3 行けたら行くわー(そして行かない) 前編

 金曜日と言えば、カレーである。


 ベルティーユ王国、大都会デュドレー。

 陽が落ちて街路にはガス灯が点り始め、人々は家路を急いでいた。

 上流階級の人々が所持する自動車と、商店の人々が共有で使っている小さなトラック、そして馬車が、大通りを右へ左へと行き来する。


 一頭の獣が、煉瓦で舗装された道を歩いていた。口に、持ち手のついたカゴをくわえている。

 夕食を調達してきた、リズルドである。

 彼の出身はデュドレーではないが、現在は魔女レネーの使い魔としてこの大都会の片隅で暮らし、数ヶ月が経っていた。

「元々人間でもさ、オオカミに変身できてそっちの方が楽なら、オオカミ姿で過ごしたっていいんじゃない?」

 そんな緩い主人の元、人間7・オオカミ3くらいの割合で過ごしている。


 レネーの家は三階建てのテラスハウスで、横並びに他の数軒と繋がっていた。

 この区域の開発が始まった頃に、同じようなテラスハウスが一斉に建てられたそうだ。若い夫婦が大勢入居し、一時はとても賑やかだったらしい。

 その後の戦争で若い男性が出征し、妻と子は疎開し、戻ってきたり来なかったり。


 時は流れ、最近は空き家が目立つ。あまり治安もよくないが、レネーには関係がない。

(【必殺の魔女】だもんな)

 レネーの二つ名をリズルドは思い浮かべたが、彼女がなぜそう呼ばれているのか、彼は知らない。


 リズルドの耳に、遠くから汽車の汽笛の音がかすかに届く。初めて彼が汽笛の音を聞いたときは、これが文明開化のファンファーレか、と思ったものだった。

 鼻のすぐ下のカゴからカレーのいい匂いがしているため、さっきからリズルドの腹はグゥグゥ鳴っている。

 彼は足を早めた。


 家に入って人間の姿になったリズルドは、声をかけた。

「レネー様」

 リズルドは最初から、レネーの名前に敬称をつけて呼んでいる。レネーはいらないと言ったのだが、どうやら彼は、目上の人間は『様』をつけて呼ぶものと思って育ったらしい。『様』がないと落ち着かないようだ。

 彼はカゴを手にしたまま居間を覗き、もう一度呼んだ。

「レネー様」

 入ってすぐにソファとテーブル、左手が窓。レネーの姿は見あたらない。


 リズルドはいったん玄関ホールに出て、二階に上がった。上がってすぐの廊下、テラスハウスの裏手側の部屋の扉は、半開きになっている。

 リズルドは中に踏み込んだ。


 そこは、花畑だった。

 周囲を森に囲まれ、木々の枝では小鳥たちが羽をつくろっている。

 ぽっかりと開けた青空から陽光がさんさんと降り注ぎ、様々な色の花が咲き乱れ、ミツバチが忙しく飛び回る中を何とも言えない芳香を放っていた。

 テラスハウス二階の一室は、レネーの魔法によって、デュドレー郊外の森の中に繋がっているのだ。

「面倒くさかったけど、引っ越してきた時にこの魔法だけはちゃんとやったよ……」

 というのが、彼女の弁である。


 花畑の真ん中に立ったレネーは、頭上でゆっくりと杖を回していた。細かな霧雨のように水が降り注ぎ、花畑に虹がかかっている。

 彼女が魔力をこめた水で草花を育てることで、草花は通常のものより様々な効果が強くなり、シャンプーの原材料になっていた。


 リズルドは花畑の外から声をかける。

「レネー様。カレー買ってきましたけど」

 レネーは夕焼け色の瞳をパッと見開いて彼を見た。

「おっ、待ってました。もう少しで終わる。今日はこっちで食べる?」

「うっす」

 リズルドが花畑を回り込むと、木陰に小さな小屋があった。レネーの作業小屋だ。中には大きな鍋やら蒸留の機械やら、色々な道具があり、レネーはここでシャンプーを作っている。


