第3話Lesson

 ティルは「取り敢えずついてきてください」と言う女に大人しく従った。

 前を歩く女は一見未成年に見えるが、アジア人は童顔が多いと聞くからティルには何歳か判断しづらかった。

 彼女とティルはカジュアルなレストランに入った。店内はまだそこそこ賑わっていた。二人はスタッフに促され席に着く。飲み物を頼み、スタッフが離れたのを確認してティルが、メニューを開いている彼女に話しかけた。

 

「盗みを教えてって……本気で言ってるのか?」

「もちろんです」


 彼女は真剣な目をしていた。


「……やめとけ。お前に見つかる程度の盗人だぞ。ここの飯を奢ってやるからそれで手をうってくれ」

「バレたのがそんなに悔しかったのですか?え〜と、コレください」


 飲み物を持ってきた担当のスタッフに彼女はメニューを指さしながら料理を注文した。


「そんなに卑下しなくていいと思います。あなたが盗んだことに気づいたのは、ただの勘ですから。それに昨日今日とこの辺で見た泥棒の中で間違いなくアナタが一番でした」

「お、おう。そりゃお前……当たり前だろ。……つまり何か?お前が俺の弱みを握ってたのは、盗みの腕が一番の俺に弟子入りするためだと、そういうわけか?」


 さっきまでのムスッとした顔はなく、手を組んで隠してはいるが、ティルの口角は上がっていた。


「それもありますけど……貴方が泥棒から盗んだから……」

「……確かに俺は泥棒専門の盗人だ。だけどな、いっとくけど俺は善人じゃあない。俺のことを義賊だと思ってたら飛んだ勘違いだぞ」

「……別にあなたが悪人でも構いません。敵の敵は味方じゃなくても敵じゃない。それだけで充分です。だから私に技術を教えてください、お願いします」


 帽子を取って長い黒髪を垂らした彼女は、頭を下げた。その姿には切実な思いが込められているようにティルは感じた。


「……ハァ。……今日中だ」

「えっ」


 ボソッと聞こえた声が意外だったのか、彼女は顔を上げた。


「……俺にも予定がある。今日残り半日だけなら教えてやる」

「本当!?」

「ああ、ただし撮った写真は消せよ」

「はい!ありがとうございます!明日には必ず消すと約束します!」

 

 彼女は光明が差し込んできたように感じ、その瞳が潤んでいた。自分のことを甘いなと感じたティルだが彼女の様子を見て、バカンスだし少しハメを外してもいいかと思った。


「で、君の名前は?」

「……ルミです。ルミ・ソウダ。少しの間ですけどよろしくお願いします。マスター」

「ティルだ。こちらこそよろしく」


 ルミとティルは握手を交わした。




 

 結局ティルが代金を払い、ルミと店を出た後、クヒオ・ビーチに来ていた。

 クヒオ・ビーチとはオアフ島南部、マララ湾に面したワイキキにあるビーチの一つだ。ダイアモンドヘッドを左方に、3キロ続くワイキキのビーチの真ん中ほどに位置している。防波堤に囲まれているため、波が弱く危険が少ない。

 砂浜にはオフシーズンということもあり、家族連れが多く、賑わっていた。

 観光客も多く、置き引きも多い。絶好の場所だ。


「盗みの基本は、油断している奴を狙え!だ。当たり前のことだが、警戒している奴から気づかれずに盗る事はほぼ不可能。そして盗人は盗み、少したった後が一番油断するものだ。このクヒオはアクセスがよく、観光客が多い。そして彼らをカモにしている置き引き犯も多い。あれの家族を見てみろ」


 ティルが顎で示した方には、パラソルの下に4人の家族がいた。二人の海パン姿の子供が今にも海に走り出していきそうにしていた。


「子供の制御が難しいあの家族みたいな奴は、荷物より子供を見ていなければいけないから、置き引き犯にとっては狙い目だ」

「なるほど。子供が急にどっかいっちゃって追いかけて、荷物がほったらかしになるかもしれないですね」

「その通りだ。そして盗人を狙う俺の場合、あの家族を観ている奴を探す。普通なら美しい海に目がいき、他人なんて眼中にないからな」

「あの赤い海パンの男なんて怪しくないですか?」


 ルミが人混みの中にいる一人の男を指さした。

 その男はサングラスをかけていて、しきりにあの家族の方を盗み見ているようだった。


「いや、あの男はただの人妻巨乳好きなだけだ。気にするな」

「……別の意味で危なそうですね、あの家族」


 ルミは心の中で、雰囲気に流されて浮気はしないよう願っておいた。


「それよりあの女の方が怪しいな」


 ティルの視線の先にはビキニを着た、白人の女性が家族の方向へ歩いていた。美人でスタイルが良く周りの男から視線を集めていた。


「女性が置き引きするんですか!?」


 驚いているルミに、ティルは冷静に答えた。


「ああ、する。……他にも女が注意を引き、パートナーの男がその間に盗みなんてこともある。先入観は捨てろ、決めつけるな。勝手な思い込みは目を曇らせるぞ」

「……わかりました」


 ルミは2日前に、その先入観で痛い目を見たことを思い出し、歯軋りする。


「何にもなかったか……」


 美人でスタイルのいい女性は、ただ家族の近くを通り過ぎただけだった。パートナーらしき人も居らず、ルミはホッと息をつく。

 

