6 使い魔募集(※未経験OK 報酬応相談) 前編

 レネーは思い出す。

 あの日は、肉まんを買い込んでいたから日曜日だった、と。


 大都会デュドレーでは普通、日曜は商店が休みになる。しかし、デュドレーの一部に東方からの移民が暮らしている区域があり、そこの店は文化が異なるため開いていた。

 そんなわけで、レネーは日曜の食事はいつもそこで買っていた。特に、肉まんは好物なのだ。


 秋が深まり、枯れ葉が風に乗って街路を舞う中、ほかほかと温かい紙袋を抱えてレネーは住宅街を歩く。

 今日のレネーは魔法関係者のトレードマーク、黒のフード付きローブ姿。ローブの中は、白地に深緑の縦ストライプの入ったシャツワンピース、エナメルのぺたんこパンプスは赤、という出で立ちだ。

 彼女は意外と黒ローブを気に入っていて、

「お医者さんの白衣もそうだと私は思うんだけど、中に何を着ても何となくキマる」

 ため、コート代わりに着ている。

 ちなみにワンピースばかり着ているのも、「組み合わせとか考えずに一枚着ればよくて楽だから」という理由である。


 角を曲がれば家、というところまできた。この一角はガス灯が壊れていて暗いけれど、魔女には特に問題ない。


 ふと、彼女は足を止めた。

「…………グルル……ウゥ……」

 建物の間、暗い路地から、低いうなり声が聞こえたのだ。


 声の方向に注意を向けた瞬間、レネーは気づいた。

(魔力?)

 身体に魔力を持った存在が、そこにいる。

(やれやれ。もうそっちの仕事はやめたのに)

 レネーは紙袋を左手に持ち直し、右手を上げた。すでに右手には杖が握られている。


 ひゅ、ひゅん、と素振りをしてから杖の先に明かりを点し、レネーは路地に踏み込んだ。


 魔力は、いくつか放置された木箱の向こうに、その出所があるようだ。小さなうなり声と、荒い息づかい。

 レネーはそっと、覗き込んでみた。

 黒い、オオカミのような獣が横倒しに倒れている。

 目は閉じられ、血の匂いをまとっていた。

(魔力はこのオオカミのものだけだ。付近に、他の魔力は感じない)

 周囲の様子を警戒しつつ、レネーは呼びかけた。

「そこのオオカミ」

 返事はない。意識がないようだ。


 レネーは数秒の間、考える。

 そして、ひゅっ、と杖を振った。

 ゆらり、とオオカミの身体が宙に浮かぶ。


 レネーは杖の先を上に向けたまま、宵闇の中を歩き出した。オオカミの身体は、幽霊のようにスーッと後についてくる。


 数段の階段を上がり、レネーは自宅の扉を開けて中に入った。オオカミも入ったところで扉を閉め、細長い玄関ホールから居間に入る。

 紙袋をテーブルに置いてから、ようやく杖の先をゆっくりと下げた。

 オオカミの身体はゆるりと、ソファに着地する。


 そのとたん、オオカミの身体が淡く発光した。

 レネーの目の前で、身体の形が変化していく。黒い毛はどんどん短くなり、髪の毛に、そしてぴったりとした黒い服に。

 オオカミは、黒髪の痩せた少年の姿に変化したのだ。

 十四、五歳くらいだろうか。顔の右側、右肩、そして左上腕部にひどい火傷を負っており、他にもあちこち傷がある。

「ふーん……」

 レネーは回復魔法をかけ始めながら、つぶやいた。

「いかにもなワケアリだな」



 レネーには知りようがないが、彼もまたこの時、夢を見ていた。

 見上げれば一面の青空、見下ろせば白い雲。海のように波打つ雲の上を、ふわふわと飛んでいる。

(雲の上……ここは天国かな)

 だんだん、身体が下降を始めた。

 彼はもがく。あの雲の下は、彼が生まれ育った世界のはずだ。

(降りたくない。ずっとここにいたい)

 けれど、予想に反して、白い雲は柔らかく彼の身体を受け止めた。

(……落ちない? そうか。ここにいていいのか……)

 ゆったりと雲に身体を預け、安心して、彼は目を閉じた。


 彼が目覚めたのは、翌日の昼過ぎだった。

 パッ、と起き上がったとたん小さくうめいたが、彼はすぐに向かいのソファのレネーに気づいて固まる。

「あ。起きた」

 本を読んでいたレネーは顔を上げ、声をかけた。

「えーと、私はレネー。見ての通り、魔女」

 少し肌寒かったので、ローブを着たままの彼女である。


「…………」

 少年はサッと周囲を確認してはレネーに視線を戻し、また周囲を見回し、を繰り返した。何とか状況を把握しようとしているのだろう。

 レネーは彼を刺激しないよう、しばらく黙ってその様子を見守っていたが、彼の視線がレネーから動かなくなると、口を開いた。

「君は、この近くの路地裏に倒れてて、私が拾った。魔力持ちみたいだから、ワケアリかもと思って、警察には知らせてない。警察に保護してほしいなら、連絡するけど」


「……」

 彼は戸惑う様子を見せたが、やがて首を横に振った。


 レネーはうなずく。

「だと思った。あとは……火傷の跡は残ると思うけど、ギリ歩ける程度には回復してるはずなんで、出て行きたいならいつでも出て行っていい。お腹が空いてるだろうけど、うち、ほぼ飲み物しかなくて……」

 彼女は、テーブルの紙袋を手に取った。がさごそと開ける。

「これでよければ、食べるか?」

 取り出したのは、肉まんだった。

 真っ白で、ふんわり柔らかそうな肉まんは、色といい形といい見ているものを幸せな気持ちにする。


 少年はまだ警戒しているようではあったが、抗いきれずにチラッチラッと肉まんにも視線を走らせた。

 レネーは紙袋をテーブルに置くと、もう片方の手でもう一つ、肉まんを取り出した。彼の目の前で一口、食べてみせる。

「ん。冷めてても美味しい」

 少年は、そんな彼女の様子を見て、おそるおそる手を伸ばす。

 そして肉まんを受け取ると、すぐさま噛みつき、あっという間に平らげた。レネーがコップに水を汲んできて、彼の前に置くと、それも一気に飲み干す。

 さらに肉まんをもう一つ差し出されると、もう警戒しなかった。


 落ち着いた様子の少年に、レネーは声をかける。

「で、どうする、これから」

 少年は言葉に詰まり、うつむいた。

 レネーは聞く。

「親御さんは?」

 少年は首を横に振った。

「ひょっとして、帰る場所がない?」

 レネーが指摘すると、少年は小さくうなずく。

「頼る人もいない?」

 少年はまた、うなずく。

「ここで働く?」

 少年は再度、うなずく。


 そして、ギョッとしたように顔を上げ、目を見開いた。


 レネーは微笑む。

「いや、うちで人を雇いたい仕事があったもんだから、ちょうどいいと思って。よし、私が君をここで雇うかどうか、そして君は私に雇われてもいいか、お互いに見極めよう。──面接と行こうじゃないか」

 少年は戸惑いながら、ごくりと喉を鳴らした。

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