魔法によって、ティオネの後方から大量の光線がカナン目掛けて飛ぶ。
光速に等しい速度で飛ぶそれらは、通常ならば回避も出来ずに敵を貫き灼き焦がす。
しかし――。
「『涅槃』」
光速の攻撃ですら、カナンはすべてを躱した。予測していたかの動き、全ての光線はカナンの横を通り抜けていく。
「無駄だということすら分からぬか。これ以上邪魔をしても、もはや時間はない。汝らも魔人と化す……」
そこでカナンは違和感に気付いた。常人ならば多少魔法を使えるといっても、この時間『歪み』を浴び続ければすでに魔人と化しているはずだ。
しかし、目の前の少女達は魔人どころか大量の『歪み』による体調不良の兆しさえ見えない。
「汝らなぜ魔人化せぬ……まさか!」
カナンは先程から『歪み』が発生しないことに気付いた。
そして後ろを振り向き、魔法陣を確認しようとしたが、それは適わなかった。
「もう遅い。溜め込んであった『歪み』は全部俺が貰った!オラァ!」
背後から跳んできたハイルによって、殴り飛ばされたからだった。
「ハイル!やっと起きたのね!」
「ああ、間に合ったようで良かった。2人ともまだ生きてるな?」
吹き飛ばされ立ち上がったカナンは目を見張った。
先程腹部を拳で貫き、完全に破壊したはずの男が立ち上がり、そして男の腹は完全に塞がっていた。
「再生能力持ちか……面倒な」
カナンは片足を引き、拳を上げボクシングのような構えをとった。
そのまま、前へと飛び出し体を沈み込ませながら懐へと飛び込み上へと拳を引き上げる。
魔導八相の技の1つ『託生』は、特殊な歩法で相手との距離感を一息に縮めて、不意を突き攻撃を仕掛ける歩法である。
だからこそ、最初ハイルに仕掛けたときと同じように、これで決まるはずだった。再生能力持ちは殺さず、意識を刈り取り捕縛する。その目論見が果たされるはずだった。
「何!?」
しかし、ハイルの体は後ろへと半歩下がり、カナンの拳は空を切った。
まるでカナンの拳が見えているかのようだった。
いや、実際に見ていた。ハイルの目は確かにカナンの拳を捉え、予測でもなく、「ただ飛んできたから躱した」とでも言うかのように、事も無げに体を動かしたのだ。
「くっ。『求道』!」
半歩分距離の空いたハイルの体に、カナンの拳が再度飛ぶ。
見て躱されたのなら、もっと素早い攻撃を。
カナンの拳は空気を削ぎ破裂音を鳴らしながら、放たれた。
「遅いな。本当に」
しかし、速度を極めたその拳でさえハイルには届かない。
放たれた拳にそっと置くように掌を置き、方向を逸し受け流す。
それは技ではなかった。
ただ見えたから。
技を学んでいないハイルがそんな芸当が出来たのは、単純に動体視力を含め強化された身体能力のせいだった。
「今度はこっちから行くぞ」
右腕を後ろに引き絞り、ただ拳を突き出す。
それだけの動作だったが、拳に当たったカナンは以前とは比にならない衝撃を感じた。
「くっ。『転法輪』!」
受け技によって衝撃を殺しながら、カナンは考えた。目の前の男の突然の強化と、『歪み』の消失の関連を。
「……汝。まさか『歪み』を吸収したのか?」
「その通りだ。最後の力で魔法陣の場所まで飛んでいって、そこにあった『歪み』は全部身体能力強化に使わせてもらった。今の俺はお前よりも強いぞ」
「技も使えぬ獣に人が敗れる道理なし。汝を打ち倒し、『歪み』を全て回収させてもらおう」
2体の怪物は睨み合い。
やがて、どちらともなく飛び出した。
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