10 理由があるから彼女は帰る 前編

 ある水曜日のこと。

「午後はダラダラしよう!」

 そう宣言したレネーは、ソファに寝そべって本を読んでいる。

(いつもとそんなに変わんないな……)

 リズルドは内心思いながらも、ハーブティ用のハーブくらいは摘んでこようかと、腰を上げた。 


 その時、カリカリと何かをひっかく音がした。玄関の方からだ。

 続いて、鳴き声。

「にゃー」


「えっ」

 レネーがパッと頭を上げる。


「ん? 猫?」

 リズルドがつぶやく横で、レネーがそわそわし始める。

「ベロナだ。使い魔だ」

「猫の使い魔っすか? 誰の?」

 すると、レネーは答えた。


「ママンの! ママンはいつも、先触れにベロナを寄越すんだ!」


「は?」

 リズルドは首を傾げる。

「だって、レネー様の母親は死んだんじゃ」

 レネーは驚いたように振り返る。

「死んでないよ!」

「はぁ!?」

 リズルドも驚いてしまった。

「遺言がどうとか言ってたじゃないすか!」

「生きてる内に残すのが遺言だろ!?」

「そ、それもそうか。とにかく俺、引っ込みます。じゃ」

 片手を上げて去ろうとするリズの服の裾を、レネーは素早くつかむ。

「待て待て待て、オオカミ姿でいいから見せてって!」

「う。……わかりましたよっ」

 リズルドは仕方なく、しゅるっとオオカミの姿になると、レネーのそばに付き従った。


 レネーは玄関に行くと、おごそかに扉を開ける。

 一匹の黒猫が、尻尾をピンと立てて入ってきた。緑の目の猫は、レネーを見て「にゃー、にゃあん」と鳴く。ずいぶん久しぶりね、と言っているのがリズルドに伝わってきた。

 レネーもまた理解し、うなずく。

「本当だねベロナ、久しぶり」

 ベロナはリズルドをちらりと見ると、特にコメントをすることなく、スッと視線を逸らした。

(あ……俺には興味なさげ)

 リズルドはとりあえず、おとなしく控える。


 ベロナは玄関扉の脇にきちっと座って、まるで誰かを出迎えるような体勢になった。

 レネーは扉から頭を出して、空をあちこち見回した。何となく、リズルドもその横から外を覗く。

『レネー様の、その、ママンって、どこに住んでるんすか?』

「王都。軍の宿舎で暮らしてる」

 レネーがあまりにさらりと言うので、一瞬リズルドは聞き逃しそうになる。

『へぇ。……え、軍?』

「前にナダンと会っただろ? ママンはナダンの上司、ベルティーユ王国軍魔法部隊の隊長なんだよ」

 レネーは肩をすくめた。

「小規模にはなったけど、魔法部隊は終戦まで活動を続けるらしい。軍の総帥が、ロガルの密偵をベルティーユから一掃することに執念を燃やしてるんだ。戦いの火種を残しておきたくない、ってな」

 リズルドが返事をしようとした時、レネーが彼の鼻面を軽く手で押しながら、一歩下がった。

「来た」


 直後、ひゅんっ、と風を切って何かが外から飛び込んできた。魔女のホウキだ。

「よっ」

 ホウキに乗っていた小柄な人物が、身軽に床に降りたってホウキをスッと立てる。


 老婆だ。

 レネーの胸くらいまでの身長、ショートボブの白い髪をおさえる黒のターバン、生き生きとした夕焼け色の瞳。瞳に合わせてかオレンジ系の紅をひいた唇、しかしそれ以外は化粧はしていない。

 黒のローブ姿だが、肩を落として着ていて、下は黒のノースリーブにベージュのパンツ。カラフルに塗った爪に、キラキラした石をつけていた。


(おしゃれババア……この人が、魔法使い部隊の隊長)

