18 魔女と使い魔は一生をともにするもの

 レネーが魔力を使い切ってしまったため、二人はてくてく歩いてテラスハウスまで戻ってきた。

「疲れたー、なんか飲も!」

「うっす」

 二人して台所に行き、レネーは緑の瓶に入ったビール、リズルドは炭酸水の栓をシュポンと開け、居間に戻る。


 居心地のいいソファに落ち着いて、とにかくまずは喉を潤した。

「っはぁー。……さて、リズの話が聞きたいな」

「はい」

 もう、隠すつもりはもちろんない。


 リズルドは彼の過去について、レネーに話した。

 動物に変身して戦う少年兵として、育てられたこと。

 本来はロガルと戦う予定だったが、休戦が決まり、それに怒ったいわゆる『愛国者』たちが、ベルテュールの休戦賛成派を始末するのにリズルドたちを使ったこと。


「でも、最初の任務で、殺せなかったんです。俺が殺そうとした人の、たぶん息子が、窓越しに見てたから。子どもの前で、親を殺すなんて、できなかった」

 リズルドはポツポツと打ち明ける。

「魔法使いたちは離れた場所から、俺の位置を魔法で把握してました。そんで、しびれを切らして、俺めがけて魔法攻撃をしたんだ。そうすれば、俺のそばにいる人もみんな、巻き込まれて死ぬから」

「ひどいな……リズを目印に使ったのか」

「俺はとっさに避けたから、直撃はくらわなかったけど、一瞬気絶して……気がついたら、別荘は火の海で。それで……」

 リズルドは、一番言いにくかったある事実を、口にする。

「逃げようと思ったけど、腕に魔法陣を描かれてて、このままじゃ魔法使いたちに追われると思った。目の前では、俺と同じ年頃の男の子が死んでて。燃えていて。それで……」


 レネーが、軽く目を見開く。

「ああ……男の子を、身代わりにしたのか。自分の腕の魔法陣は、焼いて」

「はい……」

 リズルドは、左腕の包帯に触れながらうつむいた。ターゲットが別荘に子連れで来ていたことを、魔法使いたちは知らなかったようだ。


 身代わりを作ったおかげで、リズルドは魔法使いたちから死んだと思われた。そうして、闇に紛れてその場を脱出したリズルドは、息も絶え絶えの状態でデュクレーにたどり着いたのだ。

 そんな彼を路地裏で拾ったのが、レネーだった。


『先生』と再会してからの下りも聞いてから、レネーはうなずいた。

「なるほど、よくわかった。リズ、お前は被害者だってことがな」

「でも俺、あいつらの仲間で」

「何をさせられてるのかも、わかってなかったのに? 本来ならお前こそ、保護されるべきだった。やっぱり私が保護して正解だったな」

 微笑んだレネーは、すぐに表情を引き締める。

「戦争、だったんだ。彼らにも行動に出た理由はあっただろう。でも、辞め時を間違えたな。最後には、自分たちが愛国者であることを理由に、かわいそうな子どもたちを殺すことを正当化しようとした。すでに休戦状態で、子どもたちは助かるはずだったのに、自分たちだけ助かろうとしたんだ」

 そして、彼女は付け加える。

「『先生』とやら……雑貨店の店主についても、調べてもらおう。それに、あの魔法使いたち、各地の同志がどうこう言っていたな。もしかしたらリズのような子が他にもいるかも。詳しいことがわかれば、まだ救える命があるかもしれない」


「……はい……。あの……助けてくれて、ありがとう、ございます」

 リズルドは、心から言った。

「レネー様に命を救われるのは、二回目っす」


「礼なんか。お前は私の使い魔。守るのは当たり前だ」

 レネーは再び表情を和らげたけれど、ため息混じりに短くなった髪をかきあげた。

「しかし、ずっと戦いから離れていたせいで勘が鈍っててやばかった! 照準が狂っちゃって、一人仕留め損ねたもんな」

「でも、レネー様は備えてた」

 リズルドが言うと、レネーは微笑む。

「同じ失敗はしないし、戦うべき時は戦うよ。私は、魔女だから」

 そして、ソファの背にもたれる。

「まあ、それにしても……疲れたな」

「……うっす」

 リズルドもまた、ソファの背にもたれた。


 ふあ、とレネーが欠伸をする。

「このまま、寝ちゃおうか」

 リズルドも小さくうなずく。

「うっす……」


 ローテーブルを挟んだ二つのソファで、魔女と使い魔はほぼ同時にごろりと横になる。

 視線が合って、二人は微笑んだ。


 長い夜が明け、朝日が射し込むまで、二人はぐっすりと眠った。



 翌朝、二人は交代で入浴して昨夜の汚れを落としたが、レネーの髪は自分が洗うとリズルドは言い張った。

「いやいや、リズ。こんな短いんだから、さすがに自分で洗うって」

「絶対ダメっす! レネー様の髪を洗うのは! 俺の仕事!」

「えぇー……もう、わかったよ」

 押し切られて仕方なく、レネーはいつものようにリクライニングチェアに横たわる。

 リズの大きな手が、レネーの髪を優しく洗い始めた。


「…………」

 指からするりと逃げていく、断ち切られた毛先を見て、リズルドは辛そうに口を結ぶ。


 目を開いたレネーは、そんな彼をじっと見つめ、やがて話しかけた。

「ねぇ、前にさ、『魔法にしかできないことは何か』って話をしたの、覚えてる?」

「え、ああ……はい」

「科学によって生まれたもの、起こることは、良くも悪くも大勢の人が受け取るよね。ものによっては、発明されたものは誰でも使える」

 レネーは目を閉じて続ける。

「魔法も、良くも悪くも使うことができる。でも、誰でも使えるわけじゃない。たぶんもっと、こう、個人的なものなんだよな。使うのは自分だってこと、そして誰に、何に使うのかってこと──そういうことをハッキリと自覚して、使う」

