5 引きこもりは世間に疎い

 土曜日の魔女は、スパゲティの気分だった。


『魚介トマト系と、トマトが入ってないのをひとつずつ』

 レネーの書いたメモを見たシェフは、苦笑いする。

「今日はずいぶん大ざっぱねぇ。ええっと、魔女レネーは辛いのは平気だったわね。じゃあ、ペスカトーレをひとつと……ジャガイモとベーコンのジェノベーゼにしましょ」

 リズルドはふりふりと尻尾を振る。

「はは、まるで賛成してるみたいね、リズ。少し待ってなさい」

 シェフは店の中に戻り、リズルドは店の裏口でおとなしく待った。


 やがて、カゴを手にしたシェフが出てくる。

「お釣りもカゴに入れたからね。気をつけて持っておいきなさい。こないだのシャンプーがめちゃくちゃよかったから、ちょっとおまけしといたわ。……それにしても」

 シェフは自分の顎ヒゲを撫でながら、ニヤニヤする。

「最近、昼と夜の分をまとめて注文してるのかと思ったら、夜は夜で別の店でテイクアウトしてるらしいじゃない。二人分ずつ買ってるってことは、レネーったら誰かと一緒に暮らしてるのね? いい人できたんだ? ……え、ちょっと、リズったら何で毛を逆立ててるの。んん? もう行くの? 気をつけてねー」

 

 家に入り、人間に戻ったリズルドはつぶやいた。

「ねーわ」


「お帰り、リズルド。なんか言った?」

 ちょうどレネーが、二階から降りてくる。

「いや、何でも」

 リズルドは居間に入り、カゴをテーブルに置いた。

「スパゲティっす。レネー様はトマト系でしたよね、はい」

「おー、ペスカトーレ、やった。リズルドのも美味しそうじゃん、ジェノベーゼ?」

 テーブルを挟んで向かい合い、二人はフォークを手に拝むようなポーズをとった。

「いただきます」


 真っ赤なトマトソースをスパゲティにたっぷり絡ませ、レネーは口に運ぶ。

「んー、この魚介のうまみを含んだ甘いトマト! 辛さもいい感じ。イカ、柔らかいー。ちょ、これ見てよムール貝でかっ」

「やば、バジルとニンニクの匂い、最高っす……あー、ジャガイモがベーコンの脂を吸ってる、ホクうま。つーかベーコン厚い」

 髪に隠れていない左目を細め、リズルドも満足そうにうなる。

 ふと、レネーが視線を上げた。 

「あれっ、カゴにまだ何か……パン? バゲットが入ってる」

「そういえば、おまけがどうとか言ってた」

「何なんだ最高か神なのか。しかしバゲットって、このままだと固くて食べるのが面倒くさいんだよな。魔法で焼くべき……?」


『固いパンを食べる面倒くささ』

     VS

『魔法を使う面倒くささ』


(ファイッ)

 口をもぐもぐさせながらリズルドが観戦していると、レネーは数秒間悩んでから、決断した。

「焼こう」

 固いパンを食べる面倒くささの方が、まさったようである。


 いつの間にか、レネーの手には杖が握られていた。

 リズルドは聞く。

「魔女って、杖、どこにしまってんですか」

「そういうやらしいことは聞かない」

「は!? やらしい!?」

「杖は身体の一部なんだ」

 レネーはよくわからない返事をしてから、杖の先をひょいと持ち上げた。斜めに切られたバゲットが四切れ、レネーの目の前に浮く。


「ぬっ」

 レネーがうなると、杖の先に炎が点る。

「ぬぬ」

 炎が少し、大きくなった。

 その杖で、レネーは空中のバゲットをゆっくりとかきまぜた。バゲットが火にあぶられ、だんだん香ばしい匂いがしてくる。


「うぬ……火魔法は難しい……こう、ほどよく絞るのが……」

 真剣なレネーの顔を見ながら、リズルドはまた、思う。

(この人が【必殺の魔女】っていうのは、たぶん何かの間違いだな)