 テラス、というほどオシャレでもないが、広い軒下に木のテーブルと椅子があり、リズルドはそこにカゴを置いた。

「そういえば、ハチミツもシャンプーに使ってるんですよね」

 彼が聞くと、レネーは答える。

「花や草の成分をハチミツに溶かし込んで使うからな。まあ、溶かし込まなくても元々、ここのハチミツは効能が強いけど」

 ミツバチの幼虫は花粉を食べ、成虫はハチミツを食べる。当然、レネーの花畑で育ったミツバチは、特別なのだ。

「はい終わり、お待たせ。食べよう」

 レネーがいそいそと駆け寄ってきた。


 リズルドはカレーの容器をカゴから取り出した。

 最近、紙製でありながら防水の使い捨て容器が開発され、カレーがテイクアウトできるようになったのだ。便利な世の中である。

「定番のバターチキンと、あと週替わりはホウレン草入りトマトカレー。どっちがいいっすか」

「トマト!」

「どうぞ」

「味見する? あ、トマト嫌いだっけ」

「うっす。あ、これセットのフルーツヨーグルトサラダ」

「ん」

 椅子に座った二人はスプーンを両手で挟み、拝むような仕草をする。

「いただきます」

 蓋を開けると、スパイスの魅惑の香りが強くなった。

「……んんー! 美味しい!」

 レネーはご機嫌だ。

「不思議だよなー、スパイスの味より素材の味の方がちゃんと引き立ってるんだもんな。やっぱプロの味は最高!」

「自分で作れる気がしないっす。チキンもめっちゃ美味い……ほろほろだ」

 つくづく、『誰かのために作られた料理』のありがたみを感じる二人である。


「シャンプー、順調っすか」

「ああ。来週の出荷分は十分」

「レネー様、シャンプーを作る時の魔法は面倒くさくないんすね」

「面倒くさくない方の魔法だからな」

「魔法に、面倒くさい方と面倒くさくない方があるんすか」

「ある。魔法はその二種類に分類される」

 レネーはスプーンを持ったまま、器用に右手の指を二本出した。

「面倒くさくない魔法は、この世界に元々ある動きを助けたり強めたりする魔法な。シャンプー用の花やハーブも、私が効能を強めながら育ててる。あと、君を拾った時に怪我を治した回復魔法も、面倒くさくない方の魔法に分類される」

「俺が元々持っている回復力を、強めただけだから?」

「正解」

 行儀悪くスプーンでリズルドを指してから、レネーは続けた。

「面倒くさい方の魔法は、普通の人間にできないことをしたり、元々ないものを出したりするやつな。例えば……雷を落とすとか、壊れたものを復元するとか。滅多にやらないけどね、面倒くさいから」

 レネーはまた一口カレーを味わってから、言った。

「あ、これは私独自の分類だから、そのつもりで」

「ですよね。面倒か面倒じゃないか、なんて分け方」

「結構わかりやすい分類なんだけどな。エネルギーを内から外へ広げるのと、外から内へ凝縮するのとじゃ、使う魔力の量が全然違うから」

 そうレネーは言う。


 リズルドが、あまりよくわからないままうなずいていると、レネーはカレーの残りをさらいながら付け加えた。


「君にかかってる魔法は、面倒くさい方だな」


「!」

 ざわっ、と、産毛がそそけだつような感覚がして、リズルドは固まった。

 レネーは気にした様子もなく続ける。

「せっかくの高い魔力が、変身することにのみ注がれるようになってる。何でそう・・なのかはわからないけど」

 彼女は器を置くと、じっ、とリズルドを見つめた。

 リズルドは、ぴん、と緊張する。

「何すか」

 レネーは強い視線で一言、言った。

「うらやましい」

「……は?」

 思わずリズルドが首を傾げると、レネーはふてくされた口調で続けた。

「そんなに髪が短いのに、何で魔力も高いんだ。たまにいるんだよなぁ、君みたいに効率よく魔力を取り込めるヤツが。あー妬ましい」


 リズルドはこっそりと肩の力を抜き、そして話を変えた。

「フルーツヨーグルトサラダ、美味いっすね。缶詰のミカン、俺、好きだ」

「むっ、私の方、ミカン入ってない! キーッ」

 すぐにそちらに意識が向くレネーであった。

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