8 ご褒美があるなら、外出してもいい
翌日の月曜日。
レネーとリズルドは珍しく連れだって、デュクレーの中心部に出かけた。
仕事である。
レネーはモスグリーンの地に小花柄のワンピース、そして魔女のローブ。リズルドはオオカミの姿で、二輪カートの持ち手をくわえてゴロゴロと引いていた。荷台でカチャカチャ音を立てているのは、シャンプーの瓶である。
月に一度、こうして街を歩くことで、デュクレーの人々はレネーの使い魔がオオカミであることを思い出すのだ。だから、移動に魔法は使わない。
「やあ、レネー」
「レネー、元気かい」
街の人々は魔女レネーをよく知っていて、気軽に声をかけてくる。リズルドはレネーの使い魔になるまでレネーを知らなかったので、何となく悔しいような、妬ましいような、複雑な気分だった。
リズルドも、「リズ、精が出るね」などと声をかけてもらうので、しっぽを振って応えることにしているのだが。
やがて、二人は一軒の雑貨店にたどり着いた。
灰青色の壁に金の窓枠の、おしゃれな外観の店である。店先には小型の家具が展示され、観葉植物の飾られた店内には食器やファブリック類、時計や文具などが並べられていた。
「こんにちは、アンリ」
「あっ、レネー、い、いらっしゃい」
丸いメガネをかけた、ひょろっと細い男性が、カウンターから出てきた。店主のアンリだ。
「シャンプーだよね、あ、ありがとう。運ぶよ」
「ありがとう」
荷台から一箱ずつ下ろしては、店内に運ぶ。人気のこの商品を雑貨店で取り扱う代わりに、デュクレーのあちこちにも配達代行してくれることになっていた。
ビクビクおどおどしているアンリだが、王室関連機関にもルートを持っている。
「ええっと、これ、あの、空き瓶」
回収してもらった空き瓶を、荷台に積む。行きよりはだいぶ軽くなった。
「この辺は相変わらず賑やかだな。普段引きこもってるから、ちょっとクラクラしそう」
レネーが肩をすくめると、アンリはへへへと笑う。
「ぼ、僕、毎日クラクラしてる。あのさ、最近、ちょっと、雑貨店のライバル、みたいな? 出現で」
「そうなのか? やば」
「うん、でも、レネーのシャンプーは、ここにしかないから」
「ふふ、客寄せに使ってもらえるなら嬉しいよ。じゃ、また」
ひらりと手を振って、レネーは店を出た。
待っていたリズルドに声をかける。
「お待たせ。それじゃあ、お楽しみの店に行こう」
ゴロゴロと車輪の音を立てながら、レネーとリズルドは運河沿いの道に出た。空が広くなって風が通り、ローブの裾がはためく。
石畳の通りに一台の自転車が止まっており、後ろにパステルカラーの屋根付き荷台が繋がっていた。
置かれた立て看板に、ポップな書体で『アイスクリーム』の文字が踊っている。アイスクリームスタンドだ。
「レネー、リズ、いらっしゃい!」
可愛いエプロンをつけた若い女性店員が出迎えた。
「うっふふー、仕事の後のこれが楽しみなんだよな! 自分へのご褒美だ」
レネーは荷台の上のガラスケースをのぞき込む。リズルドがテイクアウトすると家に着くまでに溶けてしまうので、ここで食べるのだ。
町に出るのは面倒だけれど、アイスクリームを食べられる、と思うことがモチベーションに繋がっている。
「外で食べるアイスクリームって、なんだか美味しいよね」
というのもある。リズルドと契約する前も、ホウキでシャンプーの箱を運んだ後、ここに寄るのが常だった。
「今日は何にしようかなー。うーん。じゃあ、イチゴシャーベットと、モカのダブルを、コーンで! ……リズ、どうする」
後半は屈み込み、オオカミの耳元でこそこそとささやく。
リズルドもこそこそと、人の言葉でささやいた。
『いつものバニラと抹茶』
「ブレないね。……お姉さん、バニラと抹茶のダブルも! カップで!」
「はーい!」
スタンドの店員は手際よく、二人分のアイスクリームを用意してくれた。
食べる間、カートはアイスクリームスタンドの隣に置かせてもらい、二人は運河沿いのベンチに腰かけた。
レネーはバニラと抹茶のカップを足下に置く。リズルドは伏せの姿勢になり、アイスクリームを舐め始めた。
レネーは、ワッフルコーンにずしっと乗っかったアイスクリームを、まずはじっくり眺める。
「何だろうね、アイスクリームのこの唯一無二の素晴らしさは……」