「よし」

 レネーが力を抜くと、フッと炎が消え、バゲットはカゴの中に落ちた。縁が茶色く、こんがりしている。

「どーぞ」

「どうもです」

 声をかけられて一切れ手に取ったリズルドが、ぱりっと二つに割ると、中から湯気がふわりと立った。

「あっふ、うっま」

「いい香りー。バゲットで皿のソースぬぐって食べるのも最高だよな」

 二人は素晴らしいブランチを綺麗に平らげた。

「そういえばレネー様、俺が来る前は自分で食い物買いに行ってたんすよね」

「そうだよ」

「一日二回、ちゃんと?」

「んー、たまに面倒くさくて、森のハーブをカゴいっぱい摘んで、そのまま食べて済ませてたけど」

「雑……」

「なんでー、おしゃれサラダじゃん。あと、サプリ」

「サプリ!?」

「これ、これ」

 レネーは身体をひねると、ソファの後ろの棚から瓶を一つ手に取った。中には真っ黒な錠剤が入っている。

「いわゆる、魔女の丸薬だよ。魔女仲間で作って売ってる人がいるんで、お取り寄せした」

「なんか、やばいものが入ってそう」

「聞かない方がいいだろうね」

 レネーは瓶を棚に戻すと、微笑んだ。

「さてと。リズルド、髪を洗って」


 レネーはだいたい、一日おきに髪を洗いたがる。

 浴室のリクライニングチェアに仰向けになって脱力している彼女の髪を、今日もリズルドは慎重に洗っていった。


「魔女の丸薬ビジネス、儲かるんすかね」

「そりゃ儲かるさ。一般の人向けのも売れてる」

 レネーは右手と左手、それぞれ人差し指を出した。

「科学で色々とできるようになった今、魔女は今までにない強力な魔法を追究する派と、受け継がれてきた知識で勝負する派に分かれてる。知識派が作った丸薬は、一般の人にも人気なんだ。そこまでガチじゃないやつ。ちゃんと素材が何か言えるやつな」

「へぇ、そうなんすか」

「普通にその辺の雑貨屋にあると思うけど。……リズって、魔女についてあんまり知らないみたいだな。どこに住んでたか知らないけど、町に一人くらいはいただろう?」

「……あー」

 リズルドは言葉に迷う様子を見せてから、答えた。

「俺、昔からその、引きこもりだったし……」

「やば。私もだけどさ、引きこもってると普通知ってるはずのことを知らなかったりするよな」

 わかるわかる、とレネーはあっさり納得する。


 リズルドは話を戻した。

「仕事といえば、こないだのルフレア様って、何の仕事をしてるんすか? あっちも割がいいとか言ってたっすよね」

 ルフレアは「急に連絡が来る」と言っていたので、何か請け負っているのだろう、とリズルドは思った。

「ああ、ルフレアの仕事か」

 レネーはさらりと答える。

「戦争関係だよ」


 一瞬、リズルドの返事が遅れる。

「……戦争、関係」


「うん。引きこもってても、我がベルティーユがロガル王国と休戦協定を結んだのは知ってるだろ?」

 レネーは目を閉じたまま言う。

 ロガル王国、というのは、ベルティーユの西隣にある国だ。

「休戦になって、軍事以外の産業も活発になって、生活が発展して賑やかになってきてるけど……でもまだ『休戦』だしな。このベルティーユにはロガルの過激派が潜んでる」

「過激派、って、休戦したのに? 戦争したいってこと?」

「戦争を続けた方が得する奴もいるんだよ。例えば、軍事産業で儲けてる奴とかさ」

 軽くため息をついて、レネーは続けた。

「でも、国としては休戦をぶちこわしにされちゃ困るんで、国の機関がそういう密偵をあぶり出して捕まえてるんだ。で、密偵が魔力持ちの時は、魔法使いや魔女が狩り出される」

「へぇ……あ、だからルフレア様、『いつまでも続かない』って」

「そ。平和になれば必要なくなる仕事だ。実際、国の方もかなり人員を縮小してはいる。私も、もう辞めた」

 レネーの瞼の裏に、戦っていた頃の記憶が映る。

 ──夜の廃墟、魔法同士がぶつかり合う光。その周りの暗闇で、銃の火花も散る。静かになったと思ったら、また怒鳴り声、そして爆発音──


「……あの」

 リズルドは少しためらってから、聞いた。

「休戦になったのって、いつでしたっけ」

 目を開いて、レネーは答える。

「もう、五年になるな」

「五年前……そうっすよね」

「どうかした?」

「いえ」

 リズルドは我に返ったように、作業を再開した。トリートメントを手に取る。 

「レネー様、こんな長くて綺麗な髪なのに、魔力を取り込む性能はイマイチとか、残念っすね」

 軽口を叩くリズルドに、レネーの眉がぴくりと動く。

「褒めてんの、けなしてんの」

「事実を言っただけっす」


 リズルドは熱いお湯でタオルを濡らして絞り、レネーの頭を包む。

 彼女はつぶやいた。

「何これ、気持ちいい」

「昨日覗いた美容院でやってたんで。こうするとたぶん、髪に成分がしみこみやすいんだろうなと」

「研究熱心だな」

「まあ、ここに置いてもらってるんで」

 もう一枚タオルを絞り、長い髪をまとめて包み込みながら、彼は独り言を言う。

「これで少しは、魔力、取り込みやすくなるかなぁ」


「…………」

 目を閉じたままうっすらと、レネーは微笑んだ。

(リズを拾った時は、こんなに上手になると思ってなかったな)


「レネー様」

 リズルドが呼ぶ声がしたが、レネーは眠気に負けて返事をすることができない。

「レネー様? 寝ちゃったんすか?」


 レネーは夢の中、一年前のことを思い出していた。

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