9 髪は結うのももちろん面倒くさい

 火曜日の昼前、チャッチャッと爪の音を立てながら、大きな黒い犬が歩道を歩いていた。

 リズルド(推定そろそろ十六歳)である。

 今日も彼は、首輪のポーチにメモとお金を入れているが、メモはこんな内容だった。


『お店のおすすめを二種類(二人分)、テイクアウトお願いします。魔女レネー』


 そう、特定の店を決めずにリズルドは出てきているのだ。

「たまには店を開拓しないとな。夜は私が行くから、昼はリズ、行ってきて」

 というふうに、レネーに言われている。


 リズルドは、きょろきょろと当たりを見回しながら、裏通りを歩いていった。

 視点が低いので、混雑した表通りだと人が壁になって、店の看板が見えない。元々人混みが苦手なのもあって、リズルドは一本裏手の道を探検することを好んだ。

(意外と、ちょっと引っ込んだところに隠れた名店があるんだよな)

 月に一度は店探しをするので、コツというか、においというか、好みの店を見つける感覚がわかってきた彼である。

 店を外から見るだけなのだが、店主によって整えられた店の外観は、店主の料理の仕方にも通じるものがあるのかもしれない。


(お)

 リズルドは足を止めた。

(カフェ……かな?)

 ビルの一階、壁を灰緑色に塗られた店がある。

 大きめに切られた窓、入り口にはメニュー表の貼られた立て看板。


 チャッチャッと近寄ったリズルドは、ガラス越しに中をのぞき込んだ。

 観葉植物の向こうに、大きな鏡と回転椅子が見える。

(カフェじゃなかった、美容院だった)

 それはそれで興味があるし、客も来ているようだ。

 リズルドはしばらく観察することにした。


 髪の長い女性客が、椅子に座っている。若い女性美容師が客の髪を梳きながら何か話しかけ、客が笑顔で返事をした。

 これから髪を切るのかと思ったら、美容師は客の髪を少量ずつとって、くるりと輪にする。

(ん? 切らないのか?)

 よく見ると、客の髪は長さが綺麗に整っており、どうやらすでに切った後のようだ。

 美容師は、輪にした髪に別の毛束を持ってきて、何やら重ねたり、輪の中を通したりして編んでいる。ただの三つ編みではなかった。

 きゅっと引っ張ったり、もう一つ輪を作ったり──

 ──そして気がついたら、客の髪は精緻な模様のような編み込みになっていた。残りの髪は後ろに流してできあがり。


(へぇ……)

 リズルドはその場で座り直すと、前足だけ上げ、動かしてみた。

(ええと、最初に髪を少しずつとって、左を輪にして、こう……)


 ありがとうございましたー、という声がして、カランカランというカウベルの音とともに、女性客が出てくる。

「あら」

(あっ)

 前足を上げた姿勢のまま、客と目が合ってしまい、リズルドはあわてて身を翻した。チャッチャッとその場を後にする。

(ふーん。髪が長いと、あんなこともできるんだな)


 やがて、さらにもう一本通りを移動したところで、リズルドはちょっと良さげな店を見つけた。

 東の文化なのか、木製のひさしの下に紺色の短いカーテンのようなものがかかっている。入り口は引き戸になっていて、開け放たれていた。

 覗いてみると、右側にはテーブルと椅子がいくつか、左側は一段高くなって、低いテーブルと平たいクッションが置かれていた。何人かの客が靴を脱いで上がり、そこで食事をしている。


 いったん頭を引っ込めたリズは、入り口脇に貼られたメニューを見た。

 端っこに一文、添えられている。

『お持ち帰りできます』

(よし、ここにしよう)

 リズはもう一度、入り口から頭だけ入れて「ワン」と犬っぽく鳴いた。



「うっま! でかしたリズ」

 レネーは夕焼け色の瞳をキラキラさせながら、リズルドを褒めた。

 二人が食べているのは、弁当である。甘辛く味付けした鳥肉ゴボウ人参を混ぜ込んだご飯、芋やレンコンやシシトウのテンプラ、汁気をたっぷり含んだ薄味の煮物(メニューにはコオリドウフと書いてあったがよくわからない)。