 リズルドが思っていると、老婆はにっこりと笑った。 

「レネー、久しぶり」

「ママン!」

 レネーは身を屈めて、老婆とハグを交わした。その表情は、まるで子供のような笑顔で、リズルドはちょっと驚く。

 レネーは身体を離すと、唇をとがらせた。

「やっと来てくれた、もう二年だよ!?」

「そんなになる? 本当? 半年くらいかと」

 言いながら、老婆はリズルドを見下ろす。

「で、こちらの変身イケメンはどなた?」

「うちで働いてくれてる、リズ。拾ったんだ」

「……わ、ワン……」

 犬っぽく鳴いて、へこ、と頭を下げるリズルドに、老婆は右手を差し出す。

「レネーに拾われちゃったの? それは災難だったわね。私はソリトー、レネーの母です。よろしくね」

 リズルドはおそるおそる、その手に右前足を乗せた。



 結局、

「人間の姿も見たいわ! 見せて?」

 と言われたリズルドは、おとなしく人間の姿になり、ハーブティーを淹れた。

(レネー様の髪に呪いをかけた、『恐ろしいママン』だもんな……)

 そう思う彼だが、レネーのママン・ソリトーは

「人間姿もイケメンね!」

 とニコニコ言った。

「髪で顔の右側を隠してるの、かっこいいわ!」

「これは、その……傷跡、隠してるだけで」

「左腕の包帯もオシャレね!」

「いや、あの、これも傷跡で……」

「そこへハートの首輪! センスある!」

「…………」

 褒められているのに、なぜかいたたまれなくなってきたリズルドである。


 ソファに腰かけたソリトーは、ティーカップを優雅に手に取った。

「オオカミに変身できる人間が使い魔、ね。いいんじゃない? 別に、使い魔は契約さえしていれば、動物でも人間でも鬼でも悪魔でも構わないしね。契約だって、魔法で縛らなくたって、普通の雇用契約でもいいと思うわよ? 昔とは違うんだし」

「どうも……」

 とりあえず義理は果たした、と、リズルドは居間から立ち去ろうとした。


 そこへ、気持ちが急いている様子のレネーが言う。

「ママン、早く髪を切って!」


(髪を切る!?)

 リズルドはギョッとして振り向いた。

「切っちゃうんすか!? せっかく……」

「せっかく?」

 ソリトーが首を傾げる。リズルドはあわてて口ごもった。

「あっ、ええと、呪いが、かかってるって……」

「そうそう。でも、私は呪いをかけた張本人だから、呪いを発動させずに切ることができるのよ?」

 ソリトーの話し方は、語尾が疑問形になるのが特徴的だ。言いながら、隣に座っていたレネーの髪に触れる。

「あら、髪、綺麗に手入れされてる。しかも可愛い髪型。もちろん、レネーがやったんじゃないわよね?」

 レネーは得意げに答える。

「リズがやってくれてるんだ」

「あらあら。使い魔が魔女の毛づくろいを? 普通、逆でしょー?」

 冗談を言いながら、ソリトーはリズルドに微笑みかける。

「そうね、『せっかく』こんなに綺麗にしてくれてるものを、切るなんてもったいないって思うわよね? そんなに切らないわ、少しだけ。この子ったら、髪を伸ばしておかないとなかなか魔力を吸収できないの。しかも魔力の保持もしておけないし。でね、そんなこの子が大きな魔法を使うとどうなるかっていうと」

「ママン! 娘の秘密を勝手にしゃべらないで!」

 レネーがふくれると、ソリトーは笑った。

「ごめんごめん。じゃあ切りましょうか?」

「うん!」


 レネーはいそいそと立ち上がると、壁に寄せて置いてあった椅子を持ってきて座った。

 彼女の後ろに回ったソリトーの手には、いつの間にかハサミが出現している。

「この髪型、もったいないけどいったんほどくわね」

「あ、うっす」

 リズルドは何となくその場にとどまって、ソリトーがレネーの髪をほどいて梳くのを眺めた。


「じゃあ切るわよ? はいっ」

 魔法も使っているのか、ソリトーは一瞬で、シュッ、とレネーの髪を切った。

 レネーは身体をひねり、床に落ちた髪を見る。二十センチほどだ。

「これっぽっち!? もっと! 腰くらいまで!」

「だーめ。あなたの場合、お尻が隠れるくらいはないと足りないでしょ?」

「そんなぁ」

 レネーはブーブー言っているが、リズルドは何となくホッとした。

(だって、レネー様は面倒くさがりの変な魔女だけど、髪は綺麗だし)


 そんな彼に、ソリトーが微笑みを向ける。

「彼にお手入れしてもらってるならいいじゃない。リズ、これからもよろしくね?」

「あ、はい」

 リズルドは反射的にうなずいた。

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