ワッフルコーンがパリパリサクサクしているうちに、シャーベットごと、一口。ジューシーな果実感のあるストロベリーシャーベットが、喉を潤すようにして消えていく。
運河を眺めつつ、小さな木のスプーンでモカアイスクリームに取りかかった時、声がかかった。
「レネー」
レネーは振り向き、リズルドは頭を起こした。
ベンチの脇に、若い男が立っている。短い赤毛、彫りの深い顔立ち、細身のグレーのスーツに、やはり細い緑のネクタイ。どこか不敵な感じの笑顔。
「ナダン」
レネーはぽつりとつぶやくように言う。
「久しぶりだな」
ナダンと呼ばれた男は、スマートな動作でレネーの隣に座った。すぐに足下のリズルドに気づく。
「お、新しい使い魔か」
「うん、リズっていう名前。リズ、こっちは前の仕事で同僚だったナダン」
リズルドは一応身体を起こし、ちゃんと座ってから軽く頭を下げた。そして再び伏せる。
(レネー様の元同僚? じゃあ、魔法使いか。ローブ着てないけど)
「ナダン、何でデュクレーにいるんだ?」
アイスを食べながらレネーが聞くと、ナダンはショートブーツの足を組みながら答えた。
「そりゃ、こっちで仕事があるからさ。ロガルの密偵が、デュクレーに潜んでるって情報が入ってね」
「それで、魔法使いだとバレないようにローブも着ず、使い魔も連れず、ってわけか」
「スーツ姿も悪くないだろ?」
ナダルはネクタイの結び目をキュッとやってみせる。
そして、ニヤリと笑った。
「レネーはすっかり穏和な顔になっちまったな。それこそまっとうな女みたいだ」
レネーは微笑んでみせる。
「悪くないだろ?」
「認めたくないけどなー。キレッキレのお前が好きだった身としては」
彼は軽くため息をついて、立ち上がった。
「レネーの方がデュクレーには詳しいだろ、もし何か気づいたことがあったら知らせてくれ」
「わかった」
レネーはうなずく。
ナダンは不意に屈み込んだ。
レネーに顔を近づける。鼻と鼻がつきそうな距離。
「アイス、一口」
「ダメ」
「つれないなー」
彼は苦笑しながら身を起こし、「じゃ」と立ち去っていった。
(元カレってやつだ、これ絶対)
リズルドは確信しながら、もうだいぶ溶けてしまったアイスクリームの残りを舐める。
何だか妙に、抹茶が苦く感じた。
レネーはワッフルコーンの終点、とがったところをパクリと口に入れた。サクサクと楽しんで食べ終えてから、言う。
「ロガルにも、攻撃魔法を極めようとしてる一派はいるんだろうな」
リズルドは耳をぴくりと動かす。
『…………兵器があるのに?』
「うん。……前にリズも言ってたよな、魔法にしかできないことは何かって。そういう魔法の存在理由を、攻撃魔法に求める魔法使いも多いんだ。兵器より強力な攻撃魔法を、ってな」
『今の、ナダン様……も?』
「まあ、そうだな」
短く答えて、レネーは黙り込む。
リズルドは、微妙に話を逸らすように、聞いた。
『あの。魔法使いと魔女って、なんか違うんすか』
「違わないよ。魔法使いの中で、女だと、魔女って呼ばれるだけ。わざわざ分けるの変だよなー」
レネーは言って、立ち上がった。空になったリズルドのカップを拾い上げる。
「帰ろっか。夕食買ってさ。たまには、ハムとチーズとピクルス、みたいに冷たい食事もいいな」
再びカートの持ち手をくわえ、レネーの横を歩き出したリズルドは、思った。
レネーとナダンは、魔法に対する考え方が違うようだ。それが、別れた理由だろうか……と。
(でも、いつか平和になった時、ナダン様はレネー様のところに来るのかな)
リズルドは、テイクアウトしてきた三人分の食事を、レネーとナダンと自分が食べているところを想像した。
(……なんか、ヤだ)
家に帰り着くと、リズルドは素早く人間の姿になった。
「レネー様、髪、洗いましょう」
「へ? 昨日洗ったじゃん」
「あ。そうだった。……じゃあ梳くだけでも」
「やってくれんの?」
梳くだけなら自分でやることもあるレネーだが、やってもらえるならもちろん大歓迎である。
鼻歌を歌いながら本を読むレネーの、美しい銀髪を梳きながら、リズルドはこっそりため息をつく。
(何イラついてんだろ、俺)
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