魔女の髪に触れていいのは使い魔オオカミだけ。魔力成分を保ちながらサラツヤの髪へ……

遊森謡子

第一章

1 長い髪は面倒だからショートにしたい 前編

 木曜日のブランチは、サンドイッチと決まっていた。

 

 大通りに立ち並ぶ店のひとつに、赤煉瓦の壁のパン屋がある。窓ガラスの向こうに、食パン、バケット、チーズパン、シナモンロール……何種類ものパンが並んでいる。

 黒い獣が、その窓をのぞき込んでいた。

 とがった大きな耳、ふさふさした毛。後ろ足で立ち上がり前足を窓枠にかけ、尻尾は時々揺れている。


 店主が気づいて、表に出てきた。

「リズか、いらっしゃい。そうだった、今日は木曜日だもんな」

 リズ、と呼ばれた獣は前足を下ろし、行儀良く座って青灰色の目で店主を見上げ、尻尾を軽く振った。店主は屈み込んで、獣の首をわしわしと撫でる。


 ちょうどやってきた年配の客が、声をかけた。

「あら、犬? ずいぶん大きいわねぇ」

 店主はうなずく。

「オオカミみたいでしょ。こいつ賢いんですよ、こうやって、首に……」

 店主が獣の顎を上げさせると、ハートの金具がついたピンク色の皮の首輪に、小さなポーチがぶら下げてある。ボタンを外して開くと、中には紙幣と一枚のメモ。

 客が面白そうに目を見開いた。

「おつかいをするの? 賢い子ねぇ」

「魔女レネーの使い魔なんです。レネーは、木曜のブランチはうちのサンドイッチって決めてるみたいでね」

 店主は笑いながら、メモを手に立ち上がった。店の扉を開けて、客を中に入れ、自分も続いて中に入る。

 獣はきちんと座ったまま、その場で待った。


 扉の隙間から、かすかに会話が漏れ聞こえてきた。

「そういえば最近、あまり魔女を見かけないわ」

「仕事が減ってるんじゃないですかね。汽車は走り、電話は引かれ、どんどん便利な世の中になってるから」

「でも、魔法にしかできないことだってあるでしょ?」

「ああ、そうでしょうね。何しろレネーは……」


 やがて、店主は紙袋とお釣りを手に出てきた。再び獣の前に屈み込む。

「二十シェルのお返しです、お確かめください」

 獣は店主の手のひらのコインを見て、クーン、と喉を鳴らす。そして再び顎を上げた。

 お釣りを首輪ポーチに入れてもらうのを、トングを持った客が店内から窓ガラス越しに、ニコニコと眺めている。


 獣は立ち上がると、紙袋の上の部分をパクッとくわえ、くるりと店主に背を向けた。

 そして、煉瓦敷きの歩道に爪の当たるチャッチャッという音をさせながら、パン屋を後にして歩き出した。


 ベルティーユ王国第二の都市、デュドレー。

 中心部を離れてしばらく行くと、中流階級向けのテラスハウスが何軒も立ち並んでいる住宅街だ。三階建ての家が横に連なった集合住宅で、各戸の入り口はそれぞれ一階にある作りになっている。

 昼間の割に、人通りは少ない。窓にカーテンすらかかっていない家もちらほら見受けられ、『入居者募集中』の看板が目につく。


 獣はそのうちの一軒まで来ると、玄関の石段を登った。

 後ろ足で立ち上がり、前足で器用に扉のレバーを下げ、身体で押しながら中に入ると、内側から再び押して閉める。

 そこは、細長い玄関ホールだ。右側に二階への階段があり、左側と奥に扉がある。


 ホールを進む獣の姿が、ゆっくりと変わった。

 すうっと後ろ足で立って、背筋が伸びる。

 足にはいつの間にか、黒い靴。

 黒い毛は身体に沿って張り付いて、ぴったりとしたシャツとズボンに。

 前足は指が伸びて、口から落とした紙袋を手のひらが受け止める。


 そして。

「レネー様、戻りました」

 奥の扉を開けた時には、獣は十四、五歳の少年の姿になっていた。

 黒づくめの服装、黒い前髪が垂れ下がって右目だけ隠し、左の上腕部には包帯、極めつけに皮の首輪(ピンクだし金具はハートだが)。

 見る人が見るといかにもな感じでイタイタしい、かもしれない。


「おかえりー」

 居間のソファに座っていた女が、振り向いた。

 見た目は三十歳前後。銀の長い髪、夕焼けのような色の瞳。

 生成りのリネンワンピースに布靴。

 そして、右手には短い杖。

 魔女レネーである。

 彼女の杖の動きに合わせて、頭上で数枚の服がヒラヒラくるくると回っていた。魔法で洗濯物を乾かしているのだが、まるで両手を広げた服たちが追いかけっこをしているように見える。


「パストラミサンド、残ってた?」

「はい。フルーツサンドも」

「イチゴ?」

「イチゴ」

「やった」

 レネーはヒュッと杖を振った。乾いた洗濯物が、ソファの背にファサファサッと着地する。

 紙袋を受け取った彼女は、おごそかにワックスペーパーの包みを取り出し、開いた。

「はぁー、美味しそう」

 薄く切ったパストラミとレタスが、ぎっしり層になっている。切り口からバルサミコドレッシングが滲んで光り、何とも艶めかしい。


 レネーは少年の分を彼に渡し、二人は向かい合って座ると、拝むようにサンドイッチを掲げて同時に言った。

「いただきます」


 同時にかぶりつく。しっとりしたパストラミのうまみを黒胡椒が引き立て、レタスが爽やかにみずみずしさを添えていた。

「んー……」

 数分間、満ち足りた沈黙が居間にたゆたった。


 おもむろに、レネーが口を開く。

「そういえば、外に出るたびに変身って、めんどくさくないか?」

 少年は指を舐めてから答える。

「何すか、今さら」

「今、思ったからだ」

 当たり前のようにレネーが言うと、少年は素直に答えた。

「オオカミの姿だと、人と会話しなくて済むんで」

「一日二回、店で買い物するだけの会話もヤなのか?」

 レネーの質問に、少年は即答する。

「イヤです。レネー様も、たまには自分で食事を選びに行ったら?」

「イヤだ」

 レネーも即答する。

「あのなぁ、私は人と話すのも面倒くさいの。だから、面倒くさいこと色々やってもらえるように雇った君に、買い物を頼んでるの」

 少年も、じろっ、と左目で魔女を見つめ返す。

「あのですね、俺は人と関わるの苦手なんす。だから、普段は引きこもれて、出歩く時は犬のフリができるここで働くことにしたんだ」

 レネーは瞬いた。

「そうだった。ごめん」

 少年は顎を軽く出してうなずいた。

「いえ。自分もすんません」


 互いに謝ったところで、二人は同時に次のサンドイッチに手を伸ばした。結局、少年がフルーツサンドを二つとも取り出し、レネーの分を彼女に渡す。

 パンとクリームのふわふわを感じるために、ゆっくりと噛んだ。クリームの優しい甘さ、そこへイチゴの甘酸っぱさがじゅわっと滲んでくる。

 二人は無言で幸せになった。


「はー、美味しかった!」

 食べ終わると、レネーは言った。

「リズ、私の髪を洗って」

 少年は、うなずく。

「うっす」

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