2 長い髪は面倒だからショートにしたい 後編

 数ヶ月前、魔女レネーは行く宛のない少年を拾った。

 二人は面接を行い、互いに利害が一致するとわかって、雇用契約を結んだ。そして魔女は少年に、仮の名前として“拾得物リズルド”と名付けた。


 レネーがリズルドに『絶対にやってほしい仕事』として挙げた項目は、二つある。

 一つは、一日二度の食事をテイクアウトしてくる、お使い。

 そしてもう一つは、レネーの長い銀髪を洗うことだ。


 湯が沸くのを待つ間、先に髪を梳かなくてはならない。レネーの髪はとても長く、彼女の膝上まであって、いきなり洗うと絡まってしまう。

 リズルドがレネーの隣に座ると、レネーは横向きに座ってリズルドに背を向ける。リズルドはいったん、彼女のうなじのあたりで髪をまとめ、自分の方へさらりと流した。

 目の粗い櫛で毛先からほぐすように、銀糸をゆっくりと梳いていく。その間、レネーはソファの背に片方の肘をかけ、膝に置いた本を読みながら鼻歌を歌っている。


「もうさ、洗う以前に、梳かす段階でイヤになるんだ」

 面接の際、レネーはため息をついたものだ。

「これだけ長いと絡まっちゃって、洗うのも一仕事。でも、魔女にとって髪は魔力を身体に取り込む媒体になるから、大事にしなきゃだし」

「……少しくらい、切れば……」

 ぼそっ、とリズルドがつぶやくと、レネーはクワッ! と目を見開いた。

「切ったらママンの呪いが発動する!」

「は?」

 眉間に皺を寄せるリズルドをよそに、レネーはわなわなと震える手で、ろくろを回すような仕草をした。

「私だって、私だってな、ベリーショートなんて贅沢は言わない、セミロングくらいにしたいさ! でもママンが『レネーは魔力を取り込む力が弱いんだから、絶対に髪を短くするな』って遺言して。しかも、私があまりに面倒くさがりだから信用できないと思ったのか、この髪に呪いをかけたんだ。切ったら……あの恐ろしいママンの呪いが……無理無理無理無理」

 キッ、とレネーは顔を上げた。

「でも! 面倒くさいんだ!!」


 リズルドはおそるおそる付け加えた。 

「美容院とかって……あるんじゃ……」

「あーそれ魔女仲間にも言われたわ。自分でやるのがイヤなら、ちゃんと金を出して外部委託しろって」

 レネーは腕組みをする。

「もちろん、お金を払うことにやぶさかではありません。でも、美容院に行くのって面倒くさくない? 予約が面倒くさいし時間通りに行くのが面倒くさいし美容師としゃべるのが面倒くさいし。それと自分で髪を洗う面倒くささを天秤にかけるとさ、ほらね」

「ほらねって……言われても……」


 筋金入りの面倒くさがり。それが、リズルドのレネーに対する第一印象だった。

 ちなみに、食事を全てテイクアウトで済ませているのも、料理が面倒だからである。

「食材を買うのが面倒、作るのが面倒、食器や鍋を洗うのが面倒、台所が汚れたら掃除するのが面倒。買ってくれば、全部しなくていいじゃん」

 家事に生活系の魔法を使う魔女もいるそうだが、レネーは基本的に濡れたものを乾かすことにしか魔法を使わない。彼女いわく、

「生活系の魔法を使う魔女って、そもそも『家事をやろう』『丁寧な暮らしをしよう』という気持ちがあるわけだろう? いいことだと思う。ただ、私にそういう気持ちがないだけで」

 とのこと。洗濯物だけは、一枚一枚干す方が面倒なので、魔法で乾かしているようだ。



(半泣きで言うことかな。「面倒くさいんだ!」って)

 思い出しながら、リズルドは少々呆れる。呆れられている本人は気づかずに、鼻歌を続けている。

 髪を梳き終わると、リズルドは立ち上がって浴室に行った。猫足バスタブに湯を入れ、水で埋めてちょうどいい温度にする。

「レネー様、どーぞ」

 浴室にやってきたレネーは、リクライニングチェアに寝そべった。頭の側にバスタブが置かれ、高さを合わせてある。

「もうちょっと上っす。……そう」

 バスタブの縁に敷かれたタオルにレネーが頭を載せると、リズルドは彼女の髪をバスタブの中に下ろした。美容院では洗面台で髪を洗うようだが、レネーほど長いと、このテラスハウスの洗面台では小さすぎて無理である。

 手桶で湯を汲んで、彼女の髪を流していく。

「あ、リズ、シャンプー今日はそれ使って」

 レネーは目を閉じたまま、右手で棚を指さした。

「どれっすか」

「黄色のラベル」

 リズは黄色のラベルの貼られた青い瓶を手に取った。

「新作すか」

「うん。前のより髪がまとまりやすくなるはず」


 魔女レネーの特製シャンプーは、実は知る人ぞ知る優れもの商品である。

 そもそもは、自分で自分の髪を洗っていた頃の彼女が、いかに楽に綺麗にするかを考えて作ったものだ。ついでに売ったら口コミで大人気になり、彼女の収入源になった。

 魔女仲間もこぞってこれを使っており、今や国の要人にもファンがいる。


 リズは瓶の栓を抜くと、中身を手のひらにとろりと垂らした。ふわっ、とゼラニウムの香りが漂う。

 手で軽く泡立ててから、リズルドはレネーの頭に触れた。髪に指を差し込む。

「泡立ちがいいすね」

「うん。泡が立たないシャンプーもあるけど、泡が立った方が気持ちよくて、私は好き」

 リズルドは、頭の地肌を中心に洗った。髪全体をシャンプーで洗ってしまうと、長い髪の場合は後でパサパサになることがある。特に毛先は傷みやすい。

 洗い終わって手桶の湯で流す時、泡が毛先の方へ流れるようにする。これで十分、汚れは落ちる。

 美しい銀の髪が、彼の手の中、指の隙間をなめらかにすり抜け、輝いた。


 続いて、リズはトリートメントの瓶を手に取った。髪にもみ込むようにつけていく。

「上手になったね……? 誰かに教わったの?」

 とろん、とした声でレネーが聞いた。この緩みきった声を聞くと、リズルドは役に立っているという実感が湧く。

 彼は答えた。

「食事を買いに行く時、ついでに美容院をいくつか回って、技術を盗んでるから」

「なるほど……」

 ふふっ、とレネーの唇が弧を描く。

「美容師も不思議だろうな。犬が美容院の窓から覗いてるんだから。パン屋なら食べ物だし、わかるけど」


 そういえば、と、彼はパン屋で交わされていた会話を思い出す。

 魔女の仕事についてだ。


『仕事が減ってるんじゃないですかね。汽車は走り、電話は引かれ、どんどん便利な世の中になってるから』

『でも、魔法にしかできないことだってあるでしょ?』

 

 手を動かしながら、リズルドは聞いた。

「レネー様。魔法にしかできないことって、何すかね」

 レネーは気持ちよさそうに、目を閉じている。

 眠ってしまったのか、とリズルドが思った時、彼女の唇が動いた。

「私も知りたい」


 しかし、パン屋で客と店主は言っていたのだ。


『でも、魔法にしかできないことだってあるでしょ?』

『ああ、そうでしょうね。何しろレネーは【必殺の魔女】って呼ばれてたくらいだから』


(この、超絶面倒くさがりな魔女の二つ名が、【必殺の魔女】……?)

 今度こそ眠ってしまったらしい魔女の、脱力しきった寝顔を眺めながら、リズルドは首を傾げるのだった。

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