「なんて店? どこ?」

「確か、『ウラノホソミチ』って書いてあったかな……意味わかんないすけど。リトゥール通りとサッド通りの交差点のところっす」

「あぁ、あの辺。他にどんなベントウがあった?」

「肉と芋を一緒に煮たヤツとか、あと焼き魚のやつも美味そうだったな」

「いいねいいねー。リピ決定だな」


 それぞれぺろりとベントウを平らげた二人は、食後にリズルドの淹れたハーブティーを飲んで一息。

「さてと。リズ、髪を洗って」

 いつものようにレネーが言い、リズルドは「うっす」と立ち上がった。



 髪を洗った後、いつものように、レネーは魔法で髪を乾かした。

 居間のソファに戻り、杖をゆらゆら振って、温風に長い髪をなびかせる。銀の糸が帯になって、ランプの柔らかい灯りを映しながら揺らめく様子は、女神の衣のようだとリズルドは思う。

 その衣を美しく保つのは、自分の役目だ。


「……レネー様、乾いたら、ちょっといいすか」

「何?」

 レネーが視線を上げると、リズルドは櫛を持ってソファの後ろに回る。

「なんかいつも、適当にゆるっと三つ編み一本じゃないすか。顔周りの髪、うっとうしそうにしてるから、まとめた方がいいのかなと」

「やば、結ってくれんの? やってやって」

 レネーはすぐに頼んだ。自分で髪を洗うのを面倒くさがる魔女は、当然、結うのも面倒くさがる。


「うまくできるかわかんないけど……今日、美容院で結ってるとこを見たんで」

 言い訳しつつも、リズルドは作業を開始した。

「……あれ? ……ここが、こう……うー、くそっ」

 しばらく黙っていたレネーが、口を挟む。

「リズ、どこか押さえとくくらいなら、やろうか」

 自分一人でやるつもりだったリズルドは、少々苛つきながら答える。

「いらないっす。レネー様は面倒くさいでしょ」


 すると、レネーは笑い含みに言った。

「頑張ってるリズの手伝いなら、あんま面倒だと思わないんだよね」


「え」

 リズルドは手を止めた。

 やがて、ボソッと言う。

「……じゃあ、ちょっと押さえててほしいっす」

「どこ?」

 レネーが前を向いたまま、左手を上げて後頭部に伸ばした。


 リズルドは一瞬、ためらう。

 髪にはさんざん触っているのに、レネーの手など、触れたことがない。

 何となく緊張しながら、大事につまむようにして、彼女の手を取る。

 想像より温かくて、細い。


 リズルドは、そっと、彼女の指先を目的の場所へと導いた。

「ここ……輪になってんの、わかります?」

「ん? ああ、はいはい」

「交差してるとこ、ここを摘んで」

「ここだな」

 レネーの指先がそこを摘む。

「そうです。そのまま。よし、こっちを、通して…………」

「……」


 さらに数分。


「……………………引っ張って、できた!」

 リズルドは明るい声を上げた。レネーが確認する。

「もう手を離していい?」 

「おっけーっす。レネー様、ちょっとこっち」

 リズルドが手招きするので、レネーは立ち上がった。

 彼は彼女を浴室の鏡のところまで連れて行くと、手鏡を渡す。

「どうぞ」


 レネーは合わせ鏡にして、自分の後頭部を見た。

「おおー!」


 異国のパンでプレッツェルというものがあるが、まるで小さなプレッツェルが後頭部についているかのように、丸い二つの輪の中で髪が交差して可愛らしい編み込みになっている。

「オっシャレー! ありがとうなリズ! おー、頭を振っても髪が顔にかからん、すっきり! ……あ、ねえ」

 レネーは少々興奮気味に振り返る。 

「あのさ、髪の中を魔力が巡ってる感じがする。輪になってるから? この髪型って、魔力を髪にとどめてくれるのかも!」

「え、まじすか」

「私みたいに、魔力をあまり髪にとどめておけない魔女には合ってるのかな? 大発見だなリズ!」

 大喜びのレネーに、リズはちょっと目を逸らしてボソボソと答える。

「まあ、ええと、今回は適当なんで……じゃあ、他の結い方も調べときます」

 何でもないような振りをしているが、内心めちゃくちゃ嬉しいリズルドである。


 この、紐やピンを使わずに自分の髪で複雑にアレンジする髪型は、『結び目ノットヘアー』と呼ばれているらしい。

 それ以来、リズはくだんの美容院の窓辺に通ったり、街行く人々に注目して興味深い髪型の人の後を尾けたり(怪しい)、人間の姿で図書館の美容本コーナーに行ったりして、ノットヘアーを研究した。

 レネーはリズの練習台として、読書の時間は彼に髪を好きにさせるようになった。


「よし、レネー様、できたっす」

 今日もリズルドは頑張り、レネーは合わせ鏡で確認する。

「えーとな、リズ……今日のはちょっと、凝りすぎかな?」

「そうすか?」

「なんか、アップルパイの編み目みたいになってるぞ……」

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