「ちょっと、怖いっすね」

「覚悟がいるよなぁ。何かを変えようとする『個人の意志』が、そこにはある。魔法にしかできないことって、そこらへんにヒントがあるような気がするよ」


「個人の意志……」

 リズルドは黙り込んだ。

 レネーは微笑む。

「リズが魔法を覚えたら、どんなふうに使うのかな。楽しみだ」



 洗い終わって髪を乾かしているレネーに、リズルドが意を決したように話しかけた。

「あの。そろそろ教えてもらえませんか。レネー様にかかってる呪いって、一体」

「ああ、それは」

 レネーが返事をしかけた時、チリン、と玄関からベルの音がした。

 リズルドが出て行き、箱を抱えて居間に戻ってくる。

「重っ。荷物っす。ええと、ソリトー様から」

「ああ……来たか」

 不意に表情を引き締め、レネーは紐で縛られた箱を見つめた。リズルドは驚いて、箱をテーブルに置きながら聞く。

「ど、どうしたんですか。そんな、真剣に」

 レネーは黙って杖を出すと、紐を切った。箱を開け、言う。

「これが、私の呪いだ」


「えっ」

 パッ、とリズルドは箱をのぞき込む。

 中にはぎっしりと、黄色い房状もの。青くささの中に甘い香りが漂う。


 バナナ、であった。


「……えっと? レネー様?」

「南国の果物、バナナだ。知っているか?」

 憎々しげに言うレネーに、リズルドはうなずく。

「あ、はい、まあ。たまにデュドレーにも入ってきて、売ってるし」

「私はこれが大っ嫌いでな。……しかし、食べなくてはならない」

「へ?」

 リズルドは呆然としたが、やがて聞いた。


「あの。もしかして、呪いって……これを食べること、っすか?」


「バナナしか食べられない呪いなんだ! 一週間もだぞ!? 固形物はこれしか口に入れられないんだぞ!?」

 レネーはすでに半泣きである。

「そりゃ、栄養があるのは知ってるけど! 食べなきゃ一週間はさすがに保たないし、今すでにお腹も空いてるけど! いくら私に髪を切らせないようにするためったって、ママン、この呪いはひどすぎる!」


「…………」

 リズルドはバナナの入った箱とレネーを見比べ、やがて、言った。

「ええっと……俺も、つきあいますね」


 レネーは眉間にしわを寄せ、苦しげに首を横に振る。

「いいんだ、お前までこの責め苦を負うことはない。無理するな。リズは好きなものを食え」

「いえ、これくらい当たり前っす。俺はレネー様の使い魔なんだから」

 彼はさっさと飲み物の瓶を取りに行きながら、淡々と続けた。

「それに、レネー様の弟子にも、してもらおうと思ってるんで」


「あ、もう決心したのか?」

 レネーが顔を上げると、すぐにリズルドは瓶を手に戻ってきて、はっきりとうなずいた。

「はい。魔法、教えてください。自分の意志で、変わりたい」

 表情を緩めて、レネーはうなずいた。

「そっか、わかった。なんか嬉しいよ」


 リズルドは、少し口ごもる。

「そんで、一生そばに置いてもらおうと思って……」


「はい?」

 レネーは首を傾げた。

 リズルドはテーブルに瓶を置き、キリッと表情を引き締めて言い直す。

「あんなカッコよく救われたら、惚れますって。一生、そばに置いてくださいっ」

 レネーは吹き出した。

「あはは、それはどうも。一生って大げさだなー、将来のことはまだ決めなくていいんじゃない? 若いんだからさ」

「若い男は嫌いっすか?」

 言いつのるリズルドの勢いに、レネーは少々ひるんで瞬きをした。

「待てリズ。今、何の話だっけ?」

 リズルドは真剣なあまり、にらみつけるようにレネーを見ながら言う。

「俺がいれば他に誰もいらないって言わせてみせる。レネー様の髪も、他のやつに触らせる気、ないんで」

「ええと、それは」

 片手で無意識に毛先に触れながら、レネーはつぶやく。

「うん、それはまぁ、私もそうしてほしいけど」

 リズルドの顔が明るくなった。

「マジすか、やった! 決まりっすね」


 リズルドは櫛を手に取り、サッとソファの後ろに回る。


「はい、バナナ食う前に髪、結いますよ」

 リズルドに髪を梳かれながら、レネーは軽く首を回して彼を横目で見た。

「あの、リズ。一応確認するけど、リズって私が何歳なのか知らないよな?」

「知りませんけど、それが何か?」

「なんか、こう……今すごく、悪いことしてるような気持ちに」

「気のせいっす。はい、前向いてください」


 リズルドが言うと、レネーは何やら首を傾げながら前を向いた。

 彼はひっそりと、彼女の背後で笑う。


 そして真顔に戻ると、見えないのをいいことに、身を屈める。

 ハーフアップにしたレネーの髪を、大切そうにひと房手に取った。

 そして彼は、一瞬ためらってから──その髪に素早く、キスをした。



 二人の暮らすテラスハウスは、暖かな日差しに包まれている。

 傾斜した屋根の窓は開け放してあり、そして。

 レネーの机の上には、止まり木から削りだして磨いている途中の杖が一本、光っていた。


(第2章 終)

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