「他には……アレとか」


 ティルが指した別方向には、まだ若いカップルが人目も憚らず、イチャついていてた。


「チッ!人前でイチャイチャしやがって、うらやまけしからん!ああいうバカップルはお互いのことしか見てないから、狙い目だ!!ほら見ろ!あの男とか、その奥の男とか、筋肉ムキムキの男とかあのカップルを狙ってるだろ!」

「……マスター……もしかしてあのカップルが羨まし——」

「ルミ、先入観は捨てろと言っただろ!俺は、全然、羨ましくないしぃ」


 ティルはルミの考えを食い込み気味に否定した。


「でもマスター羨ましいって言って——」

「言ってないな。口が裂けても言ってないな。……いいかルミ。短い間の師弟関係とはいえマスターの言う事は絶対だ!おい、コラ!マスターをそんな冷たい目で見るな!」

「……わかりました」


 賑やかなビーチとは裏腹に、二人の間に微妙な沈黙が流れていた。


「………………そういえば……マスターって、一人でハワイに来たのですか?」

「そうだが…………おい!マスターを生温かい目でみるのも禁止だ」


 ティルが怪しいといった男達の三人の元へ「ごめ〜ん。待った」と女の人が寄っていった。あの三人もそれぞれパートナーがいるらしかった。

 ルミは目が曇るという事がどういう事かよく理解した。横に立って何も言わないティルを見上げると、虚な目をしていた。


「…………マスター……」

「よし、次は実践練習だ。アイツらのタマを盗ってこい!」

「殺せっていってます!?それに『泥棒専門の盗人だ!』って言ってましたよね!?」

「バカ野郎!アイツらは俺の目の光と面子をとった盗人だろうが!」

「よく考えてください!彼らはマスターの目の曇りをとってくれた恩人です!それと私は女ですから、野郎じゃありません!」

「取り敢えずアイツらの金的に一発ぶちかませば簡単に盗める」

「すっごい雑な盗み方!?」

「タマ二つ持ってるし一つぐらい盗まれても大丈夫だろ。……ブラックマーケットで金玉いくらで売れるっけ?」

「しかもタマってそっちの玉ですか!?」


 二人は周りに聞こえないよう小声で言い合う器用なことをしていた。が、変な雰囲気を発していたのか近くの人は訝しげに二人を見ていた。

 

「……それにしても全然置き引き犯いないですね」

「まぁな。置き引きが多いと言ったけどそう簡単に犯行現場に居合わせる事はないし、この人混みの中見つけるのも難しいからな……」

「あっ!あの男はどうですか!?顔にタトゥーが入ってる男!」


 ティルはルミの視線の先を追うと、目の下にタトゥーがある男を見つけた。


「あ〜……盗んでいるからってああいう奴らは辞めとけ」

「……なんでですか?確かに顔にタトゥーがあるし、怖そうですけど……もしかしてビビってます?」

「……急に遠慮がなくなったな。問題なのは顔のタトゥーじゃなくて、腕のタトゥーだ」


 ルミは間に人が多くて見づらいが、男の腕、アロハシャツの袖に隠れているタトゥーを確認する。


「何ですかアレ?」

「ピエロのタトゥーだ。ただのオシャレかもしれないが、チカーノ……メキシコ系アメリカ人で、かつギャングの可能性がある。俺だったら難なく盗めるが、ルミはやめとけ」


 ギャング。

 それは麻薬の売買や強盗など犯罪行為をする集団だ。とりわけチカーノギャングは恐れられていて、仲間を『HOMIEホーミー』と呼び結束も強い集団だ。


 ティルの声は決して大きくはなかった。が実感がこもっていて、思わずルミは怯んでしまった。

 

「何でそこら辺にいる泥棒は、一般人より金持ったギャングやマフィアからではなく、一般人から盗むかわかるか?」

「……痛い目に遭うからですか?」

「可愛い表現だがその通りで、単純に殺されるからだ。裏社会は舐められたら終わりだ。だから面子を汚した奴らをギャングやマフィアは許しはしない」

「……で、でもマスターは盗めるのですよね……参考までに教えてくれませんか」


 ルミがしつこく聞いてくるので、仕方なくティルは答えた。


「裏社会の連中から盗む場合も、一般人から盗むのも本質は変わらない。油断したところで盗るだけだ。……普通の人の場合と違うところといえば、後始末の念入りさが違う。裏社会相手の場合、盗みの容疑者に上がることすらないようにする事が必須条件だと思え。アイツらは粘着質で根に持つタイプだからな、バレたら地の果てまで追ってくる勢いだ。だから疑われることすらさせない。自分の存在を消すスキルが必要になってくる。……だから今のお前には無理だ」

「そう、ですね……」

「いきなりハードモードを選択する必要はない。イジーモードでゆっくり成長していけばいい。ほらあれ見ろアイツとか自分に酔ってる顔してるぞ。ああいう自惚れた奴は簡単だ」

「本当だ。出会った時のマスターみたいな顔してる」

「えっ、俺あんな顔してた」


 


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