11 理由があるから彼女は帰る 後編

 レネーは階段下の物置から、ホウキを取り出してきた。そして、切り落とした髪をささっと掃いて片付けると、くるりと振り向く。

「ママン、ごはん食べてくよね? リズが美味しいベントウのお店を見つけてきたんだ。買ってくる!」

 彼女は玄関扉を開け、ステップを蹴ってホウキにまたがりながら飛び上がった。


(レネー様が魔女らしいことしてる……)

 見送ったリズルドは、扉を閉めて居間に戻り、我に返った。


 ソリトーと二人きりだ。


 リズルドは手持ちぶさたになり、うろうろする。

「ええと、俺、ちょっと畑を見に」

「リズ」

 ソリトーはにっこりと、リズルドを呼び止めた。

「ありがとうね? レネーの使い魔になってくれて」

「違うっす、あの、俺が、拾ってもらったんで」

 リズルドは、口ごもる。

「そう? じゃあ、巡り合わせだったんじゃない? レネーには使い魔が必要だったんだもの」

「いや、ええと」

 リズルドはためらったものの、再び座り直した。


 よく知らない人と話すのは苦手だが、レネーの話を聞けるなら聞きたい、と思ったのだ。


「巡り合わせって言っても……あの、レネー様が言うには、シャンプーを作ってるだけの魔女に、使い魔はいらないって。でも、体裁は整えたいから、みたいな感じで」

「あら」

 ソリトーは軽く目を見開いた。

「レネーは動物が大好きなのよ。リズのことも溺愛してない?」


「は?」

 リズルドは固まる。

「ねーわ、じゃなくて、ないです、全然」

「そう? そうか……」

 ソリトーは少し意外そうだったが、続けた。

「前の使い魔、フクロウだったんだけど、名前はサージと言ってね。お互いに気持ちが通じ合っていて、いい相棒だったのよ? でも、レネーのことを守って死んでしまって。あの子、ひどく落ち込んでいたから、リズが来たならよかったと思って」


 リズルドは、『守って死んだ』という言葉が気になった。

「あの……ルフレア様も、レネー様が使い魔を持ったからホッとしたとか、そんなようなことを、言ってたんすけど」

「ルフレアと会ったのね? レネーの幼なじみなのよ。うちの外注を引き受けてくれてるの」

(魔法部隊の外注……)

「そ、そうなんすか。それで……使い魔がレネー様を守って死んだってことは、死ぬような危険なことがあったってことで……もしかして、ルフレア様と同じ仕事をしていた時、っすか?」

「ええ。レネーは、『自分が辞め時を間違えなければ』って後悔してた。それからよ、シャンプーの仕事を始めたのは」

 答えたソリトーは、微笑む。

「だから、レネーを心配していた人はみんな、リズが来たと知ったら『やっと落ち着いたんだな』と安心すると思うわ?」


「…………」

 リズルドは黙り込んだ。

 それを見て、ソリトーが軽く目を見開く。

「ああ、大丈夫。リズが危険な目に遭うようなことは、ないはずよ? だからこそリズを雇ったんだと思う。安心して働いてね」

「……うっす」

 リズルドはうなずいて、それからすぐに立ち上がった。

「畑、見てきます」


 居間を出て階段を上り、扉を抜けて花畑に出る。

「はぁ」

 彼はため息をついて、空を見上げた。

「……俺が……俺の方がレネー様に、迷惑をかけること、ないようにしないと……」



「やだ美味しいじゃない!? 焼き魚食べたの久しぶりかも!?」

 ソリトーは目を輝かせながら、弁当をかっこんでいる。

「誰かが作ってくれたごはんって、最高よね?」

「自分で作らなくても美味しいものが食べられるって、魔法だよね!」

 魔女二人の会話を、リズルドは黙々と食べながら聞いている。

「この町でも美味しいお魚が食べられるって、輸送手段が発達してきたからこそよね?」

「うんうん。今までは、どーしても新鮮な魚が食べたい! ってなったらホウキで飛んで行かなくちゃいけなかった」

「それが今や、普通の人も食べられるんだものね。これ以上のことを魔法で目指すとしたら、もう瞬間移動魔法でお取り寄せになるわね?」


「……やっぱ、そこまではまだ、魔法でもできないんすか」

 控えめにリズルドが口を挟むと、ソリトーがうなずいた。

「少なくとも、個人では無理じゃないかしら? 大勢の魔力を集めればあるいは……? でも、魔法使いたちがそれにかかりきりになって、他の魔法に魔力を振り分けられなくなるレベルだと思うわ」

「そうなってくると、もはや『不便』だろ」

 レネーが笑い、リズルドもつられて苦笑した。

「魔力を何に使うかって、重要なんすね……」


 ソリトーがニコニコと答える。

「そうよ。リズもせっかくの高い魔力、変身以外のことに使いたくない?」

「!」

 一瞬息を呑んだリズルドを見て、ソリトーはレネーとリズルドの顔を見比べる。

「あれ、ごめん? 触れちゃいけない話題だった?」


「私も言ったんだよ、リズは変身だけに魔力が使われるようになってるねって」

 レネーはごく普通に続ける。

「でもリズが何も言わないから、今のところはいいのかなって」

「そう? まあ、何かあったら私やレネーに相談しなさいな。どうにかできなくもないかもしれないわよ?」

「できるのかできないのかわからないよ、それー」


 あははは、と世間話のように言って笑うレネーとソリトーに、リズルドは呆気にとられてしまった。

(はは……)

