15 マイペースな日常が一番だけど
魔法集会から戻り、リズが落ち着くまで数日待とうとレネーが決めた、その翌日。
リズルドは、垂れ目のメガネ男──『先生』を、再び見かけた。昼日中、デュドレーの町なかでのことだ。
リズルド(犬)がいつものように街路を歩いていると、はす向かいの店の前で男女が立ち話をしていた。
「ああ、それなら在庫ありますよ」
聞き覚えのある男の声に、リズルドはピンと耳を立てた。
(先生だ)
話し相手の女が答える。
「助かるわ! すぐに持って来れる?」
「ええ、事務所に持って行きます」
見ていると、男女は別れた。男は店に入っていき、女はその場を離れて二軒隣のビルに入っていく。
男はすぐに、何か箱を持って出てきた。さっき女が入っていったビルへと消えていく。
リズルドは素早く、男が出てきた店の前まで行ってみた。
雑貨店だ。『開店セール中』と張り紙がしてある。
サッとリズルドは店を離れ、路地に入ると様子をうかがった。
男はビルから出てくると、店に戻っていく。さっきの顧客の所へ商品を配達してきたのだろう。
(そういえば前に、レネー様と行った雑貨店の人が言ってた。最近、ライバル店ができたって。ここのことかも)
かつて世話になった人物が、デュドレーで店を始めた。それだけのこと。
レネーに話しても問題ないような、他愛のない出来事のはずだった。
その頃、森の中の小屋で、レネーはシャンプーを作っていた。
(はー。魔女集会、たまに行くと面白かったけど、やっぱり自分ペースの日常はサイコーだなー)
いつもの作業を、いつも通りに進めていく。
材料の一つは、鉱石から取り出す、とある結晶だ。汚れを溶かして落としやすくする力がある。レネーがシャンプー作りを森の小屋でしているのは、この結晶を魔法で取り出す時に換気が必要なのが理由の一つだった。
真っ白な結晶がキラキラと杖の先を舞い、大きな壺の中に入っていく。
レネーはそこに、植物から取り出したオイル、精製した水など、いくつかの材料を加えていった。壺を湯煎にかけ、ゆっくりとまぜていけば、シャンプーのベースができる。
ちなみにリズは、レネーがこの作業をしているのを初めて見た時、
「レネー様が魔女っぽい」
と言った。
そもそも魔女である。
これだけでも汚れを落とすだけなら十分なのだけれど、ここからレネーの好みに仕上げていく。泡立たせるためのオイルや、ヘアケアのための材料を加えるのだ。
別の壺に、ハーブ類を熱湯に浸して、成分を抽出したものが用意してあった。他にも、レネーの考えた組み合わせの精油、そして蜂蜜を入れていく。
途中でしばらく置いたり混ぜたりするので、もちろん面倒だし時間はかかる。
しかし『仕事』としてとらえたとき、自分で全てコントロールできるこの作業は、レネーは嫌いではなかった。
(魔法部隊時代は、何が起こるかわからなかったもんな。一瞬一瞬が運命の分かれ目で。まあ、戦う仕事と比べるのがおかしいんだけど)
手を止めてため息をついた時、ちょうど小屋の外から声がした。
「レネー様、買ってきましたぁ」
「おー、外で食べよう!」
レネーは返事をしながら、思う。
(リズにとっても、こんな日常は大切なんだろう。守ってやらないと。……困った時は助けようと思ってるけど、魔法を使うことになるかもしれない。その心づもりはしておいた方がよさそうだな)
手を洗って外に出てみると、リズルドが軒下のテーブルに器を並べていた。
レネーは「おお」と声を上げる。
「スープ屋さん、新作か」
「もち麦なんとかって書いてあったっすよ。野菜もたっぷりの具だくさんだし、結構しっかりしてるっていうか」
「パンもついてるし、腹持ちよさそうだな。リズはどっちにする?」
「じゃあ、定番のクリームスープ系で」
「安定志向だなー」
二人は並んで座り、大きなスプーンで具をたっぷりすくって、食べる。視線を合わせ、うなずき合い、また一口。
「あの」
リズルドが口を開いたので、レネーは顔を上げた。
「ん?」
「…………」
彼は視線を泳がせ、それから言った。
「レネー様は、嫌いな食べ物、ないんすか?」
(何か話そうとしたのに、別の話題にしたな?)
レネーは思ったが、まあいいや、と答える。
「嫌いな食べ物、あるよ。でも、毎日の食事で食べるようなものの中には、ないな」
「珍味系?」
「そこまででもないけど……ヒミツ」
彼女はわざとらしく、ウィンクしてみせる。そういった仕草は母親似だ。
「え、何で」
「何でも何も、弱点を教える魔女はいない」
ふふ、とレネーが笑うと、くそー、と言いつつリズルドは引き下がった。
食後、レネーはリズルドに髪を洗ってもらった。
タイル張りの浴室に、淡い湯気と、花の香りが漂う。
「ねぇ、リズ」
リクライニングチェアーの上で目を閉じたまま、レネーは話しかける。
「私さ、最近、ちょっと美容院に行ってみようかと思ったんだよね」
リズルドは思わず、泡まみれの手を止めた。
「えっ、なんで」
「ああ、リズが下手だからとかじゃないよ。ほら、美容院の窓から覗いて研究してるって言ってたじゃない? それなら一度くらい、私が直接体験してきてリズに報告すれば、何か参考になるかなと思ったわけ」
「ああ……」
「でも、やめた」
レネーはあっさりと続ける。
「なんか、前は平気だったと思うんだけど……いつの間にか他の人に髪に触られるの、嫌になっちゃって」
「…………え」
急に、リズルドは自分の耳が熱くなるのを感じた。
そして我に返り、泡を流し始めながら、咳払いをする。
「ええっと、それってつまり、まぁ、オレがい……オレの
レネーは口元をほころばせた。
「他の人の腕を知らなければ、そういうことにしておけるな?」
「じゃあ、そういうことにしといてください」
リズルドが言うと、レネーはフフッと笑った。リズルドもつられて笑う。
「あの、レネー様。前に、俺の魔力を変身以外に使えるようにしたら……って話、しましたよね」
リズルドに聞かれ、レネーは説明する。
「うん。今はなんていうか、魔力が変な場所に接続されてるような状態だから、繋ぎ直せると思う」
「繋ぎ直したら、俺も魔法が使えるようになるんだ」
「と思うよ。もちろん、どんな魔法がどの程度使えるかは、修行次第だけどな。……あ、ただ杖が」
「杖? 身体の一部だって言ってましたよね」
「そう。身体の一部としての杖を出せるのは、生まれた時から魔法に親しんでる人の場合で、そうじゃない人はまずできない。まあ、普通に木とかで作ればいいんだけど」
「ふーん……」
何事か考えているリズルドに、レネーは聞いた。
「魔法、学びたいのか?」
「…………」
リズルドは少し黙ってから、言った。
「状況が許せば、って感じっすかね」
「……?」
レネーはちらりと目を開けて彼を見たが、彼は黙ってレネーの頭にタオルを巻いた。
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