16 やる時はちゃんとやる 前編

 その夜。

 レネーが自室に引き取ってしばらくしてから、居間にいたリズルドは立ち上がった。

 音を立てないように、人間の姿のまま廊下に出て、玄関の扉をそーっと開ける。外に出て閉めてから、オオカミの姿になった。

(レネー様に迷惑をかけないためにも、やっぱり、はっきりさせよう)


 彼が向かったのは、あの雑貨店である。

 先生に、会いに行こうと思ったのだ。


(先生、なんかコソコソしてたけど、密偵じゃないなら戦争とは全然関係ないかもしれない)

 リズルドはチャッチャッと歩いていく。

(それがわかれば俺も安心できるし、先生が困ってるなら助けられる。色々教わって、世話になった人だし。……それにやっぱり、俺のいたあの施設は何だったのか、あそこにいた仲間たちはどうなったのか、確かめたい)


 雑貨店の前まで来た。店にはシャッターが降り、静まりかえっている。

 裏手に回ってみると、扉があった。すぐ脇の窓から明かりが見える。


 リズルドはあたりを、ついでに上も見回してから、人間の姿になった。

 扉をノックする。

 数秒後、いらえがあった。

「どなたかな?」

「……あの。『オオカミ』っす」


 すると、すぐに扉が開いた。

 メガネの奥の垂れ目が見開かれる。


「『オオカミ』……ああ本当だ、その目……生きていたのか!」

 そして彼──先生は、リズルドが何か言う前にサッと周囲を見回し、手招いた。

「とにかく、中に入りなさい。聞かれたくない」

 リズルドはおとなしく、中に入った。

 そこは店の倉庫で、壁に沿っていくつも棚が置かれ、箱がぎっしりと詰まっている。

 店の表側へと通じるドアがあり、地下にも倉庫があるのか、床に引き上げ扉もあった。


 彼は親しみのある口調で、しかし戸惑いをにじませながら言った。

「大きくなったな、『オオカミ』。死んだと聞かされていたぞ? 任務に失敗して、仕方なく魔法使いがターゲットもろとも……と」

「ぎりぎり、助かったんです」

「なぜ……ああ、魔法攻撃だったから、耐性があったか」

 そう言いつつも、先生はいぶかしそうだ。

「お前の死体が確認されたという話も、聞いたんだがな」

「…………」

 リズルドは、無意識に、左腕に触れながら黙り込む。

「……まあいい。こうして訪ねてきてくれたんだ。少し前に路地で会ったのは、お前だよな?」

「はい。あの時は、その、俺もびっくりして……すんません」

 軽く頭を下げてから、リズルドは聞いた。

「それで、その……何か困ってんのかなって」

「助けに来てくれたのか?」

 先生は垂れ目を細めて微笑む。


 リズルドは、思い切って言った。

「俺は、知りたいんです。自分が何をやってたのか。……ベルティーユがロガルの密偵を捜してる。もし、先生が密偵なら、俺もその仲間ってことっすよね」

(もしそうなら……俺はこの町にいられない。レネー様に、迷惑がかかる)

 リズルドは唇を噛んだ。

(レネー様が、密偵を匿ってたってことにでもなったら……)


「私がロガルの密偵じゃないかと思ったんだね? 違うよ、『オオカミ』」

 先生は、落ち着いた口調で言った。

「私は、ベルティーユの人間だ」

「……本当っすか?」

「本当だ。ロガルの人間が、ベルティーユ国内であんな『施設』を作れると思うかい?」

「でもっ、移動したじゃないか。ベルティーユの荒野の、遺跡みたいなあの場所に。ロガルの『施設』から国境を越えて来たんじゃ」

「戦争が始まって以来、そう簡単に国境は越えられないよ。魔法使い部隊の魔法で探知される」


(そうか……でも……)

 リズルドは考え込んだ。男は微笑む。

「それを気にしていたのか。……何か飲むかね?」

 彼は屈み込み、床の引き上げ戸を開けた。下にも色々と置いてあるのだろう。


 リズルドは聞いた。

「じゃあ、俺が殺そうとしたあの人も、ベルティーユの人?」

「そうだ」

 先生は床下から瓶入りの飲み物を取り出し、振り向く。

「最初、私たちはもちろん、ロガルとの戦争に投入するためにお前たちを育てていた。そういう『施設』だったんだよ」

「……」

「そこへ、休戦の話が持ち上がってね。ロガルを絶対に倒そうとしている人間にとって、休戦賛成派の同国人は『裏切り者』だ。それで、ターゲットが変わった。お前は、裏切り者を処分するために使われた」