 レネーは、リズルドがワケアリだとわかっていながら雇っている。それはおそらく、レネーにとって大したことではないからだ。

(大したことじゃないと思ってもらえるのは、まあ、嬉しい)


 リズルドが思っている間に、母娘は勝手に話を続ける。 

「リズはレネーの面倒ごとをぜーんぶ引き受けてくれてるんでしょ? いくら雇用契約で対等とはいえ、若いのに偉いじゃなーい。ねぇ?」

 ソリトーに話を振られたレネーは、やれやれといった風に前髪をかきあげた。

「まーね。だから、リズに面倒ごとがある時は、私が引き受けようかなーと」

(え)

 リズルドは目を見開いたが、ソリトーは当然のようにうなずく。

「よしよし、そうしなさいって言おうと思ってたところ」

「言われなくたってやるけどっ。あんま期待するなよリズ」

(……俺、レネー様の魔法ほとんど見てないから、期待しようがないけど……) 

 そう思いつつも、コミュ障なリズルドは曖昧にうなずいて黙っていた。



「もう行っちゃうの? せっかく美味しいお酒があったのに」

「だってホウキで来たもの、飲酒運転はよくないでしょ?」

 玄関先で母娘は会話をかわしてから、軽くハグをした。

「ママン、次はもっと早く来てよ」

「そうねぇ、あなたの髪が伸びすぎて床に着くまでには」

「長っ」

「うふふ、とにかくちゃんと来るわよ、私が切らないとだものね? リズ、レネーをよろしく」

 そしてソリトーは玄関の方へ向きかけて、あわてた様子で振り向いた。

「いっけない、そもそもここに来た用事があったの忘れてた!」


「ん?」

「あのね、ロガル王国との関係がだいぶ改善されて、いよいよ終戦に持って行けそうな感じになってきたのよ」

「おお、やっと」

 レネーがうなずくと、ソリトーはさらりと続けた。

「で、終戦反対派がひと暴れしたり、逆に反対派だったことを隠しておきたい人が暗躍したり、色々ある時期が始まるわけよ。このデュドレーの町は国境に近いし、多少物騒なことがあるかもしれないけど、驚かないでね、って伝えに来たんだった」

 ソリトーは、ひょい、とホウキに横座りするとウィンクした。

「以上! じゃあね」


 外見だけは老いている魔女は、勝手に開いた玄関から飛び出すと、夜空に上っていった。


 レネーとリズルドは、ステップに立って見送る。

「なんだか最後に物騒な話が来てびっくりだな。終戦はめでたいけど。まあ、まだ数ヶ月とか一年とかかかるんだろう。さ、戻るか。……リズ?」

 レネーに声をかけられて、少しぼーっとしていたリズルドは瞬きをした。

「あ、うっす。……ちょっと、その、心配な仕事ですね、ソリトー様」


「そうだね。戦闘になると、武器や兵器、魔法も進歩してるし。……でも、ママンもすごく強い魔女だから」

 振り向いて、レネーは微笑んだ。

「私の髪を切れるのはママンだけだから、来てくれないと困る」

「そっすね」

 そろってテラスハウスの中に戻りながら、リズは思った。

 ソリトーがレネーの髪にかけた呪いは、必ず帰って来るという『約束』のようなものなのかもしれない、と。


 その日は珍しく、レネーは深酒をした。

「これな、リズ、ジンっていうお酒ー」

「そっすか」

「ジンって知ってる? 蒸留酒ね。ジュニパーベリーっていうハーブさえ使っていれば、後は何を素材にしてもいいんだぞ。これは友達の魔法使い特製だぞー。素材が何かは言えないけどー」

「またっすか」

「ていうか、レシピは秘密なんだってー。ま、想像はつくけど。えっとね、食虫植物の」

「言わなくていいっす。レネー様、はい、水」

「ん。……ぷはー」

「大丈夫っすか」

「大丈夫じゃない」

 不意に、レネーは目を潤ませた。

「あーあ。ママン、次はいつ来るんだろう……」

 いつになく寂しそうな魔女の様子に、使い魔はあわてる。

「れ、レネー様、眠そうです。寝た方がいいっすよ」

「うん」

 素直にうなずき、ふらりと立ち上がったレネーに、リズルドは付き添った。階段を上る彼女がふらつくと、背中を押して支える。


 レネーの部屋は、三階だ。傾斜した天井に窓があり、ベッドに月明かりが射している。というか、月光が当たりやすい位置にベッドを置いてある。

 レネー曰く、魔力は自然界の様々な物に含まれているが、月光は特に強いため、なるべく寝ながら髪に月光が当たるようにしているのだそうだ。

 まぶしくないのかと聞いたことがあるが、「慣れた」という返事だった。寝ながらにして魔力を吸収できることは、面倒くさがりのレネーをして、まぶしさによる不快を凌駕するらしい。


 レネーはごろりと、ベッドに横になった。

「うー」

 リズルドは彼女に、毛布をかける。

「おやすみなさい」

「ん……リズ、おやすみ」

 つぶやくように言って、レネーはすぐに夢の中に落ちていった。


「…………」

 ベッド脇の椅子に座ったリズルドは、レネーの寝顔を見つめた。

 長いまつげが陰を落とし、枕元でうねる銀の髪、そして白い肌が、月光を受けて光っている。


 リズルドはちらりと空っぽの止まり木を見て、またレネーの寝顔に視線を戻した。

 

「……ずっと、こうやって暮らしていきたいな」


 やがて、彼は静かに立ち上がり、レネーの部屋を出ていった。



 こうしてまた、穏やかに数ヶ月が過ぎた。

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