「そんな……そう、だったんだ……」

 リズルドはうつむいた。


「だからね」

 先生は立ち上がる。

「正式に終戦になるなら、お前が生きていると困るんだ」

「えっ」


 その瞬間、リズルドは気づいた。


 引き上げ戸から、すっ、と一本の手が出ている。

 その手には、魔法に使う杖が握られていた。


「あっ」

 かくん、と足から力が抜けて、リズルドは床に倒れ込む。

(魔法……! 身体が、動かない……!)


 ぬっ、と、地下から黒いローブ姿が現れる。

 一人、二人……四人。

『施設』にいた魔法使いたちだ。地下室で話を聞いていたらしい。


「先、生……この店は……」

 リズルドは、声を押し出した。

「済まないな、『オオカミ』。ここは、彼らを匿う、隠れ蓑としての店なんだよ。魔力持ちは目立ってしまうから、魔力を持たない私が表に立っている」

 彼は、困った表情をしている。

「路地で君に会ったのも、魔法使いたちから目を逸らさせるためにちょっとした陽動をしている時だった」

 魔法使いたちは、リズルドを取り囲んで言った。

「休戦、そして終戦が決まってしまったら、休戦賛成派を殺し回っていた俺たちは犯罪者だからな」

「国のためにやったのに、理不尽だと思わないか?」

「まあ、決まってしまったのなら仕方がない。諦めて平和に生きていくだけだ」

「そのために綺麗に証拠を処分したつもりだったのに、お前が残っていたとは」


「……証拠を……処分……」

 リズルドは唇を噛む。

(俺たちの処分と、遺跡の破壊か!)


 先生が、魔法使いたちの顔色をうかがうようにして、おそるおそる口を挟んだ。

「この『オオカミ』を殺すのか? 魔力持ちだ、ここで殺したら魔力の痕跡が残って、いずれ魔法部隊にバレる」

「魔法部隊か。ロガルの密偵を追ってデュドレーに部隊が入ってきてるんだったな……チッ」

「いや待て。これはチャンスじゃないか? どっちにしろこの町は監視が厳しくなってしまった、脱出する必要がある。そのために……」

 彼らはリズルドから離れて声を落とし、相談を始めた。


 リズルドは何とかして、オオカミになろうとした。変身した姿なら、戦える。

 しかし、魔法が彼の身体を取り巻いていて、体力も魔力も外へ外へと流れ出ていってしまう。身体にとどめて変身することができない。


 やがて話し合いが終わり、一人の魔法使いが振り向いた。

「よし、それでいこう。……ん?」

 彼はふと、リズルドの前に屈み込んだ。

 杖の先で、リズルドの首輪をすくい上げる。

「何だこの首輪は。……あぁ、なるほど! お前、誰かに動物の姿で飼われることで身を隠していたのか。考えたな」

 ははは、と笑った魔法使いの杖が、ひゅっ、と振られた。

 リズルドの首に巻かれていたピンクの首輪が、ピシッ、と音を立ててちぎれる。

「な……」

「一応、身元はわからないようにしておかないとな。おやすみ」


 声とともに、彼の意識は暗転した。



「!」

 ベッドで本を読んでいたレネーは、パッと顔を上げた。

(今、リズの首輪が切れた)

 彼の首輪は、レネーのワンピース用の飾りベルトを短く切ったものである。かつて身に着けていたものは、異常があればすぐにわかった。

(出かけたのは気づいてたけど……何かあったな)


 ゆらり、と身体を起こし、ベッドから降りる。

 床に足をつくのと同時に、家の中のすべての扉と窓が、バンと音を立てて開いた。

 一階の物置から外を通って、ホウキが寝室の窓から飛び込んでくる。

 黒ローブに袖を通した右手が、ホウキをパシッとキャッチした。


「待ってろ、リズ」

 床を蹴り、レネーは窓から飛び出した。

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